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おねんぶちゅ みんなの法話

提供: Book


おねんぶちゅ
本願寺新報2003(平成15)年11月1日号掲載
教学伝道研究センター研究員渡邊 親文(わたなべ ちかふみ)
ナモアミダしていい?

先日、妹が小学校二年生になる息子と三歳になる娘を連れて、我が家に遊びに来ました。
父を亡くしてから妹は、忙しい中、母が寂しがっているだろうと、時間をみつけては二人の子どもたちと一緒に帰省してくれます。
母も、娘や孫の元気なすがたを見るのが楽しみで、妹たちが帰省するたびに、ごちそうを作り、みんなを迎えます。

私はいつものように、妹たちと会話を楽しんでいると、それまでおもちゃで遊んでいた姪(めい)が、私の服をひっぱって、こう言いました。

「ナモアミダしていい? ナモアミダしていい?」

突然のことに、私はよくわからないまま、「ああ、いいよ。
しておいで」と答えました。

すると、姪はうれしそうに、「じゃあ、してくるね」と言って、仏間に向かって走っていきました。

私は、姪のことが気になりながらも、妹たちと再び団らんを始めました。
すると、すぐに「ナモアミダ、ナモアミダ」とお念仏の声が聞こえてきました。
そのお念仏は明らかに姪の声でした。

驚いた私が仏間に行きますと、もみじのような小さな手をきちんと合わせ、「ナモアミダ、ナモアミダ」と、姪がお念仏を称(とな)えているではありませんか。

私はとっさに、「おねんぶつしてるの?」と聞きました。
すると、姪は「うん、おねんぶちゅしてるの、おねんぶちゅ」と、お仏壇のご本尊に向かって、小さな手を合わせながら、答えました。

今まで、我が家にやって来て、一度として見せたことのない姪のすがたに、私はなんとも言えない不思議な気持ちになりました。

語りかける遺影の父
「いつの間に、独りでお念仏を申すようになったんだろうか。
誰も教えていないのに」と思いつつ、私はふと仏間の脇に目をうつしました。
そこには、私の亡き父の遺影が置いてありました。
そして、その遺影の父の目は、やさしく私たちを見つめながら微(ほほ)笑んでいるかのようでした。

父は、パーリ仏教を専門とする研究者でしたが、今から十五年前、胃がんで亡くなりました。
五十四歳でした。
父は私が物心ついたときから忙しく、家族団らんを楽しむことがありませんでした。
私は、そんな父に、時折反抗し、いろいろと迷惑をかけた時期もありました。

父が亡くなってから、父の年回の法事を通して、私は何度となく仏壇の前に座ることがありましたが、最初のうちは、単に亡くなった父を偲ぶという思いでしかありませんでした。
しかし、次第に私は、「私たちが父を偲んでいるのではなく、亡き父が私たちを偲んでくれているのではないか」という思いを持つようになりました。

そして今では、普段、「仕事で忙しい」とお仏壇の前になかなか座らず、またいざ座ってお参りしていても、頭の中ではいろんなことを考えている私ですが、そんな私に、亡き父が、「念仏申すんやぞ。
お念仏と共に生きるんやぞ」と語りかけているような気がします。

阿弥陀さまのはたらき
生前中、父の言葉を素直に聞くことができなかった私が、今素直に受け入れることができるようになったのは、父の遺影の向こうに阿弥陀さまのおすがたがあることに気付いたからではないかと思います。
父は単にいのちを終えて亡くなったのではなく、阿弥陀さまによって浄土に生まれさせていただき、さとりをひらいた仏さまにならせていただいたのです。
そして、私を含めた、迷いの中にあるすべての人々を救おうとはたらきかけてくださっているのです。
そのことに気付いた今、私は、阿弥陀さまのはたらきが、亡き父を通して、私に届いていることを実感し、心安らかな日々を送っています。

姪もそのような母や私のすがたを見て、お念仏のお育てをいただいたのではないでしょうか。
初々しい声で称える幼い姪の「おねんぶちゅ」の声を耳にしながら、はたと、今私にとどいている阿弥陀さまのはたらきに改めて気付かされた秋のひと時でした。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/