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いのち輝く一本道 みんなの法話

提供: Book


いのち輝く一本道
本願寺新報 2009(平成21)年2月1日号掲載叶 裕子(かのう ゆうこ)(布教使)
「うさぎとかめ」

♪もしもしかめよ

  かめさんよ

  せかいのうちにおまえほど

  あゆみののろいものはない

  どうしてそんなに

  のろいのか

この歌は、石原和三郎さんによって明治34年に発表された童謡です。
歌詞のもとになっているお話は、お釈迦さまご在世とほぼ同じ時代、今から2500年ぐらい前のギリシャの『イソップ物語』にあると伝わっています。

歌の中では、ウサギの挑発にのったカメが駆けっこ競争をすることを提案しています。
ゴールは「向こうのお山のふもとまで」と。

あれ? お山のてっぺんで旗を持って手を挙げていたカメと、ふもとで居眠りをしていたウサギの挿絵は、わたしの記憶違いでしょうか。

最近『イソップ物語』のウサギは、ヤブノウサギという種で、日中の半分は寝ている夜行性のウサギであるということも知りました。

明治時代には、初等科の国語の教科書に油断大敵というタイトルで掲載されたこともあるそうです。
当時の時代背景もあってか、たとえ弱小であってもくじけることなくたゆまず努力すれば、必ず最後は勝者になれるのだという国家的教訓に使われたのでしょう。
さらに時代と社会の変化の中でこの歌は、継続は力なり、マイペースが一番だとも歌われてきました。
そんなことに思いをはせながらあらためて口ずさんでみると、子どもの頃に聞いた話とちょっと違う二者の関係が浮かび上がってはきませんか。

傲慢(ごうまん)なウサギ。
カッとしたカメ。
駆けっこ競争はそこから始まったのです。
競走となると勝ちたいという気持ちが、がぜんわいてくるものです。

いつしか人を傷つけて
娘が小学生の時、学校から帰るやいなやワッと泣き出したことがありました。
理由を尋ねてみると、体操の時間に徒競走があって、娘は友達と「ゆっくり走ろうね」としめし合わせたのだそうです。

しかしヨーイ・ドンで走り出すと、友達は力いっぱい速く走ってしまって、娘が最後になってしまったと言うのです。
娘には悪いと思いつつも、私は思わず笑ってしまいました。
実は、私にも幼い頃に同じ経験があって、いざとなったら全速力で走ったことがあったからでした。

時と場合によれば、勝とうという気持ちが生きていく力になることもあります。
おとしめ合うことのない競争は、人間のあらゆる能力を向上へと導いてもくれます。

以前、私が伝道布教について学んでいた時、先生から「あんたの頑張り方はな、まわりがしんどいねんで」と、やんわり言われたことがありました。
その時の私は、先生の言葉の意味がわかりませんでした。

しかし、いつの頃でしょうか。
頑張っていることがいつの間にかまわりの人との競い合いになって、優劣の比較の中で自らの頑張りを評価していただけではないのだろうか、と考えるようになりました。
それは傲慢と嫉妬(しっと)の間を引きずりまわされて、まわりの人たちを次々と傷つけている私の姿でした。

大悲にわき起こる元気
今、私は阿弥陀さまから「あなたの価値はそんなところにはありませんよ」「どのような姿をあらわしているいのちも、そのままみんな等しく、それぞれの放つ色のままに輝いているんだからね」とのお諭しをいただき、本当に喜んでいます。

それでもおごる心やねたむ心が、打ち消しても打ち消しても起きてくる私ですが、阿弥陀さまの大悲に生かされ、みんなと一緒に生きていこうと元気がわき起こっています。

『うさぎとかめ』の話は、安心して暮らせる社会も人間関係も、競争原理の上には決して構築されない、という示唆(しさ)かもしれません。

いつか目にした絵ですが、ウサギとカメが野原の一本道を仲よく手をつないで歩いていく後ろ姿が描かれてありました。
私はこの絵の中に、それぞれに輝いていると知らされたいのちが、勝とうと負けようとその輝きのままに、寄り添い支え合っていく姿を見ています。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/