いのちの輝き みんなの法話
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いのちの輝き
本願寺新報2001(平成13)年8月10日号掲載朝倉 昌紀(あさくら まさのり)(福井・昌蔵寺住職)ゲームで殺し合いえ.秋元裕美子先日、近所のご門徒さんの家にお参りにいきましたら、仏間の隣の部屋で、子どもたちがテレビゲームをして遊んでいました。
子どもたちは夢中になってやっているものですから、しばらくそばで見ていたのですが、そのゲームは、敵と銃で撃ち合いしながら進んでいくというもので、立体的な映像で、大変リアルなものでした。
子どもたちは、「やった、殺したぞ」とか「あっ、敵が生き返った」などと言いながら騒いでいました。
</p>今の子どもたちは、小さいときからこのようなゲームで遊んでいますから、いのちに対しての感覚が麻痺(まひ)してもおかしくないなぁ、と思ったことでした。
</p>このような現状がありますから、教育界においても、特にこれからは「いのちの教育」が大切であると言われてきました。
</p>私は、四年ほど前から、私の住む町の教育委員をさせていただいておりますが、教育委員の仕事として、年に二回、町内の学校を訪問して、授業を参観させていただきます。
授業の後で、先生方と話をする機会があります。
その時に、「いのちの教育」についての話題がよくでるのですが、先生方から、「具体的にどのような教育をしたらよいのか難しいですね」という意見がたびたび聞かされます。
</p>ゲームなどで人を殺したり生き返らせたりしている子どもたちに、「いのちは一つしかないものだから大切にしましょう」と言っても、ピンとこないようです。
</p>いのちを、宗教的な視点を抜きにして教えるということは大変なことかもしれません。
いのちの本質に迫るような教育を受けてこなかったならば、例えば「ぼくは産んでもらいたいと頼んだわけでもないんだ」とか「気に入らないやつがいれば殺してしまえばいいんだ」という考え方につながっていくように思われます。
</p>比較しかできないいのちに目覚めるためには、道徳や倫理においては限界があり、私たち人間がつくり出した基準においては、いのちの本質を見極めていくことはできないでしょう。
</p>昨年の六月、父が脳内出血により突然倒れました。
その時のことですが、父は手術によって意識はすぐに戻りましたが、出血した場所が悪く、自分で呼吸することができず、二ヵ月ほど人工呼吸器によって息をしていました。
そのため一般の病棟には入れず、看護婦室の隣の治療室に入院していました。
その部屋には四人が入院できるようになっており、脳神経の重症の患者さんが入れ替わり入ってきました。
なかには、意識が戻らずに亡くなっていく人もいました。
</p>父が入院して何日かして、私は小学生の二人の息子を連れて父の治療室に入りました。
その時はまだ、鼻や口から何本も管が入っており、父は大変苦しそうな表情でしたが、孫が来たことに気づき、息子たちの手を握ってくれました。
</p>その時、私は息子たちに、父の隣で何日も意識が戻らずに呼吸だけしている人を見ながら、「向こうに寝ている人に比べたら、おじいちゃんはまだ意識があるからよかったな」と言ってしまいました。
私は、そのように言ったことを、後で深く反省したことでした。
</p>私たちは、すべてにおいて比較することによってしか物事をみることができない姿があります。
自らの基準をもって、何かと比較しながら、善いとか悪いとか判断しているのです。
それは、私の生活のすべてについて言えることですが、いのちについてもそのような見方しかできない姿があります。
</p>仏さまに念じられるいのちを、そのように傲慢(ごうまん)にしかみることができない私に、いのちの本質を告げて下さる方が如来さまであり、それは不思議としか言いようがありません。
</p>私たちに、「狭い世界にとらわれることなく、広い世界に生きる身になりなさいよ」と願って下さるのが如来さまの願いです。
</p>如来さまの智慧とは、私たちの智恵とは異なり、物事の道理を見極め、自分と他人という垣根を取り払った世界です。
ですから、如来さまの智慧を受け入れることによって、自らのいのちとは何かを知ることもできます。
</p>如来さまに念ぜられ、支えられているいのちであることに気づくならば、すべてのいのちに共感することができる世界が開かれていくはずです。
</p>如来さまのお心に会わせていただくことによって、一つひとつのいのちに本当の輝きが見えてくるのではないでしょうか。
</p>父も倒れてからちょうど一年になり、意識はありながらも、声も出ず、口からは何一つ入らず、自分では動くこともできない状態ではありますが、その父の存在そのものに輝きがみえてくる、と味わうことができるのは有り難いことであり、尊いことです。
</p>いのちの輝きに気づかせていただける世界に出会わせていただきましょう。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |