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いのちの尊厳他者への思いやり みんなの法話

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いのちの尊厳他者への思いやり
本願寺新報2002(平成14)年6月1日号掲載
龍谷大学教授 武田 宏道(たけだ ひろみち)
クローン人間誕生か?

四月の中ごろ、クローン人間がまもなく誕生する、と新聞に報じられていました。
人間の越えてはならない一線を越え、人間の身勝手さがここまできたか、という思いで、その記事を読みました。

すでに動物では、クローン羊やクローン牛が誕生しています。

このクローン牛を誕生させる方法は、新聞などの解説によると、次の通りです。

まず牛の皮膚などから遺伝情報をもつ体細胞を取り出します。
一方、メス牛から取り出した卵子は、そのメス牛の遺伝情報をもつ核を除きます。
そして、遺伝情報をもつ体細胞の核を、この卵子のなかに入れて受精卵と同じものを造り、それを子宮に入れて、子牛を出産させる、ということのようです。

精子による普通の受精卵を使えば、精子にあるオス牛の遺伝情報と、卵子にあるメス牛の遺伝情報とがはたらいて、オス牛とメス牛の両性の体質などを取捨選択し受け継いだ子牛がうまれます。

しかし、クローン技術による場合には、卵子のなかにあるメス牛の遺伝情報をもつ核が除かれます。
そのため、遺伝情報をもつ体細胞の側の体質のみが、そっくりそのまま受け継がれた子牛が生まれます。
これがコピー牛といわれるゆえんです。
これを人間に応用すると、クローン人間が生まれます。

私の生命は宇宙で唯一
単なる生命体として見れば、一人の親のみの体質などを受け継いだとしても、別にかまわないでしょう。

しかし、これを生まれてくる子どもの側から考えると、大変な問題を抱えています。
人間のいのちとは何か、ということを今一度、真剣に考える必要があります。

他の動物にくらべて、人間は心の在り方に非常に左右され、影響をうけます。
心が人間存在のほとんどを占めるといっても、言い過ぎではないかもしれません。
そこに、人間のもつ複雑さがあります。

これを、自らの生命の親とのつながりという側面から考えたとき、クローン技術によって誕生した子どもは、自らの生命のつながりを何と考えるでしょうか。
この子どもが、「ある一人の人間のまったくのコピー、複製としてわたしは生まれてきた」と気づいたとき、この人はどのように思うでしょうか。

親の都合や周りの人間の勝手によって、ある人物とまったく同じコピーとして複製された人間である、と、この人が気づいたとき、この人の心は、受精によって誕生したわれわれには想像できないほどの、衝撃を受けると思います。

生まれてくる子どもは、一部の人間の占有物や所有物ではありません。

父親と母親の血を受け継いで、父親と同じでもなく、母親と同じでもなく、かといって両親と無関係でもなく、両親の体質などを受け継いでいるのが、子どもです。

こういう存在であるから、この世には、私という人間は私しかいない、この私と全同の人間はこの世にいない、だからこそ、私のこの生命は尊い、と言われるのです。

クローン技術による人間の誕生は、こういう人間存在の根底をくつがえすものです。

他者と未来への配慮
昨今の生殖医療の進展にはめざましいものがあり、従来では考えられなかったことが、次々と実現されていきます。

そういう中で考えねばならないことは、生まれてくる子どもへの思いやりです。
生まれてくる子どもが幸せになられるのか、という観点からの思いやりが必要です。

夫以外の男性からの精子提供によって生まれた子どもが、自分の父親が知らされないことから生じた〝父親を知る権利〟の問題が、最近起こっています。
これは、生殖医療を子どもの立場から考えるようになったことのひとつの表われである、と思います。

正信偈に、

邪見(*)慢(きょうまん)悪衆生            (*)(外字)

(おごり高ぶりよこしまの―)と説かれていることが、最先端の生殖医療などに見うけられないか、よく考えてみる必要があります。

人は二度と人生をやり直すことはできません。
生まれてくる子どもが、人間の浅はかな知恵や欲望、また研究者の知的好奇心や功名心などによって、取り返しのつかない不幸に陥らないように見守ることが、とてつもなく進んでいく高度な生命科学の時代に生きている私たちの責務である、と思います。

そして、また一方で、現在続々と生まれ、成長している子どもや若い世代の人々が、何十年先であっても、快適に暮らすことができる環境や状況を、作るように心がけることが大切です。

〝念仏の声を世界に子や孫に〟というスローガンは、生活の中心になる念仏の教えを心に据えることによって、外的状況への思いやりがでてくる、という意味で、まさしく、このことを教えています。

今の世は、刹那(せつな)主義的で、今さえよければよいという、短絡的な身勝手さがあまりに目につき過ぎます。
クローン人間の問題も、そのあたりからでてきた事柄のように思われます。

仏教で説く、もちつもたれつの相互依存性、すなわち縁起の教えは、今さえよければ、自分さえよければ、という姿勢を激しく戒めていると思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/