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いただき・いただく 一枚法語

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Dharma wheel

願生寺 一枚法語

生かされる世界_一枚法語
いただき・いただく_一枚法語
幸福の三条_一枚法語
本願に遇う_一枚法語
ご恩の世界_一枚法語
ご恩を知る_一枚法語
安養の浄土_一枚法語
信心の智慧_一枚法語
いただきいただく_一枚法語
おさめとる教え_一枚法語
生きる喜び_一枚法語
極楽への道_一枚法語
今日を生きる_一枚法語
拝んで生きる_一枚法語
永久に生きる道_一枚法語
生死の苦海_一枚法語
ご本願に遇う_一枚法語
あきらかに見る_一枚法語
転成の教え_一枚法語
生かされている_一枚法語
念仏をもうす_一枚法語
苦悩を生きる_一枚法語
感謝のある人生_一枚法語
念仏のみぞまこと_一枚法語
華やぐいのち_一枚法語
おさめとるこころ_一枚法語
心のよりどころ_一枚法語
お念仏の味わい_一枚法語
仏縁に遇う_一枚法語
喜憂を超える_一枚法語
念仏もうす_一枚法語
この世の利益_一枚法語
ミダの呼び声_一枚法語
仏の御名を聞く_一枚法語
摂取の光明_一枚法語
幸せかぎりなし_一枚法語
ご恩を知る_一枚法語
生死をいきる_一枚法語
人生むなしからず_一枚法語
無碍光の慈悲_一枚法語
仏になる教え_一枚法語
まことにあう_一枚法語
み教えにいきる_一枚法語
生死の流れをすくう_一枚法語
念仏もうす_一枚法語
無碍の一道_一枚法語
大悲とともに_一枚法語
無縁の慈悲_一枚法語
悲しみを超えて_一枚法語
摂取の光明_一枚法語
聞思のおしえ_一枚法語
名号を聞く_一枚法語
佛法を聞く_一枚法語
日々是好日_一枚法語
佛心をいただく_一枚法語
恵まれて生きる_一枚法語
念仏をいただく_一枚法語
仏縁に遇う_一枚法語
ご本願_一枚法語
いのち尊し_一枚法語
恵まれて生きる_一枚法語
恩を知る_一枚法語
転成のおしえ_一枚法語
まことのことば_一枚法語
生死いづべき道_一枚法語
誓願に生きる_一枚法語
念仏もうす_一枚法語
人生を生きる_一枚法語
仏さまの願い_一枚法語
生きるよろこび_一枚法語
呼び声をきく_一枚法語
報恩講_一枚法語

願生寺 一枚法語

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 親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」の六字を解釈されて、   南無とは帰命なり 帰命はすなはち是れ礼拝なり と述べられ、この礼拝の二字に   いただき・いただく とご左訓を付けられてご了解されておられます。

 このご了解によって更に、あじわいの深さが汲み取れ、聖人の教えはまさしく「いただき・いただく」ことに尽きるといえるでしょう。善知識は阿弥陀さまの教えを聞(信)くことを、「教えを心に入れよ」ともうされています。

 ある大学の教授が定年退職されてから自宅を開放され、智慧遅れの人たちを預かって世話をしておられます。農作業をしながらの自給自足の生活です。

 実りの秋を迎えたある日のこと、一緒に生活している知恵おくれの男性が 「先生、毎日何もしないで遊んでいても仕方ないので、何か仕事をさせてほしい。」 と言いました。先生はこの人が出来る仕事がないものかしばらく考えた後、名案を思いつき伝えました。

「君がこうして生きている限り、働きたいと思う気持ちは大切だ。それじゃ早速仕事を頼むよ。」 と言い田んぼに連れて行きました。

「ここに植えてある稲が黄金色になって、もうすぐ稲刈りなんだけど、困ったことに雀が毎日やって来て米を食べてしまうんだ。だからこの竹竿を持って雀を追い払うのが君の仕事だよ。」

と言うと、この男性は自分の仕事が見つかって大変喜び、早速竹竿を持って雀を追い回しました。

 ところがある日、隣の田んぼに立っている案山子を見つけて、数日もしないうちに追い払うのを止めてしまい、今度は田んぼの真ん中に案山子のように突っ立っているだけになってしまったのです。竹竿を持って立っている男性を見て、近所のある婆さんは

「バカとハサミは使いようという言葉はあるけど、案山子と同じではなぁ。わしにはよう務まらんわ。やっぱりバカしか出来ん仕事や。」 と笑って言いました。

 数日後、この婆さんが教授の所へ呼びにやって来ました。
「先生、ちょっと来てみなされ」
二人で田んぼに向かうと、智慧遅れの男性は相変わらず田んぼに立っていて、頭には烏が止まり、竹竿を持った手には二~三羽の雀が休んでいます。婆さんは

「あのさまを見なさい。やっぱりバカはどこまでいってもバカや。どうしようもないなぁ。あの男は案山子すらも無理や。困ったものだよ」 と大笑いしました。

 ところが先生は笑うどころか目に涙を溜めて次のように語ったそうです。
「婆さんよ。烏も雀もあの子には気を許して寄りついて来るんだね。おそらくわしだったらちょっと足音を立てただけでも逃げてしまいことだろう。」 とこの男性に頭を下げたことです。

 他人を認め、何ごともひざまずいて学んでいくことの尊さを、先生は伝えておられるのだと思います。   合掌

 北海道のお寺の坊守さんで昭和六十三年に四十七歳で亡くなられた鈴木章子さんの詩を紹介します。

         幸せ
          しあわせって
          欲ばりすぎると
          にげてしまうのですね
          追いかけて
          自分でつまむものと
          思っていましたのに
          しあわせって
          いただくものでしたね
          少しずついただいて
          少しずつわけあうことが
          たいせつなことだったのですね

◎願生寺 一枚法語より ◎本文の著作権は願生寺に属しております。

 出典と掲載許可表示(願生寺のHP)から転載しました。許可は住職