いくつもの別れ みんなの法話
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いくつもの別れ
本願寺新報2008(平成20)年7月1日号掲載
布教使 野村 康治(のむら こうじ)
心にのこるあの人と・・・
それはあまりに突然の知らせでした。
電話の向こうからの淡々とした話しぶりに、その悲しみの深さが伝わってきます。
わずか2カ月前、共に学生時代を過ごした仲間たちと一緒に笑顔で語り合ったのに...。
お通夜、そしてお葬式。
出会う友とは、彼と過ごした学生時代を語りつつ、残された幼き子の姿に、自身を重ねたことでした。
</p>みなさんの胸中には、亡きお方との別れの中で、どのようなお姿や言葉が響いておられるのでしょうか。
それぞれ振り返られると、いくつもの悲しみに遇(あ)われたことでしょう。
私自身にも、そうした悲しみの中で、心に遺(のこ)る姿や言葉があります。
お坊さんだからお経を
中学2年生の時。
「得度(とくど)姿を見たい」
最期まで孫が僧侶となるのを夢見ていた祖母が、89歳で、老いと病の中で往生しました。
その悲しみを胸に、得度するため、頭髪を剃(そ)って10日間、学校に行けない自分がいました。
高校時代。
同級生との別れ。
お通夜では...。
「野村はお坊さんだから、お経があげられるだろう」
そう友から言われ、おつとめを始めました。
みんなが号泣する中でたった1人、文字を追うことに懸命の私がいました。
わが子と同年代だったお子さんのお通夜。
3歳のかわいい盛りに、わずか2日間の病でご両親との別れでした。
棺(ひつぎ)の前に並べられたおもちゃ。
歓声をあげて遊んでおられた姿を想い、いっそうご両親の悲しみが響いてまいりました。
父である前住職の死。
それは「おぎゃー」と生まれて以来、愛しい人との許されたこの時間が、確実に短くなっていることに無自覚であったことを思い知らされました。
幼き頃からいつもお育ていただいたご門徒さん。
枕元での「臨終勤行」は、住職としての緊張感と、お念仏の育(はぐく)みにただお念仏申すばかりでした。
そのままのお救いとは
「老病死を見て世の非常を悟る」(註釈版聖典4ページ)
人生は私の思い通りにはなりません。
その時々、思いもしない現実に立ち止まり、後ずさりしたい気持ちにうちひしがれてしまいます。
しかしながら今、その時々に簡単に受け入れることのできなかった事実に、「お育て」ということを思うのです。
「しかれば、弥陀如来は如(にょ)より来生(らいしょう)して、報(ほう)・応(おう)・化(け)、種々の身(しん)を示し現(げん)じたまふなり」(同307ページ)と親鸞聖人はお示しくださいました。
また『一念多念証文(たねんしょうもん)』にも、
「一如宝海(いちにょほうかい)よりかたちをあらはして、法蔵(ほうぞう)菩薩となのりたまひて(中略)御(み)なをしめして、衆生にしらしめたまふ」(同690ページ)と示されます。
阿弥陀さまは今、真実一如の世界から、煩悩のために仏さまをみることのできないこの私のために、「南無阿弥陀仏」のみ名(な)となってあらわれてくださっているとおっしゃるのです。
ただ今、この私のための「南無阿弥陀仏」、私に寄り添ってくださるお念仏。
いくつもの「お育て」によって、阿弥陀さまを知らさせていただきました。
阿弥陀さまは、私たちが決してやり直すことのできない日々を送っていると見抜かれました。
訂正不可能な人生だと見抜かれたうえで、阿弥陀さまは今、その私に寄り添い、「そのまま救う」と喚(よ)びかけてくださっているのです。
「そのまま救う」とのお救い。
それは私の今と、これからが満たされていく世界。
今とこれからが救われることによって、過ぎ去った事実は変えられなくとも、その意味が違ってまいります。
今生(こんじょう)の別れの悲しみと寂しさに出遇(あ)い、「如来大悲」のお浄土建立(こんりゅう)を知らせていただきました。
「南無阿弥陀仏」
お念仏の中に、私たちはまた会える世界があると知らされました。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |