操作

〝人〟と〝人間〟 みんなの法話

提供: Book


〝人〟と〝人間〟
本願寺新報2005(平成17)年2月1日号掲載
布教使  羽野 正隆(はの まさたか)
エライ事を質問された

先日、中二になる息子が家族で晩ご飯を食べている時にこんなことを言い出しました。

「今日、学校で国語の時間に先生が言いはったことなんやけど、ぼく納得でけへんねん」
「どんなことを言いはったんや?」

「あのな、〝ヒト〟という字はお互いに支え合ってできている。
だから君らも中学校生活を友だち同士、支え合い助け合って過ごすことが大事なことなんだぞ、って」

「ふーん。
それで何が納得でけへんねん?」

「お父さん、紙に〝ヒト〟って書いてみて」

私は息子に言われた通り、紙に〝人〟という字を書いてみました。

「お父さん、よく見て、長い棒の方が短い方に寄り掛かっていてラクしてるやん。
短い棒は長い方を独りで支えていてしんどそうやん。
これでお互いに支え合っていると言える?」
「うーん...」とうなってしまいました。

確かによく見ると息子が言うように見えます。
これはエライ事を聞かれたなぁ、さて何と答えるか...。
私はとっさにご飯を口いっぱいにほうばって、もぐもぐしながらしばらく考えました。

「そうやなぁ。
言われてみれば確かに長い棒がラクしてるよなぁ。
学校でも同じやないか?長い棒、つまりケンカの強い子がおとなしい子をアゴで使ったりしてるよな」
「うん」
「社会に出てもそういう事がいっぱいある。
力を持った強い者が弱い者を犠牲にして自分の都合のいいように生きているんや」
「弱肉強食ってこと?」
「そういうこと。
ところで〝ヒト〟って他に言い方があるやろう?わかるか?」
「...にんげん、かな」
「その通り。
じゃ〝ヒト〟と〝にんげん〟の違いって何や?」
「...わかれへん」

無量の仏にまもられて
〝ヒト〟と片仮名で書く時は、サル目(霊長類)ヒト科の動物としての意味を表すことが多いようです。
つまり、ライオンとかトラと同じですね。
動物の世界は弱肉強食の世界、強いものが弱いものを食べる世界です。

一方、〝人間〟というのは「人の間」と書きます。
人と人の間で生きているのが人間ということです。

その日のおかずはサンマの塩焼きでした。
それで息子にこの一匹のサンマが食卓にのぼるまでの経緯を話してやりました。

海で泳いでいたサンマを漁師さんがつかまえ、港の市場からトラックで大阪の中央卸売市場まで運ばれ、競りにかけられたサンマを魚屋さんが競り落とし、魚屋さんで売っていたそのサンマをお母さんが買ってきて焼いてくれて、やっとこの食卓にのったのだと話しました。

この一匹のサンマが私の口に入るまでにいったい何人の人たちの手がかかっているのでしょうか。

私たちは魚屋さんの顔までは見えていますが、その先にある無数のお世話になった人たちの事にまではなかなか思いがいたりません。

でも昔の人は、その目には見えないけれども私のためにはたらいて下さった人やものを〝かげ〟と呼び、それに丁寧に〝お〟を付け、さらに〝さま〟まで付けて〝おかげさま〟と喜びました。

そして何より私のいのちを支えてくれるサンマに対して「これからあなたのいのちをいただきます、ありがとう」と感謝する心を持つこと。

これらの大切なことに気付いたヒトを人間というのです。

お金が欲しいとなると、ひったくりやオヤジ狩りまでして手に入れようとする最近の若者は、本能のままに行動する動物と同じヒトでしょう。
目には見えない多くの人やものによって自分が生かされているんだなどと考えているとは到底思えません。

「国語の先生はきっと〝お前たち、ヒトではなくて本当の人間になってくれよ〟ということを伝えたかったんじゃないのかな」と息子に言いました。

<pclass="cap2">南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量の諸仏は百重千重囲繞(いにょう)して
よろこびまもりたまふなり
(「浄土和讃」註釈版聖典576頁)

私たちは目に見えない十方無量の諸仏に囲まれ、まもられながら「おかげさま」と言える人生を送らせていただいているのです。


※漢字「人」は「人の側身形」(象形文字)です。
本文と漢字の成り立ちは関係ありません。

〔お詫び〕本法話は、2005年3月に初回登録いたしましたが、2006年2月に再登録を行なった際より、執筆者肩書の末尾に記号の「?」が表示されておりました。
不要な記号でありますので削除いたしましたが、掲載期間中、作者ならびに関係者、ご利用の皆様にご迷惑をおかけいたしました点を深くお詫びいたします。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/