「 癒(いや)し 」 みんなの法話
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「癒(いや)し」
本願寺新報2000(平成12)年6月1日号掲載
羽野 正隆(はの しょうりゅう)(布教使)
私がさびしいと...
最近「癒(いや)し」という言葉が街にあふれています。
癒しのための音楽、香りの癒し、たれぱんだ等の癒しグッズ、果ては、癒し系アイドルに癒し系女優...。
癒し癒しとことさら言われるのは、みんながそれだけ癒されていない、癒しに飢えているということの裏返しなのでしょうか。
第四十四回全国児童生徒作品展で本願寺賞特選になった『わたしの友だち』という作文があります(仏婦機関誌「めぐみ」169号掲載)。
松音寺日校に通う小学三年生の井上弓子ちゃんの作文です。
弓子ちゃんには、ひろかちゃんという保育園の頃からの仲良しの友だちがいます。
けれども学校でひろかちゃんと遊んでいると時々、他の友だちが横から入ってきて「弓子ちゃんはあっちへ行って」と仲間外れをします。
それで弓子ちゃんは悲しい思いをする時があるのです。
以下は弓子ちゃんの作文の一部です。
「...お家に帰っておやつを食べていたらお母さんが、『今日学校はどうだった?』とたずねました。
そしてお友達とのことを話しました。
お話を聞いてくれたお母さんは、しばらくだまっていて、『小さくなって弓子の洋服のポケットに入ってついていってあげたい』といいました。
お母さんはわたしのことをいつも考えていてくれます。
小さなお母さんがポケットに入っていれば、さみしい時、くやしい時、うれしい時、なんでも話せるなぁと思いました。
そしたら何だかとってもうれしい気もちになってきました。
土曜日に、金子みすずさんの音楽と詩をお母さんと二人で聞きに行きました。
その時心にのこった詩が一つあります。
わたしがさびしいと お友だちはわらう
わたしがさびしいと お母さんはやさしい
わたしがさびしいと ほとけ様もさびしい
わたしは、金子みすずさんがすきになりました。
わたしと同じ気もちを持っているように思えました...」
同苦の思いやり
自分の子どもが学校で仲間外れにされていると聞かされて、お母さんとしては本当に心が痛んだと思います。
なんとかわが子を護(まも)ってやりたい、かばってやりたい...。
でも、何もしてやれない。
歯がゆさと自分の無力さに胸を締めつけられる思いがしたと思います。
だから弓子ちゃんから友だちとのことを聞かされた時、しばらく何も言えなかった。
何も言えずにいた間、心の中で弓子ちゃんの悲しみを思って、お母さん自身も深い悲しみの心になったのだと思います。
そして言うんですね。
「小さくなって弓子の洋服のポケットに入ってついていってあげたい」と。
この一言で弓子ちゃんの悲しい心は癒されたのです。
なぜか。
それは「私の悲しみをお母さんはわかってくれている」と弓子ちゃんにはわかったからです。
阿弥陀さまは『慈悲』の仏さまといわれます。
『慈』は古代のインドの言葉でマイトリーといいます。
辞書には「最高の友情」とあります。
「頑張れよ!」とあらゆる人に向ける励ましの眼差(まなざ)しとでも言うべきものでしょうか。
そして『悲』はカルナーといいます。
もともとの意味は「呻(うめ)き」で、心やからだにあまりにも重くのしかかってくる苦しみや悩みに、思わず洩(も)らしてしまう呻き声のことです。
辞書には「人生の苦しみに呻き、嘆いたことのある者だけが、苦しみ悩んでいる者を本当に理解することができ、その苦しみに同感し、その苦しみを癒すことができるのであるが、その同苦(どうく)の思いやりを悲と呼ぶのである」とあります。
ひとの苦しみを自分の苦しみとして感じ、ひとの悲しみを自分の悲しみとして悲しむ心、それが悲です。
そういう悲に触れることによってはじめて本当に、傷ついた心が癒されるのです。
阿弥陀さまのお心
もし、あなたが弓子ちゃんのお母さんだったらどうします?「どうして意地悪されて黙ってるの!嫌だったら、嫌ってはっきり言いなさい!」-そんなふうに言いませんか?でも「いや!」って言えないからこそ弓子ちゃんは悩んでいるのです。
「がんばれ!負けるな!」と、励ます善意の気持ちは十分にわかります。
でも時には励ますことよりも一緒に涙を流すことの方がかえって力づける場合もあるのです。
ただ黙ってそばで一緒に涙を流すことしかできなくても、苦しんでいる人にとっては「この苦しみをわかってくれる人がいる」と思えることが気持ちをラクにさせるのです。
いつでも、どこでも、どんなときでも、私のことを見ていて下さる、わかって下さる。
そういう阿弥陀さまがいて下さるということを聞いてゆくのが浄土真宗の信心です。
私がさびしいと仏さまもさびしい。
私がさびしい時、阿弥陀さまも一緒にそのさびしさを背負って下さるというのです。
そういう阿弥陀さまのお心が聞こえた時、本当の意味で私の心も癒されていくのです。
世の中では今、あれやこれやと色々な『癒し』の方法がいわれていますが、本当の癒しは、阿弥陀さまのお心を聞いてゆく中にあるのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |