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「親」としての名のり みんなの法話

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「親」としての名のり
本願寺新報2008(平成20)年2月1日号掲載
大阪・専宗寺衆徒 天野 覚亮(あまの かくりょう)
親になって最初の仕事

昨年の三月、第一子が誕生しました。
それから早一年が経とうとしていますが、私が親になって最初の仕事はわが子に名前をつけることでした。
「名は体を表す」というように、名前はその人のイメージや人生を左右するほど、人にとって重要なものです。
さまざまな候補を挙げて悩んだ結果、お経の中から「拯(じょう)」の一字をいただき名付けることにしました。

ところが役所に行くと、「拯」の字は人名辞典にはないので使えないと却下され、止むを得ず人名辞典にもある「丞」の字(拯と同意)にして、「丞亮」とあらためて提出し、受理されました。

親になって最初の仕事に味噌をつけたようでしたが、自分自身が一人の子の親となったことを通して、また、名のりということを通して阿弥陀さまのおこころをあらためて味わわせていただきました。

身近に接し見ている事
先日のこと、僧侶仲間の先輩と話していると、「最近は阿弥陀さまのことを "親さま"とよぶご法話が少なくなってきた」と嘆いておられました。
確かにひと昔前は、原口針水(しんすい)和上が「われとなえわれ聞くなれど南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの親のよび声」と詠われたように、阿弥陀さまを私の真実の親さまであると仰ぐお話をよく耳にしました。

しかしそれが少なくなってきたということは、親と子の話では阿弥陀さまのお慈悲の譬(たと)えにならない時代になってきたのかも知れません。
その理由を考えるとき、親が生まれたての子を捨てたり、親が子を虐待し、さらには殺害するという報道を見聞きするようになったことも、その一つではないかと思えてなりません。

子を捨て、子に手をかけてしまった親自身には、何か耐えるに忍びない理由があったのかも知れませんが、そのニュースを聞く側からすると、親が親であることを放棄したという、恐ろしい事実だけが印象に残っていくと思います。

では「親になる」とは一体どういうことでしょうか。
それは子ではなく、親自身が「私がこの子の親である」と名のりをあげることではないでしょうか。

親という字を辞書で調べてみると「ナイフで身を切るように身近に接して見ていること」とありました。
我が身を削ってでもこの子を育てようと、親の名のりをあげる人を、私たちは親とよぶのではないでしょうか。
そして、そうまでしてこの子を育てたいという親の願いがいつの間にか子どもに届き、「お父さん、お母さん」とよばせるのでしょう。

それではなぜ、阿弥陀さまを「親さま」とよぶのでしょうか。

自他の命に区別がない
『仏説無量寿経』には、仏さまや菩薩さまの命の見方は「他の命をわが命と同様に見、他の苦しみをわが苦しみのように共感する」ような見方であると説かれてあります。
また仏さまからこの私を見ると、欲望煩悩を抱え、それが苦しみの種とも知らずに好んでいる、と示されています。

このように苦しみを苦しみとも知らずに喜んでいる私の命を、わが命として共感した時、お浄土の蓮の花の上に座っているわけにはいかないと立ち上がり、必ず救うと私の所に至り届いてくださったのが阿弥陀さまでした。
それは、今にも崖の上から落ちそうになっている子どもに「危ないからこっちへ来い」と声をかけるのではなく、全身をもって子どもの所へ駆けつけ抱きとめようとする親のようです。

よく「浄土真宗は『死んだらお浄土』の宗教ですな」とおっしゃる方に出会います。
確かにお浄土に生まれるのは娑婆(しゃば)での命が終わった時ですが、阿弥陀さまは死んでからお世話になる仏さまではありません。
今現在ここで苦しみ溺(おぼ)れている私の心身に「われにまかせよ必ず助ける」というよび声となって阿弥陀さまの功徳が入り満ちてくださるのです。

子どもはよく何も用事がないのに「お母さん」と親の名をよびます。
それは「お母さん」という名の中に親の温もり・優しさを感じているので、「お母さん」と名をよぶ中に子どもは安心感が湧くのでしょう。
同様にわれわれも「必ず助かる」という安心感の中、真実の親さまの名を「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とよびながら日々を送りたいものです。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/