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「素(す)」の生命(いのち)に還(かえ)る みんなの法話

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「素(す)」の生命(いのち)に還(かえ)る
本願寺新報2006(平成18)年8月1日号掲載
九州龍谷短期大学教授 高石 伸人(たかいし のぶと)
一挙一動が微笑ましい

先日、わが家の第三子・衆(ひろ)の運動会が行われました。
いま、養護学校高等部の三年生ですから、たぶん最後の機会になるだろうとの思いで、ビデオカメラを担いで出かけました。

ここの高等部には、かなり広域からも子どもたちが入学していて、小学部から合わせると全校で二百二十人の生徒がいます。
養護学校は先生の配置数も多いので、運動場が狭く感じられるほどです。

子どもたちが繰り広げる競技は、その一挙一動がとても新鮮で微笑(ほほえ)ましいものでした。

汗だくの先生が押す車いすや、バギーに乗って涼しげに笑っている子、ゴールテープをまたいで通過する子、白線の内側を省エネで駆け抜ける子、途中で立ち止まって伴走の先生をてこずらせている子、保護者席に愛きょうをふりまきながら遠回りで走る子など、まさにオリジナルな世界です。

また、どうしてこんな子がこの学校にいるのかと、ビックリするほど脚(あし)の速い子もいました。

もちろんそれは、ひと目見て、それとわかる「障害児」だけの学校であるべきだという意味ではなく、障害の程度による輪切りと排除が進行しているのではないかという危惧(きぐ)からです。

教育方法でせめぎあい
衆はといえば、かけっこでも相変わらず競争心というものが感じられず、ニコニコしながらカメラ目線で走っていきます。

さすがに小学校低学年の頃のように、保護者席が切れて拍手がなくなると立ち止まってしまうということはありませんでしたが...。

それにしても、もったいない光景だと感じます。
地域の「普通」学校でこの子たちがこうしたパフォーマンスのかけらでもおすそ分けしてくれたら、どんなにさわやかな「やさしさの風」が吹くだろうかと想像するからです。

一九七〇年代から「共に生き、共に学ぶ」という思潮・運動が広がって、「障害」をもつ子どもたちが住居地の「普通」学校に通うケースが増えました。

衆も十年前に教育委員会に普通小就学宣言をして入学しました。
その後、おもに教育方法をめぐって先生たちとのせめぎあいを経験しましたが、衆を、たぶん「障害児」ではなく、ちょっと変わった友達と認めていた級友たちの、おもてなしやおせっかいのおかげで、九年間をいくつもの思い出を刻んで過ごすことができました。

とくに「一糸乱れた」運動会はドラマチックで、感動ものでした。

一人ひとりの差異という点では、養護学校にもいろんな子がいるのですが、「障害児学校」制度という別学体制が混沌(こんとん)を排して、物足りなくしています。
ただ、今年とくに目についたのは、前述した「どうしてこんな子が」という少数の生徒たちのことです。

ちょうど『獄窓記』(山本譲司著)や『自閉症裁判』(佐藤幹夫著)の読後であったことも重なり、こうしたグレーゾーン(境界)の子たちが、いったんは就職しても社会の冷たい風を受けて、居場所を失ったり、揚げ句に犯罪に手を染めたりすることが少なくないという事実を知り、気になっていたからです。

生き難さのバリアこそ
「障害」が重いといわれる子どもたちには、「福祉」という専用シートがあてがわれ、当面は食いっぱぐれることもなさそうですが、むしろ軽いとされる子たちの方が、この「格差社会」ではさまざまな生き難さのバリア(これこそが「障害」)に取り囲まれているともいえるでしょう。

もっとも、善意顔のサービスに応えなければならぬ身の辛(つら)さにも少しは想像力を働かせてほしいと思いますし、「自立支援法」などという悪法が施行され、いよいよこの子らの非国民化が始まったかと行く末に不安がよぎります。

「みんな違ってみんないい」という願いを実現することは難中の至難です。

偽装、手抜き、粉飾、隠蔽(いんぺい)などの病気が蔓延(まんえん)するこの国の現在とわが身を振り返るとき、遅れて来たこの子らの、理屈や損得の薄い不思議の世界に共振することで、「素(す)」の生命(いのち)に還(かえ)っていくことができないか、などと親バカ半分で想いをめぐらせています。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/