「戦争」をなくすには みんなの法話
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「戦争」をなくすには
本願寺新報2005(平成17)年8月10日号掲載
中央基幹運動推進相談員 季平 博昭(すえひら ひろあき)
こころを平和にする
谷川俊太郎さんは、「こころを平和にする」という文章の中で、戦争はいやだ、戦争はしたくないと思いながら、なぜ戦争をしてきたのだろうと問いかけておられます。
そして、それは人の心の中に平和がないからだ、平和を自分の外につくるものだと考えると、平和をめざして戦争するということにもなると。
さらには、戦争が起こるのは自分のせいだと考え、他人を憎んだり、差別したり、無理に言うことをきかせようとしたりという戦争につながる気持ちがないかどうかを考え、まず、自分の心の中で戦争をなくすことから始めたい、とおっしゃっています。
そうです。
世界中で起こるさまざまな出来事は、私という存在を抜きにしては起こらないと考えるのが仏教の縁起(えんぎ)の考え方です。
とすれば、私たち一人ひとりの努力が、戦争をなくし、平和への歩みを進めていくことにつながるはずです。
自分を大切にする
お釈迦さまは、誕生の時「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったと伝えられています。
「この世の中で私が一番偉い」ということではなく、「この世の中で、すべてのいのちはただ一つのかけがえのない尊いもの。
その尊くかけがえのないいのちを輝かせて生きていきます!」との誕生の宣言と、私はいただいています。
私たちも、輝かせて生きていくいのちを恵まれて生まれたはずです。
そのいのちを他の人と比べ、自分が偉い、いや他の人が偉いと生きるのではなく、かけがえのないいのちにめざめて生きることの大切さをこの言葉は教えてくださいます。
中央仏教学院のレポートで、ある学生が次のような文章を書いてくれました。
「今の社会というのは、クッキーの型のようなもので、人間という生地が型に満ち足りているかいないかで判断し、会社などの合格、不合格を決めるんじゃないか。
そうなると当然、型にはまるだけの生地がたくさん存在すれば、自分という生地の代わりはいくらでもいることになる。
『天上天下唯我独尊』?本当にそうなのだろうか?僕は必要なのだろうか?当然そんな考えになると思う。
自分は一つしかない存在だと思っていても、他の人とやっていることが同じだったりすると、しょせん人間は、『代わりのいる者の集まり』ではないかと思える。
だから、自分は他とは違うということを主張したくて変わったことをやってみたり目立ちたいと思ってしまう」と。
人は、一つの価値観の枠にはめられその枠を基準に争うというものではありません。
自分は一人の人間であって、何者にも代えがたいかけがえのない存在なのだとめざめることで、自分らしく生きていくことができるのです。
一人ひとりを大切に
戦争に向かうとき、国家という存在の前に、一人ひとりのいのちをいかに無価値化できるかということが考えられます。
国民すべてが、「お国のためにいのちを喜んで捧げる」という「滅私(めっし)奉公」という教育がされ、まさに「クッキーの生地」として生きるということが強制されていきます。
さらには、喜怒哀楽まで制限されます。
戦死したわが子の死を悼み悲しむことより「名誉の戦死」と喜ばなければならない現実がありました。
建前が優先され、こころを閉ざす結果をもたらしたのです。
このように戦争は、「滅私奉公」という形で「自分を大切にする」という考えを否定し、自分の感覚で感じたり主張したり、泣いたり笑ったりする「自分らしく生きる」ということも否定し、こころを閉ざすことを要求します。
そのような生き方が強いられたとき、「自分の中の戦争につながる気持ち」が現れるのではないでしょうか。
一人ひとりが「クッキーの生地」ではなく、かけがえのない私であることにめざめ、私らしく生きていく。
それによってお互いがかけがえのない存在であることにめざめ、支えあいの関係を築いてゆく。
そのことが、戦争をなくし、「一人ひとりが大切にされる社会」を実現することになるのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |