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「忌」という字 みんなの法話

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「忌」という字
本願寺新報2002(平成14)年2月10日号掲載
大洲 誠史(おおず せいし)広島・専徳寺衆徒
アニマルセラピー

え.秋元 裕美子
数年前、私はある法話集に「ねこのぬくもり 如来のぬくもり」と題して、法話を書かせていただいたことがあります。
私にとって法話原稿を書かせていただく初めてのご縁で、何を書こうかといろいろ考えました。
そんなとき、ふとひざの上で寝ていたネコを見て、ある出来事を思い出しました。

それは、風邪をひいて寝込んでいた私に、ただ寄り添って寝ていたネコの姿に安心感をおぼえ、どうしてそんな気持ちになるのだろうと思ったことから、アニマル・アシステッド・セラピー(アニマル・セラピー)という存在を知り、それに興味を持ったことです。
それを題材に、法話を書かせていただきました。
アニマル・セラピーとは、動物と触れあったり、見ているだけで心が和んだりすることを利用して、心の治療に用いたりする療法のことをいいます。

その法話のなかに登場するネコが、昨年の春、十四年の生涯を終えました。
彼女の名前はホワック。
白と黒の毛をもった彼女の名前は、白(ホワイト)と黒(ブラック)を縮めて「ホワック」と呼んでいました。

生まれたときは、我が家で生まれた三匹のネコのなかで一番小さく、しかも一番の甘えん坊でした。
しかし、親ネコは突然姿を消してしまい、一匹はもらわれていき、もう一匹は事故で亡くなり、ホワック一匹だけが遺されてしまいました。
それからは、私が自宅にいるときは、食事をするときも寝るときもいつも一緒に生活を―。

命のぬくもり
それが突然昨年の春に体調を崩し、ほとんど寝たきりの状態になりました。
ベッドの脇に置いたお皿の水を飲むときしか立ち上がろうとせず、日に二、三度私がトイレに連れて行く以外は、ずっと寝たきりのままでした。

毎朝目を覚ますと、私はふとんの上で寝ているホワックのやせ細ったからだをそっと触ります。
ぬくもりがあることで、あぁ今日も生きている...と感じるような日が続きました。
水だけの生活で二週間を越えた頃、少し元気を取り戻したかのように見えました。
少しずつ食べ物を口にするようになり、天気の良い日には自分の力で外に出ることも。

それでも、約一ヵ月後、ホワックは静かに息を引き取りました。

体調を崩した直後の二、三日はその状況がなかなか受け入れられませんでしたが、時間が経つなかで少しずつ覚悟が出来ていたというものの、やっぱり悲しい別れでした。


正しく受け入れる
そのホワックの一周忌がまもなくやってきます。

「一周忌」。
私はこの言葉をこう味わわせていただいています。

「忌」という字にはいろいろと解釈があるようですが、「己(おのれ)」の「心」と書くこの字。
ある辞書によると、この「己(き)」という字は「起」という字を表しているのだそうです。
本来の意味は心中にはっと抵抗が起きて、すなおに受け入れないことを「忌」というのだと。

確かに別れは悲しく、すなおに受け入れにくいものです。
しかし、その別れを通じてはっと目覚めさせていただくこと、気づかせていただくことも多いのではないでしょうか。

そんなふうに考えていくと、この「起」は《心中ではっと抵抗が起きる》というよりも、《心の中ではっと目覚める》と味わうことも出来るのではないでしょうか。

別れの悲しみは悲しみとして残ります。
問題はそれを正しく受け入れることが出来るかどうかです。
お釈迦さまは私たちの苦しみを四苦八苦と示されるなか、愛別離苦という苦しみがあること、そしてそれらの苦しみを取り除く方法として、八つの正しい道(八正道(はっしょうどう))をお示しになり、正しく物事を見つめ、受け入れていく方法をお説きになりました。

しかし、苦しみを正しく受け入れることが出来なければ、その別れは悲しいままでむなしく過ぎ去っていきます。
私たちは阿弥陀さまの教えに遇(あ)うなかで、その悲しみをそのまま受け入れ、それをご縁に自分を見つめ、はっと目覚めさせていただくご縁をいただいています。

一周忌とは、亡くなって一年の時を経て、改めて法に遇い、そのなかで己の心を見つめ、ふりかえり、はっと目覚めさせ、気づかせていただく。
そしてその出遇いをよろこび、感謝する日と。
こう勝手な味わい方をしています。

ホワックという小さな命が、私にいろいろなことを教えてくれ、いろいろなことに導いてくれました。
そして、亡くなった今もこうして私を仏縁に導いてくれる存在となっています。
私はそのご縁に法に遇い、自らをかえりみて、はっとまた目覚めさせていただこうと思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/