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「千の風」と仏教 みんなの法話

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「千の風」と仏教
本願寺新報2007(平成19)年9月20日号掲載
京都・顕真学苑副幹 梅原 麗(うめはら れい)
やわらかい子供の心に

京都の空に、さやかに秋の色が漂う頃となりました。

私が町内の子どもたちの夏の行事で、み仏のお話を聞かせてあげるご縁をいただくようになりましたのは、お話のご依頼がございました時、未来のある子どもたちの柔らかい心に、仏さまのお話を聞かせてあげるのは大変重要なこと、ぜひともお引き受けしなければ、と考えたからでございます。

今、「千の風」という詩がとても話題になっておりますので、子どもたちには正しい仏さまのお話をしなければと思いまして、今回は、この詩をとりあげました。
行事には子どもたちのみならず、ご家族の方々もご一緒ですので、次のような少々大人向きのお話となりました。


終わりなく巡るいのち
昨年頃から「千の風になって」という歌がとても流行して、いろいろな所で歌われていますね。
亡くなった方々が千の風になっているという詩を聴いて、多くの方々が涙したと聞いております。
確かに、亡くなった方々がすべて千の風になって、仏さまのようにとらわれのない心で、自由に世界を駆け巡ることができたら、それはとても素晴らしいことで、本当にそうあってほしいものです。

ただ、この世界にあるのは、風や光や雨ばかりではありません。
この世界には人間や犬や猫や虫など、たくさんの生き物たちが生きていて、みな生きていくのに一生懸命です。
生き物たちにとっては、生きていくのは大変なことなので、みんなそれぞれの世界で、時に喜び、時に苦しみながら生きています。

実は、私は幼稚園の年長組の時に、祖父から、生き物たちが巡っている六つの世界のことを聞きました。
六つの世界とは、一つ目は天人や天女の住む天の世界、二つ目は人間の住む人間界、三つ目は動物の住む畜生界、四つ目は戦争ばかりが起こっている修羅の世界、五つ目は飢えや渇きに苦しんでいる餓鬼の世界、そして六つ目は苦しみばかりの地獄の世界です。

生き物たちはこの六つの世界をぐるぐると回っていて、ここから脱出するには、仏さまになるしかないのだ、と祖父は教えてくれました。

いのちは、終わりなく巡るものなのです。
仏教とは、すべての生き物が仏さまになるための教えだといえます。
仏教には、さまざま宗派がございますが、どの宗派も皆、生き物が仏さまになることを目指しているのです。

かぎりなく輝くこころ
その生きとし生けるものを、自由でとらわれのない、さとりの世界にすくい取りたいと願われているのが、仏さまの限りなく輝くお心なのです。
すべての生き物は、仏さまの願いの中にあるのです。
その願いによって、いのちあるものはみんな仏になることができるのですけれど、生き物たちの心は、絶えずこの世界のさまざまなことにとらわれて揺れ動きますので、その仏さまの願い、お慈悲のお心が、煩悩の闇に隠れ見えなくなっているのだけなのです。

人間が仏になるには、すべてのいのちをさとりの世界にすくい取るという、仏さまの限りなく輝くお心をいただくことが大切なのです。
それを浄土真宗では、「信心をいただく」とか、「お念仏をいただく」と言うのです。
お念仏をいただいて、すべてのいのちがみな共にさとりの世界に生まれるという信心をいただいて初めて、人間はすくわれるのです。
そして、次の生にみ仏となり、千の風のようにとらわれのない自由な心で世界を巡り、縁のあるすべての方々を自在に助けてあげることができるのです。
み仏のすくいとは、み仏が私たちの内なるいのちとなって現れてくださることなのです。

今日は、すべてのいのちあるものは、仏さまのお慈悲のみ光に照らされているということ、そして、すべての人間が千の風のようにとらわれのない心になるには、その仏さまのあまねく照らすお心に気づいて、その尊いお心をいただく、つまりお念仏をいただくことが大切なのだということについて、お話いたしました。

ですから、人間としていのちをたまわっている間に、どうか仏縁を持っていただきたいと願っております。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/