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「ほんとう」のことを聞く みんなの法話

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「ほんとう」のことを聞く
本願寺新報2006(平成18)年10月1日号掲載中央基幹運動推進相談員 小林 義教(こばやしよしつぐ)人の都合でランク付け先日、国際天文学連合の総会で、冥(めい)王星は惑星から「矮小(わいしょう)惑星」となり、太陽系の惑星は「水金地火木土天海」の八個となったことが報道されました。
そこで早速、教科書の改訂などが急がれ、学校も当惑しているようですが、冥王星こそ、人間よりはるか以前にこの宇宙で存在していながら、人間の都合によって、惑星から降格だの除外だのと勝手にランク付けされ迷惑しているのかも知れません。
</p>この話題から、以前に掲載された朝日新聞の天声人語を思い出しました。
それは、公立小学校の生徒を対象に実施した学力調査の結果を取り上げたものでした。
太陽と地球についての設問の解答として、『太陽が地球の周りを回っている』と42%の生徒が答え、太陽の沈む方角についても、正答の西は73%で、東が15%、南との解答も2%あり、都市部ほど正答率が下がる傾向であったという内容でした。
</p>私は、この記事を読んで、確かに知識としての「ほんとう」のことを知らないことは問題だけれど、知らずにいてもそれなりに人生を過ごしてはいけるのだろうなあという奇妙な思いが浮かびました。
</p>しかし、「ほんとう」のことを知らないで過ごしてしまう人生を想像すると、そこに言い知れぬ虚(むな)しさを感じてしまいます。
やはり、私たちには知らなければならない「ほんとう」があるのではないかとあらためて考えさせられたのでした。
</p>真実は如来如来は真実私たちは、誰もがそれぞれ懸命に豊かな人生を求めています。
でも、忘れてはならない大切なことは、その豊かな人生は、モノやお金や学力で得られるということではなく、虚しく過ごすことなく充実して生きることにあるのではないでしょうか。
</p>そして、知らなければならない「ほんとう」とは、私が正しいと思っても、あなたにとっては間違いに思えたり、あなたにとって嬉しいことが私には嫌なことと感じたりするものではなく、私たちの思いやはからいをこえた偽りや見せかけではないもの。
また、不実を実なるものにしようと、すべてに等しくはたらく「真実」といわれるものです。
</p>親鸞聖人は、「真実といふはすなわちこれ如来なり。
如来はすなわちこれ真実なり」(註釈板聖典234ページ)と、「あなたの人生をけっして虚しいものとさせはしない」と立ち上がりご苦労くださる、阿弥陀如来の願いこそが知らなければならない「ほんとう」であると教えてくださるのです。
</p>「誕」の字は"でたらめ"さて、親鸞聖人の教えは、どう生きるかということばかりではなく、なぜ人間に生まれてきたのかという、私のいのちの根本を問うものでもあります。
</p>そこで、「誕生」の意味を辞書で調べてみますと、驚くことに「誕」の意味には「うまれ」ばかりではなく、「いつわること・でたらめ・うそ」(広辞苑)と表記されていました。
</p>そうすると、私は「うそ・いつわり」をも持ち合わせた人間として生まれたということになります。
では、この「うそ・いつわり」の人生をどう受け止め、「真実」に生きる人生にしていくことができるのか。
そこに、人間に生まれたことを問うひとつの出発点があるように思えます。
</p>聖人は、ご自身を「自我にとらわれ煩悩にまみれた愚かで恥ずかしいわが身である」と語られます。
しかし、それは「なればこそ捨ててはおけない」との阿弥陀さまの大慈悲に抱かれ照らされてこそ、知ることのできる「ほんとう」の姿なのでしょう。
</p>「うそをうそ、いつわりをいつわり」と目覚めさせ、真実の世界(浄土)に生まれさせんとする阿弥陀さま(真実)との出遇(あ)いの尊さと喜びを、聖人は自らの生涯をかけて伝えてくださり、「あなたの人生をけっして虚しいものとはさせない」と願いはたらきかけてくださっている阿弥陀さまとの出遇いに、私の生まれた「ほんとう」の意味があることを教えてくださいます。
</p>このことを、お聴聞のなかで気づかせていただくとき、「誕生」の意味が辞書とは異なる、「かけがえのないいのち」とかがやいていくのでしょう。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/