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「おかげさま」の目覚め みんなの法話

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「おかげさま」の目覚め
本願寺新報2000(平成12)年7月1日号掲載
北畠 晃融(きたばたけ こうゆう)(中央仏教学院講師)
雨季に"安居"

え.秋元 裕美子
ここ数年は異常気象だといわれ、四季の訪れの遅速はあるようですが、6月に入りますと、梅雨の季節が確実にめぐってくる京都です。

雨の季節になると、仏教教団では僧侶たちが一定期間、外出を避けて修行に専念したので、その期間のことが"安居(あんご)"という言葉でよばれています。

つまり、雨季などと訳される安居とは、夏の雨季を好機としてとらえ、精舎などにこもって仏道を求めるという意味と、雨の時に道路を歩くことによって、虫や草木を踏み殺す恐れがあることを避ける(あらゆるものの生命を尊ぶ)という意味があるようです。

しかし、私が生きていくためには「他の生命を奪わねばならない」という悲しい現実があることも事実です。

私たちの生活は、本当に多くの生命の犠牲の上に成り立っていることを詫びつつ、感謝しつつ...。
仏教の教えを聞くとは、その思いをあらわすことでもありましょう。

妙好人・榎本栄一氏は『罪悪深重』の題で

<pclass="cap2">私はこんにちまで、海の、大地の
無数のいきものを食べてきた。

私の罪深さは底知れず

とうたっています。
多くの生きものの犠牲によってしか生きられぬ私の生命の悲しさに目を向けてくれております。

30万匹が犠牲
昨年は卯(兎)年などといわれ、よく兎に関する放送がありました中に、「かわいい、なかない、においがしない」ということで、よくペットとしてかわいがる人が多いというニュースがありました。
しかし、以前に読んだ『動物実験を考える』(野上ふさ子著)の中に、化粧品を作るための実験として使われていた兎のことが書いてありました。

「兎は涙腺が発達してないので、異物を目に入れられても涙を流して洗い流すことができません。
痛い目にあわされても泣いたり...の声を持たない動物です。
この特性を利用して、化粧品の原料を兎の目に毎日注入し、目の粘膜がただれ腐り、役にたたなくなった兎は廃棄物として処分される。
日本での処分される数は年間約30万匹である」との文章を読んだ時、私たちが何気なく使用している化粧品の陰でなんと多くの犠牲があったことかと驚いたことでした。

身体に感謝
私の身体の中のことも同じことなのです。
以前に、NHKの「驚異の小宇宙-人体」という番組を見て、本当に驚かされました。

約500種ぐらいの働きを持ち、本当に我慢強く私の身体を支えるために働いてくれる。
"沈黙の臓器・肝臓"。
これを人工的に作るには東京都ぐらいの土地に工場が必要で、費用も何兆円もかかるのだそうです。
それが私の手のひらにのるぐらいの大きさになって、四六時中働いて私を支えてくれているのですから、まさに不思議な私の身体に感謝せねばならぬのでしょう。

榎本栄一さんが「ぞうきん」という詩も書いています。

<pclass="cap2">
ぞうきんは
他のよごれを
いっしょうけんめい拭いて
自分は
よごれにまみれている

本当にそうでした。
私たちがいつも使っているぞうきんは、自分は汚れにまみれながら、まわりの世界を、きれいにしていく。
バケツの水ですすがれ、再び汚れにまみれていきます。
誰にも気にとめられないが、大事な仕事をしているぞうきんでした。

生かされる私
ふと気付いてみると、私たちは本当に多くの願いの中で生かされておりました。
夫妻であり、親子であり、友人であり、私たちを心配づめ、願いづめの人々がいてくれました。
いや人間だけでなく、この私を生かしてくれる兎をはじめとする動物も、私の身体を形づくってくれている肝臓などの臓器も、陰になって私を支え続けてくれているのでした。

つまり、私たちはいつも光につつまれて日暮らしをしているといえます。
このことに気付けば、「おかげさま」と言わずにおれないのではないでしょうか。
親鸞聖人は

<pclass="cap2">智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ
(「浄土真宗聖典(註釈版)」557頁)

と述べられています。
阿弥陀さまの光のはたらきには限りがありませんので、すべての人々を照らし出し、護ってくれているのです。

このように、それぞれの限られた人々だけでなくあらゆる人々を幸せにしようとはたらいている世界を、聖人は「南無阿弥陀仏」と教えて下さいました。
このことにうなづきながら、阿弥陀さまを中心とする生活をさせていただきたいものです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/