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「あえてよかった」 みんなの法話

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「あえてよかった」
本願寺新報2008(平成20)年2月10日号掲載
本山・布教研究専従職員 三玉 順章(みたま じゅんしょう)
明日おやついらんとね

今から二十年ほど前、私が小学生の頃のことです。

夕方お寺に帰ると、いつもすぐに祖母の部屋に行っていました。

「ただいま。
おばあちゃん、今帰ったよ」

「おかえり。
今日は早かったね。
これでおやつば買ってきんしゃい」と、祖母から百円玉一枚をもらい、近くのお店におやつを買いに行きます。
当時は百円で十分なおやつが買えていました。

そして、テレビを見ながら、楽しくおやつを食べていると、「順章さぁん。
本堂におつとめに行くよぅ」と、声がかかるのです。

「おばあちゃん、まだおやつ食べとらんよ。
後でお参りするよ。
先に始めてていいよ」

その後に、少し声を高めにした祖母が「あらぁ、それじゃぁ、明日のおやつはいらんとねえ」と、からかうのです。

明日のおやつも大事ですから、急いで「いるいる。
ちゃんとおつとめするよ」と、祖母を追いかけます。

本堂へ遅れてお参りすると、すでに「きみょうむりょうじゅにょらい・・・」と、お正信偈が始まっています。

祖母の真後ろに正座して一緒におつとめをします。

しかし、そのスピードはかなりゆっくり丁寧で、祖母のマイペースで進みます。

そんな時「早く終わりたいなぁ」と悪知恵が・・・。

一つの事を知らせる為
お正信偈の中に「天親(てんじん)菩薩」という同じ言葉が二回でてきます。
そこを利用することを思いついたのです。

一回目の「天親菩薩造論説」のところまで読み進んだ時、私は声を高くして「てんじんぼさつろんちゅうげ ほうどいんがけんせいがん」と、二回目の「天親菩薩」のご文を読んで、その間を省略しようとしました。

すると、祖母のおつとめの声がピタッと止まります。

阿弥陀さまを背にして向き直り「ご開山聖人さまのお言葉だから、間違ってちょうだいしたらいかん」と、私に注意してくれました。

そして、おつとめが終わると「順章さぁん。
早く大きくなって、ご開山さまのお話を、ご門徒さんやばあちゃんに聞かせてね。
今日も一緒におつとめができてよかったぁ」と、祖母は口癖のように話していました。

その頃は「いつも同じことばかり。
そんなに早くは大きくなれないよ」と、私は心の中でつぶやいていました。

そんな祖母の「十三回忌法要」が、昨年の春に営まれました。
おつとめを終え、ふとあの頃を思い出すと、「なまんだぶ なまんだぶ」と、お念仏がこぼれました。

祖母の人生は、幼い時に両親、四十歳で連れ合い、そして五十歳で長男と、厳しい別れが続きました。

まさに「生は偶然・死は必然」と、生死(しょうじ)無常の理(ことわり)を肝に銘じた人でした。
そして、六十歳の時、孫の私が生まれたのです。
祖母は殊(こと)のほかよろこんだそうです。

祖母は私に「阿弥陀さまのお給仕をさせてもらうんだよ。
そしてお聴聞することを忘れないでね」と、このこと一つを知らせるために、厳しい生涯を終えたのだと思いました。

お念仏の中 いつも一緒
親鸞聖人は、法然聖人とのであいによって阿弥陀さまの願いをお聴聞されました。

その願いとは「あなたを必ず浄土に生れさせ、おさとりを得させる身に私がします。
だから、あなたは死ぬ身ではなく、浄土に往(ゆ)き生まれる身だよ。
安心して人生を歩んでくれよ。
あなたを決して一人にはしない。
『南無阿弥陀仏』となって、あなたとともにいるよ」ということでした。

そして、捲(あ)きることなく、休むことなくはたらいてくださる阿弥陀さまに出遇(あ)われました。

私は祖母とのであいによって、「南無阿弥陀仏」に出遇うお育てをいただいたと思っています。

今はいくら祖母のことを思っても、その姿にであうことはできませんが、「南無阿弥陀仏」の中でいつも私と一緒にいてくれています。

そのことを教えてくれた祖母に、心から「あえてよかった」と、今をよろこんでいます。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/