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"地獄"を見てきたもの みんなの法話

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"地獄"を見てきたもの
本願寺新報2006(平成18)年3月20日号掲載
熊本・光尊寺住職 斉藤 真(さいとう まこと)
ハンセン病今なお差別

今年の二月、奄美大島に行きました。
旅の大きな目的は奄美和光園の訪問です。
和光園は、日本全国に十三ヵ所ある国立ハンセン病療養所の一つで、全国の療養所の中でも最も入所者数が少なくなっている園です。
訪問の時で既に六十四人で、その平均年齢は約八十歳。
入所者でつくられている自治会はその役員の担い手がなく、昨年から休会となっていました。

ハンセン病は、国内では既に医学的にはまったく恐れる必要のない病となっていますが、病気が完治したあとも残る後遺症の外見などによって、あまりにも長い間、偏見・差別の対象とされ続けてきています。
二〇〇四年の熊本県における"宿泊拒否"事件と、その後の療養所への心ない誹謗・中傷の殺到は、まだ私たちの記憶に新しいところです。

特に日本では、明治時代からほぼ九十年間、世界にも類を見ない厳しい隔離政策がとられ、そのことによってハンセン病への差別と偏見は、さらに強められてきた歴史を持っています。

二〇〇一年五月、熊本地裁はその国の政策が過ちであったとする明確な判決を出し、国もそのことを認め控訴を断念しました。
そしてその後の裁判原告や全国ハンセン病療養所入所者協議会の人たち等の取り組みにより、現在、一定の改善も図られつつあるところです。

将来の構想に期待と不安
しかしいかんせん、全国の入所者の平均年齢は既に七十歳代の後半にあり、療養所でなくなられる方の数は年々、増え続けているという現実があります。
そうした中、現在、多くの注目を集めていることの一つが療養所における「将来構想」の問題です。
それは、入所しておられるみなさんにとっては、数十年もの間、暮らし続けてきた終(つい)の棲家(すみか)が、今後どうなっていくのかという不安でもあります。

和光園は現在、全国の療養所が今後進んでいくべき道の最先端にあるともいわれています。
全国の療養所で近い将来の課題と考えられていることが、既に現実問題となりつつあるその場所で、そこに暮らし、関わっている方々の声を直接に聞かせていただく中に、私自身の関わりということも含めて、喫緊(きっきん)の課題である「将来構想」の問題を考えさえていただきたいというのが、今回の旅の目的でした。

私の無関心"闇"の深さ
お話をお聞きすることができた方々のお一人に、療養所内にあるキリスト教会の牧師さんがいらっしゃいました。
その牧師さんはご自身が入所者で、入所された頃は、お念仏をよろこぶ会の会員でもあられた方です。
その牧師さんが、こんな事を語ってくださいました。

「今は、ハンセン病と呼ぶけれども、昔はそうではありませんでした。
当時、その言葉に出あうということは、とてもきれごとだけでは済まされない大変なことで、まさに"地獄"でした。
療養所に入所しているほとんどのものが、その"地獄"を見てきたものなのです。
ハンセン病救済というけれど、その"地獄"を見てきたものが"救われる"とは、一体どういうことなのでしょうか」

ここに語られる"地獄"とは、人間の力では量り知ることすらできない深い"闇"のことではないでしょうか。
その"闇"は、かつてハンセン病を患った経験のある方々だけが出あわれた世界ではなく、まさに無関心というままにハンセン病者を差別してきたこの私のところにもあるものではないでしょうか。

お念仏をいただくとは、この私の限りなく深い"闇"への出あいでもあります。
そして同時に、その"闇"の深さを見通し、歩み出すべき真実の道をも示してくださっていた阿弥陀さまへの出あいでもあるのです。

ハンセン病問題において、かつて浄土真宗が"隔離"という枠を自らの力で超えることができなかった歴史の事実をふまえる時、今回いただいた牧師さんの問いは、強烈な印象を持ってまだ私の心の中に残り続けています。
今回の奄美は、お念仏をいただく私にとって、簡単に答えを出してはならない宿題をいただいた、忘れることのできない旅となりました。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/