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親鸞聖人の祥月命日のご法事 12

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親鸞聖人の祥月命日のご法事、報恩講がここかしこのお寺で勤まります。そしてご門徒のお内仏毎に、帰命無量寿如来、お正信偈の声が響きます。真宗門徒のゆかしい報恩行、おとりこしが営まれる季節となりました。

お正信偈に添えるご和讃は”五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん 信心まことに うるひとは このたびさとりをひらくべし”以下六首、正像末和讃から特に取り出してお称えする慣わしです。

自ら力を尽し、功徳・善根を積んで百大劫。命を連ね、劫を累ねて到りつく菩薩の頂点を極められた弥勒さま、阿弥陀さまのお覚り同等の智慧を持つに至って、最早真の覚りは確定しきって、正定聚の位にのぼりつめられましたが弥勒菩薩。

ひるがえって私も有難くもはや正定聚。阿弥陀さまの智慧のみ光お慈悲の真命、無量の功徳を集めて持ち込み御成就(おしあげ)の名号、ナンマンダ仏に大安堵の身と成りおおせております。頭から爪先まで、五体中はおろか思いの裡の端々まで、光寿無量の如来(おや)さまが、余すところなく漲り満ちて離れず私にご一緒していて下さいます。念仏行者、私はまさしく弥勒に同じ正定聚。

いつも語ります親友・広兼至道君。彼は骨髄ガンの骨のウズキ、こみ上げる咳に耐えて”ご開山さまが、凡数の摂に非ず、と仰言いますから”と呟いた喜びも、ここの処のお領解でした。

信心の行者は、只の凡夫ではありません。この生死の息絶え命終る忽ちに覚りの仏たらしめられます。阿弥陀さま本源の覚り大涅槃に及びます。”このたび覚りを開くべし”という、ご開山のお喜びを慶んだ至道君でした。

すぐ帰ってきますと、還相の大利益まで仰いで往きました。


藤岡 道夫