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聴聞雑記

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目次

聴聞雑記

念仏禁止

うらの仏法は念仏やめよ うらが称えりゃ名聞利養 人に見せかけ、世間をだまし 己が己に、ごまかされ うらが称える念仏やめて うらがの心に、念仏禁止の札かけりゃ 知らずに始まる、なむあみだぶつ 念仏往生さかんなり

うらの仏法は餓鬼根性 自分が仏を引き寄せて うらが仏を摂取して ご恩報謝の念仏称え こんな念仏、やめねばあかん うらが称える念仏止まりゃ ここへ飛び出る親がある 親から噴き出る念仏は 尊い香りのするものじゃ

うらの仏法は闇夜に鉄砲 的は分からず、無茶苦茶念仏 弥陀の本願利用して 安心決定、自分できめて ほんとにあぶない決定心 ああなさけなや、お気の毒

うらの仏法は玉手箱 弥陀から賜る玉手箱 如来他力のなむあみだぶつ あけずにおけばよいものを あければ驚く玉手箱 中の品物、化けものばかり うらがあけたら、化けものじゃ おけずに居られん、この爺々は うらはそのまま、ままのまま

うらの仏法は分限ちがえ 諸仏は称名、衆生は聞名 ちゃんと分限があるそうな うらが違えて称名するで 毒気・殺気で人さま逃げる こらっ、念仏やめんかい うらが称えるで、なかったわ

うらの仏法は四十九願 どこで一願ふえたのか よくよく自分に、たずねたら 成ろう、成れるの一願寝とる これで四十八願、まるつぶれ うらの仏法は割り切れん 割り切りたいのが、うらの自性 割り切らさんのが、なむあみだぶつ

明治二十三年に越前に生まれた前川五郎松翁のうたです。小生の母親に翁が下さった「一息が仏力さま」という自費出版の本に載っているものです。 小生は二十数年前に2~3回お目にかかったことがありましたが改めて本を読んで浄土真宗はとんでもない人を育てるのだなぁと感嘆しています。


他力とは

家の家爺さんや婆さんはあまり信心という言葉を使いません。ご信心と言います。 仏様ではなく親様とか阿弥陀様とか言います。仏教とは言わずに仏法とか、おみのりと言います。説教ではなく、お聴聞とかご法座と言います。

最近この事に気がついたのですが、このような言い回しの中に浄土真宗は生きているんですね。 自分が求めて獲るならば、ご信心などとは言いません。求める私に先行し て与えられているから、ご信心というのでしょう。 「水道の栓をひねったから、ダムに水が用意されてそれから私に届くので はないですよ。いつでも、どこでも、誰にでも届いているのに、ただ栓を しているだけです」と聴聞させて下さった和上さまがおられました。


「阿弥陀様、何処へ行ったと尋ねたら、お前離れて行く所なし」という言 葉がありますが、「自」にとっては「他」であるものが、実は一つであったという事なのでしょうか。


爺さんは「クセの念仏でも親様がホンマもんにして下さるんにゃ。南無の 機まで成就した親様や。ゴテゴテ言うのはまかさんからや」と言います。 親様という言葉の中に、無限の受容性を感じているのでしょう。

先達は

うら(私)の仏法は割り切れん 割り切りたいのが、うらの自性 割り切らさんのが、なむあみだぶつ

と言って下さいます。割り切るという言葉には分別の意味もあるでしょう が、初めから私を包んで下さってある、なむあみだぶつの親様なのですよ という意味もあるのでしょう。

そして、仏法とかおみのり(御法)と言ういい方は、自分が教えを知る前 にすでに阿弥陀様から願われていたという事の表現なのだと思います。 二元的な表現ではなく、法が法としてあるという事なのでしょうか。 (教学とかいうものには、まったく縁がないのでうまく表現できません)

また、聴聞という言葉に、他力というか受容する側というものを感じます。 教の位、聞の位という言葉を聞いたことがありますが、浄土真宗はどこま でも聴聞の立場なのでしょう。

最近、聴聞に行ってもあまり、なんまんだぶの声が聞こえません。 念仏成仏これ真宗と聞いてきた私にはなんとなく、さみしい気がします。 (もちろん、私の実践が問題なのですから、どうでもいい事なのですが) ただ、聴聞の中身に安心の話がないのがとても残念です。浄土真宗と言いながら浄土の話が、南無阿弥陀仏の話がありません。

家の爺さんは、南無阿弥陀仏のおいわれを

南無の二文字は そのまま来いよ 阿弥陀の三文字は 必ず救う 仏の一文字は 親じゃもの

と言いますが・・・・・。

貰いもの

過日、たまたまご法話の案内があったので、家族で聴聞に出かけました。 寺院の本堂には70人ばかりの同行が参集(ほとんど婆ちゃん)しご法話に耳を 傾けて、やがてお昼になりました。

この聴聞会ではある懇意な方が、昼食用に一人分毎に袋に詰めた菓子パンを配る事 になっています。 小生は世話役の人に頼まれて、聴聞に来た同行にパンを配ることになり、改めて 婆ちゃん達の顔を見ると、みんなそれぞれ違った顔をしています。

頭の毛の白い人やら黒く染めた人、ゴリラのような顔の人から優しそうな婆ちゃん までいろんな顔の年寄りがいます。 また体を見ても百姓仕事のせいか腰やら足の曲がった人、そうでない人など一人と して同じような年寄りがいません。

しかしどんな人にも同じようにパンが配られます。あなたは見るからに意地が悪 そうだからから半分しかあげませんというような事はありません。 みなさん平等です。

何故でしょうか。阿弥陀様のお慈悲を菓子パンに譬喩るのはおかしいのですが、貰 い物だからですね。

阿弥陀様は私達一人一人の生き方や行いを救済の条件とはなさいませんでした。 私が求める前に、私に先行して「なんまんだぶ」とたのませて「なんまんだぶ」と 聞こえて下さいます。 ただ頂くばかり・・・・・。


恩徳讃

とある聴聞会でのこと。


ある婆ちゃんが「兄ちゃん、若いのにようお念仏して偉いのぉ。うららお念仏が ちぃっとも出んのに。どしたらお念仏が出るんかのぉ」と問われました。 「念仏成仏是れ真宗って言うんにゃさけ、念仏させてもらおぅさ」等と話してい ましたが何かおかしい。

この婆ちゃんは浄土真宗は他力であるから自分の努力をしてはいけない、だから お念仏にも努力をしてはいけないと思っているのでしょう。 たしかに全分他力の浄土真宗ですから信心の話は向こう側の持ち分です。 どれだけ逃げても必ずお前をとっつかまえて救うというのですから「ほほぅ、た いしたもんや」と聴いておけばいいのですね。こちら側のすることは何にもない のですから。

蓮師は「御文」の中でくどいほどに、そのうえの称名は御恩報謝であるとお示し 下さいました。 「新聞紙を丸めてゴキブリを叩き殺しても「なんまんだぶつ」ですよ、かわいそ うだから称えるんじゃないですよ、まして殺生の罪を消すための称名ではありま せんよ、ただただ こういう事をしてしまうどうしようもないお前を必ず救うと いう親様のお慈悲を報謝するための「なんまんだぶつ」です」よと、御恩報謝の お称名のいわれを聴聞させて下さった和上様がありました。

信心の話と御恩報謝の話は理屈が違うのですね。信心は向こう持ち、御恩報謝は こちら持ちでした。 私の側の御恩報謝であるからにはどこまでも努力しなければならないのでしょう。 お念仏は出るものではなくて私がするものでした。

いやはや「恩徳讃」の厳しいこと。上尽一形、報謝無尽の「なんまんだぶつ」で はありました。


如来の作願をたづぬれば

「いずれにも 行くべき道の 絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏」とか「念仏は口で称えりゃ呪文になるぞ。心で称えりゃ神頼み。出てくださるのを拝むだけ」と教えて下さった先達があります。 どうして私の口から「なんまんだぶつ」と出る声を拝むということがありうる のでしょうか。そしてそれが、ご信心なのですよという事の関係はどうなっているのでしょう。

宗教には「私」の外部に超越的な存在を求めるものと、「私」以外に私を支配するいかなる超越者をも認めないものとがあると聞いたことがあります。「私」の外部に存在する超越者と、「相対する私」との間には常に緊張感が存在します。あくまで向き合ってこそ成立する関係なのでしょう。

ここでは、信ずる事が要請され、信じたら助かるとか、真剣な求道とかが要請されます。信は「私」の求むべき対象であり、目標であり思議すべき範疇にあるものになります。 ですから「存在」は「私」によって確立されるものとなり、証明されうるものとなります。 このような立場では、信ずるという事は、不確定なものをそうであると思い込むことになり、「私」の中に確信を生じさせる事になります。

「自力の中の自力とは、いつも御恩が喜べて、ビクとも動かぬ信心が、私の腹にあるという、凡夫の力みを申すなり」という立場はこのような、状態をいうのでしょうか。

本堂で寝転がっている讃岐の庄松同行を咎めた人に「ここは親のうちじゃ遠慮はいらん。そういうお前は継子じゃろ。」と庄松同行が、言ったとの事ですが、このような関係は、自己の外に超越者を認める立場からは成立しません。

私は「浄土真宗は廻向法なのですよ」という言葉を長い間誤解していました。私の外なる仏様が、私の求むべき目標となって、私が変わって救われるのかと思っていましたが、三年ほど前に「お前、そりゃぁ違うよ。お前が無始曠劫以来変わらんから、変わらんお前に阿弥陀様が変わって、お前を救うんだよ」との和上様のお示しでした。

私の分別が大事なのではありません。 私の真剣が大事なのではありません。 私に至り届いているお念仏が大事なのですよとのお示しでした。 「阿弥陀様が、ごいっしょ」なのであって、「阿弥陀様と、ごいっしょ」じゃないと教えて下さった御院家様がありました。まさに「阿弥陀様、何処へ行ったと尋ねたら、お前離れて行く所なし」なのですね。「親のふところ住まい」なのでありましょう。

宗祖は、仏願の生起のところからすでに廻向なのですよとのお示しであります。

如来の作願をたづぬれば  苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて  大悲心をば成就せり

私をお慈悲の中身として包んで下さる阿弥陀様であるから、耳に聞き口に誦することのできる「名」となって私に届いて下さるのでしょう。自分で称え自分で聞くようだけれども、「なんまんだぶつ」は「そのまま来いよ、まちがわさんぞ、待っておるぞ」と呼んで下さいます。


おふみ

九州の嬉野温泉へ聴聞に出かけた時のことでした。ご法話の後、和上様が 聖人一流の御文をあげておられる時小生も同じように御文を口ずさんでおりま した。

ふと傍らを見ると、19才ぐらいの娘さんが両手をついて深々と頭を垂れて 御文を拝聴しているのが目にとまりました。 びっくりしました。小生の聴聞歴の中でこれほど丁重に御文を拝聴している姿は 見たことがありませんでしたから。 同時に聴聞とはこういう事であったか、小生は今まで聴くということを誤解して いたなと気づかせて頂きました。

聴くと聞こえてくるのが阿弥陀様のおみのりと聴いてはきましたが自己の分別で 聴いてきていたのです。小生の理解できる程度に聴いていたのです。 浄土真宗は聴聞に極まると聞いてきながら、ともすれば仏書を紐解きお聖教を読 み理解することが大切だと思っていたのです。 御文は読んで理解するものではなく、唯々 聴くためのものであると教えて頂い た事でありました。


かえるの聴聞

最近は小生の住んでいる越前の田舎でも蛙が少なくなりました。結婚当初家内が蛙の鳴き声がうるさくて眠れないと言ったほど沢山蛙がいたのですが.....。 家の爺さんは昔自分が聞いた聴聞をよく小生にしてくれるのですが以下の三願 転入のおたとえは蛙の話です。

手をついて、あたまの下がらん、かえるかな (一九願)

水にいて、雨を求める、かえるかな (二〇願)

釣瓶(つるべ)にて、汲み上げられたる、かえるかな (一八願)

小生はいわゆる三願転入派ではありませんが先達は面白いおたとえで御法義を 伝える為に苦労なされたのですね。 子どもの頃に小さな池の中にいる蛙が外に出ようとしているので、棒切れで蛙を上に乗せて池の外に出してやろうとするのですが、乗ったかと思うとピョンと飛び降りてしまいます。 何回やっても棒切れに乗ったかと思うとピョンと飛び出すので業を煮やしてバケツで蛙を汲み出したことがありました。 でも翌日になるとまたちゃんと池の中に戻って外へ出ようと跳ねていました。

三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき

大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり

ガンジス河の砂の数ほどの仏様が南無阿弥陀仏とお示しにも関わらず逃げてき たのがお前の歴史だよと宗祖はお示しです。 「いずれにも ゆくべき道の 絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏」ですと 自力無効を教示された善知識がおられます。 浄土真宗は阿弥陀様の本願他力回向のご宗旨でありました。


報恩講と三人の婆ちゃん

あるお寺での報恩講の時、夜の御法座まで時間があるので七・八人の同行が 本堂で雑談をしている所へ当時八十八才の老院がおいでになり「今日は御開 山様の報恩講や御法(おみのり)の話をしてるかや」と言われました。 早速熱心な三人の婆ちゃんが老院を囲んで、ご示談ということになりました ので小生もお話を伺わさせて頂きました。

A婆「先生、私等ここで今まで話していたんですけど、おかげさまでやっと お念仏が分からせて頂きました。毎日有り難くて、有り難くてお念仏が 出止みません」

老院「ほほう、そやけどあんまりこっちが、阿弥陀様を使わんこっちゃ。 阿弥陀様が疲れるさけな」

B婆「先生そういう話ではないがです。私はこの間、御内仏でお勤めをしてい たら、御内仏の中が紫色にパーッと光りまして、ココヤと思ったんです」

老院「うん、御内仏が光る時もあるやろな、光らん時もあるやろな。こっちは そんな心配はせんこっちゃ」

C婆「いやいや先生違います。私はこの間畑仕事をしていまして、縄が少し足 らん用になったがです。その時に後ろを見よという声がしましてヒョイと 後ろを見ると丁度間に合う縄があったがです。ココヤと思いまして畑に座 りこんで涙流して喜んだがやです」

老院「そやろな、縄が有る時もあるやろし、ない時もあるやろな。みんな 阿弥陀様のお仕事や、いらん心配せんこっちゃ」

かくて三人の婆ちゃんの堂々めぐりが続いていきましたが、翌朝食事の時には あれほど喜んでいた三人の婆ちゃん達は、何かしら物憂い顔で食事をとっており ました。 婆ちゃん達は小生に信ずるという事を改めて考えさせて下さった善知 識でありました。

阿弥陀様の御本願があって、それを私が信じて救われる浄土真宗ではありませ ん。 「入れ物がない、両手でうける」という句を見たことがありますが、小生の心 には何処を探しても、信心を入れる入れ物がありません。

心に入れ物がないから「なんまんだ仏」と称えられ、受け取るだけの御信心を 仕上げて下さったのでしょうね。


富士の白雪ゃ、朝日で溶ける

富士の白雪ゃ、朝日で溶ける

凡夫疑い、晴らさにゃ溶けぬ

晴らそう晴らそうとするよりも

晴れたお慈悲を、聞きほれる

上記の句は家の爺さんに教えてもらったものですが、お念仏の先輩はあの手この手で阿弥陀様のご法義を顕彰なさってきたのですね。


先日、僧侶の方達の勉強会に参加させて頂きました。 勉強会でのテーマは蓮如上人の御文章であり、御文章(お文)は耳で聞くために述作されたものだとの、和上様のお話がありました。夜のご法話が終わって参加者で酒を飲んでいたときに、聴聞の話になりました。


たまたま布教師の方が数人おられたので、聴聞をしたことがありますかと小生が質問すると御本典を読んだり仏書を読むことはあるが、他の坊さんの法話を聴聞する事はほとんどないと答えられます。

小生は口の悪さと声の大きさと酒癖の悪いのは人に負けたことがないので「浄土真宗は聴聞に極まると聞いてるが、言ってる本人が聴聞しないのはどういう事か!!」と議論をふっかけたました。

当然、「御本典を学ぶことや、仏書を読むことも聴聞の一つです」との答えが返ってきました。

そうなんですね。最近の浄土真宗の布教師(この言葉は大嫌い)さんや、お坊さんと言われる人はこのような人が多いですね。

そのせいか浄土真宗に関心を持つ人の中にも、一回も御聴聞の経験がない人が増えています。いわゆる聴聞嫌いの仏法好きといわれる人たちです。(小生もその一人でしたが・・・・)

小生がご法座へ出かけて聴聞するのは、浄土真宗を理解するためや、疑いを晴らす為ではありません。阿弥陀様のお慈悲を聴く為に、晴れたお慈悲を伺う為の聴聞です。

耳に聴けば、聞こえてくるのは、何処までもお前を見捨てないとの「なんまんだ仏」のおみ法です。


ちょっと偉そうなことを書いてしまいました。慚謝 、慚謝 。


令諸衆生功徳成就

5月の下旬、石川県のある寺の仏法聴聞会に参加させていただきました。 全国から集まるご縁のある同行と会える楽しみな二日間の聴聞会です。九州からは二十人程の方達が参加しており、二年前山口県の聴聞でお会いした同行と、たまたま再会してお互い驚き合いました。


この寺の老院は九二歳におなりですが、いつも「いずれにも ゆくべき道の絶えたれば 口割りたもう 南無阿彌陀佛」と仰せです。

十数年前に初めてこの句を聞いたとき、これはまるで思考の停止ではないか、 何処までも自己を追求する事が大事なのではないか等と思ったものでした。

ゆくべき道の絶えた私に着目しての解釈で、口割りたもう「なんまんだ仏」が抜けていたのですね。

私の口に「なんまんだ仏」と称えられている事実に、驚くことが信心ですよと教えて下さった御講師がおられましたが、浄土真宗は「なんまんだ仏」のご法義でした。

御文の信心獲得章で「信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。」の「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」は声になって称えられ、聞こえて下さる「令諸衆生功徳成就」の「なんまんだ仏」でした。


むこうがわ

わすれ とおしの こちらを おぼえ とおしの むこう


おがんだ おぼえのない こちらを おがみ ぬいてる むこう


こちらの かるい かたのには むこうの なみだの おもいしょうこ


こぼれる ぐちは こちらのもの かえられた ねんぶつは むこうのもの


こちらに ゆだんが あろうとも むこうに ちりほどの ゆだんもない


なにもかも むこうが しあげて なにもかも いただく こちら


やるせないのは むこうがわ やせて つらいのは むこうがわ ただ せつないのは むこうがわ


たのんで いるのは むこうがわ つかんで いるのは むこうがわ すてられ ないのは むこうがわ


やっと しあげて いただいた となえる だけの おねんぶつ あわせる だけの この りょうて


はる 三月の ひだまりの ツクシのような こちらがわ


「そよかぜのなかの念仏」より 中川静村氏


家内の好きな句です。ある聴聞会でお会いした女の方が、自己紹介の時に「毎日ポヤポヤと生きさせてもらっている○○です」と挨拶なさいました。


他の大勢の方達は自分の信仰に入る経緯や、自己の人生を語りましたが 五十歳前後のこの女性は、決して自己を語りません。 そうでしたね。一人ひとりの人生は誰に語りうるものではありません。

生まれたときに真っ白な一枚の答案用紙を持って生まれてきたのがあなたの人生です。この答案用紙には何の問題も書いてなく、また提出期限もありません。あなたの人生が問そのものであり、自分自身の人生を通してしか答えを、出す事はできないのですよ。と聴聞させて下さった御院家様がおられます。

生きるということは、その人の人生を通してしか出すことのできない一人ひとりの問いと答えがあるということなのでしょうね。

独り生れ独り死し、独り去り独り来る人生に代理人はありません。称えるだけの、「なんまんだ仏」だけが私の語りうる相手になって下さいます。

はる 三月の ひだまりのツクシのような こちらがわ でした


遇うということ

小生の敬愛する藤原正遠師とある老婆との会話です。

「先生、私はすっかり弱って仕舞いました。医者の薬も効かなくなりました。足の裏にまで、ムクミが来ました。私の死ぬ日も近い様です。先生、死んだら、一体私はどうなるのでしょうね」

「死んだら冷たくなるでしょう。そうして火葬したら、骨と灰と残るでしょう」

「その位のことは私は知っています」と、老婆は半ば腹を立てた。

「では、あなたは一体、何を聞こうとなさるのですか」

「こんな浅間しい無力なものでも、阿弥陀さまはお浄土に連れて行って下さるでしょうか」

「私には分かりません」といったら、

「お坊さんが、それを知らないで、お坊さんの値打ちがありますか」と、老婆は、こんどは本気で腹を立てて来た。

「どんな浅間しい無力なものでも、お念仏をしたら、死んだらお浄土に連れて行って下さると、よしんば私が申し上げても、あなた自身が疑ってるのだから、又外のお坊さんにも同じことを聞かれることでしょう。


今迄に、何百回となくお坊さんにその話を聞き、何千回となく心にその言葉を繰り返しても、あなた自身が疑っているのだから、自分にしかと受け取れないのではありませんか。

今夜のことも分からぬ自分ということをあなたは知っていられます。明日どんなことが起こるかも、全く無知であるという自分を知っていられます。それだから、死後に阿弥陀仏は、私をお浄土に連れて行って下さるというても、あなた自身が信ずる訳にゆかぬのです。


疑うな、信じよ、念仏せよと自分にいい聞かせても、疑っている自分が、根本にいるのだから駄目なのです。念仏で蓋をしても駄目なのです。」


「いや、藤原先生が、お浄土に死んだら行くと断言して下されば、私はそれを信じます」

「人間が信じたのは、皆壊れます。人間の信というものは、思いなのです。自分の条件に叶えば信ずるし、叶わぬとその信は壊れます。若い男女が、条件が合っていると、『一生あなたを信じます』といい、条件が合わぬと、昨日の信は、今日の怨みと変わるのです。万事のことが然りです。」

「そうすれば、私はどうすればよいのですか」

「聖人のお言葉に、自力を棄てて、他力に帰すとありますが、あなたのお言葉を伺いますと、自力が残っているように思いますが」

「こんな明日も分からぬ命を抱えている私です。全く自力はありませぬ。自力は零といわれることが身に泌みています。」

「薬も効かず、足の裏までムクンでいられて、又自力はないといわれることは分かります。しかしお言葉の中に私は尚も自力が残っていられると見えます」

「では、その自力を教えて下さい」

「では申し上げましょう。お浄土に参らせて貰いたいという自力が残っています」

「これは『願生心』で、これを取ったら大変ではありませんか」

「参らせて貰うというのは、罪福心です。未だ『おまかせ』でなくて、『参らせて貰おう』という自力が残っているのです。『願生心』というのは、如来から廻向されるものです。『参らせて貰おう』という自力が棄たれば、あなたは、摂取の身であったことを知らせて貰います。

それが如来廻向の願生心の成就です。参らせて貰おうという餓鬼の念仏が、化土の浄土を願っていることになります。

餓鬼の念仏が棄たれば、機法一体、真実報土の往生を即刻させて頂くのです。長い長い間、私を茲にあらしめて下さっていた真のみ親を踏みつけていたのですね。茲に、自利利他円満、私もあなたも、万物すべて、南無阿弥陀仏のみ親の所産なることが信知させていただけますね。

臨終待つことなく、来迎たのむことなし。今茲に平生業成、み親に遇えるのですね。」

   「続一枚の木の葉のごとく」より

自力とか他力とか論じること自体が空しくなるような話ですね。

 

いずれにも ゆくべき道の 絶えたれば口割りたもう 南無阿彌陀佛


知られる私

他力とか自力とか物を二つに分けて理解することが、分かるということなのでしょうか。分かるということは字のごとく物を分けることから分かるといいます。ここから我と他、彼と此が出てくるわけですね。だから「我他彼此」(ガタピシ)と毎日忙しいことです。忙という字は心が亡くなると書くぐらいですから。

さて、私が私を知るということは可能な事なのだろうか。確かに私に知られる側の私は、私によって知ることができますが、知る側の私を私が知る事はできません。知る側の私を私が知ったとき、それは知られている私であって、知る私ではなくなります。

そうすると知る私であったものが、知られる私になって、これを知る私をまた知ろうとして永遠に無限ループに落ち込みます。

例えばお寺参りを始めた婆ちゃん達は「機の深信」の話を聞いてすぐに、私は罪深い者でありました、助からないという自覚の私でありましたと言います。

そのうち聴聞を重ねますと、私は助からない者でしたと見ている側の私が、実は善人の立場で私を裁いている事に気がついて、この私を罪深いと見ている私こそが、本当に罪深い悪い奴だということになります。

これではいかんという事で、本当に悪いこの私こそをハッキリ知らせてもらおうと聴聞に励みます。ある宗門(小生も門徒)では機の深信の話が中心ですから、これはいよいよ救いのない私でした、どん底の無有出離の私でしたとなります。

この頃からは最初なじみのなかった仏教用語も判ったような気になり、仏教用語を使って自分の中の私を見ようとします。宿業とか罪悪感とか罪悪生死の凡夫とかの言葉に囚われて、どちらかというと自虐的な立場が強くなります。

聴聞では相変わらず「助からない者を助けると自覚しろ」などとあおるものですから、いよいよに罪の深さを知らにゃぁいかんとなり、また世間や回りを見れば私がこんなに真剣に聴聞しているのに何たることかと、世間に対する働きかけが始まります。自信教人信の教人信の立場に立ちます。

しかし、ふと自分を考えてみるとそのような立場に立っていた私こそが、実は根本的にどうしようもない奴で、地獄行き間違いのない悪い奴だとなって、地獄行きである私を知らせてもらうためにいっそう聴聞に励みます。

聴聞では相変わらず、阿弥陀様のレントゲンに照らされて罪の深さを自覚しろ等の布教師の説教が続けられています・・・・・・・・・・・・。

かくて私を知るために、知る側の私を否定し、否定した私を否定しこれをまた否定し、四句百非を絶し去ったつもりでまた否定し、と延々と続きます。これを繰り返しますと「ええぃ、もうヤメタ」となって判らないままのお助けと自分で勝手に決めて聴聞にも行かないようになります。

小生の田舎には「大きな信心十六ぺん。チョコチョコ安心数知れず」という言葉がありますが、このような事を繰り返してきた先達が、機の深信の話や、布教師にだまされるなよという警句なのなのだと密かに思っています。

西の岸の上に人有りて喚ばひて言はく、汝一心正念にして直ちに来れ。我能く汝を護らむ。衆て水火の難に堕することを畏れざれ


と。 有名な二河喩のなかで善導大師は、私のことを【汝】として喚びかけられている側 であり、阿弥陀様を【我】として喚んでいる側であるとお示しです。


阿弥陀様が私を知る側で(主体)私は阿弥陀様によって知られる側(客体)です。 私が私を知るのではなく、阿弥陀様の方が私を知っていて下さるのでしたね。


どうしようもない教育も訂正もできない者と、私を見抜いて下さったからこその ご本願でした。 「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひ て、乃至十念せん」 とあなたが願われたのですから、私には私を知ることもできませんし、このいのち、何処から来て何処へ往くのか、また生も死も私には解りません。

ただあなたの願いに自分の人生を託して「なんまんだ仏」といのちの意味を見つめていきます。「なんまんだ仏」と声になって下さったあなたとともに、何が起こるか判らない、また何をしでかすか判らないこの私ですがあなたに願われていることの意味を聴き拓かせていただきます。

あなたが、「もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓って下さってあるので、あなたの言葉どおりに、あなたの処へ、お浄土へ生まれさせて頂くいのちと思い定めて生きさせていただきます。

あなたの誓願には、度衆生心までも用意しての往生成仏の浄土真宗と宗祖から伺いました。

あなたのお名前は「南無阿弥陀仏」と伺いました。この上は「なんまんだ仏、なんまんだ仏」とせめてあなたのお名前を称えながら、煩悩のどまんなかで貪愛瞋憎と遊びながら、このいのちを生きてまいります。


才市さんの

八月の末に島根県の温泉津(ゆのつ)へ家内と聴聞に行って来ました。例年の彰順会のご縁です。

全国からの何百という御同行と阿弥陀様讃歎の二日間でした。御法話の内容はみな忘れましたが、阿弥陀様はまだ、ぽやぽやと小生の胸の中になんまんだ仏の称名となり燃えて下さっています。 島根の御法中のみなさん、彰順会のみなさん有り難いご縁でありました。有り難うございました。 温泉津は才市同行にゆかりの地で、浄土真宗の土徳のあついところだと聞いておりましたが、小さな温泉街を歩いてみてあちこちに才市同行のうたが書かれてある事に、同じ門徒として嬉しくなりました。

小生の泊まった宿には「稼業するのも、南無阿弥陀仏。ままを食べるも南無阿弥陀仏」のボンボリがかかっていました。

煩憂悩乱の日常を離れて、温泉につかって自己を見つめ直すのではありませんでした。小生が阿弥陀様を求めるのではなく、阿弥陀様が小生ををどうしたらよかろうかと御心配なさったのですね。 阿弥陀様は私の、むさぼり、いかり、おろかさの三毒煩悩の中で口に称名となり聞こえて下さる本願力回向の仏様でした。

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし


葬儀について

今年は一月早々に叔父の葬儀に参列し、二月には富山で友人のご院家の葬儀に参列しました。 どちらも小生にとっては有り難いご縁でした。

さて、死者の剃髪式という事ですが参考までに小生の住む越前の田舎での事を書いてみます。昔は近親者が、たらいで沐浴させ頭髪をすべて剃りあげて納棺し、寺から借りてきた七条袈裟で棺桶を覆ったそうです。「鬚髪を剃除し金流に沐浴す」(大経)の故事でしょうか。

また通夜の時に赤飯を配り、皆で食べる風習がありますが、故人の往生浄土をめでたい事として祝うからなのでしょう。もっとも赤飯の色は、残された家族に配慮するせいか真っ赤ではなく幾分抑えた色ですが。

「越前の人間は非常識だ。葬式に赤飯を出すなんてと関東の人に言われたことがありますが、言ってる当人の方が非常識だと思った事があります。」 この場合、死者はたんなる亡骸ではなく、肉親として近親者として、そしていつか自分も往く浄土への同行としての扱いを受けるのでしょうね。その意味では浄土に往生した人の最初の還相の姿が、葬式でのいろんな儀式なのではと小生は思っています。(葬式でのおかみそりも含めて)

たしかに、「聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ(お文)」ですから剃髪式などというものは末の事です。まして有髪の坊主がおかみそりの儀などというのは言語同断なことです。

しかし、信心をもつて本とするからこそ末(どうでもいいこと)を末として遊び楽しむのも、浄土真宗のご法儀なのではないでしょうか。

信の上からは何にもすることがないのですから「次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ。(領解文)」と決められた儀式を楽しめばいいのでしょうね。


(小生はあまりまもっていませんけれどね)


そうぼんこ

 十二月は月初めに両月のオコサマ(御講様)の宿と、月末には年に一度の(ソウボンコ)総報恩講の宿を勤めさせてもらった。 小生の住む越前でもお講を勤めている在所は少なくなってきているが、何とかその命脈を保ってきている。

ことに年末のソウボンコ(総報恩講)は二日間にわたって、十数軒の同行衆が持ち寄った米や餅米、小豆、大根等を宿の家で煮炊きをしながらの行事である。

餅をつき小豆(あずき)をゆでて、持ち寄った薪で大釜で大根を炊きあげるのは、宗祖が小豆と大根が好物だったからと古老は言う。

夜は同行衆のオツトメ(正信偈唱和)の後、大釜で炊きあげた大根、牛蒡の煮付け、雪花菜の和え物と大豆の細かく砕いた通称「打ち豆のおつけ」だけの簡素な食事である。 何故か薬味に涙が出るほど辛い唐辛子が添えられるのは、宗祖の御恩に一筋の涙を流す事さえ知らない門末の為の先人の知恵だろうか。

やがて食後の正信偈唱和のあと、御伝鈔の拝読が手次の僧侶によって行われる。この時ばかりは台所の手伝いの女衆(オンナシュ)も皆、座敷に座って頭を垂れての聴聞である。

やがて手次の僧侶を囲んでの四方山話である。酒が入るのであちらこちらで話に花が咲き賑やかなことである。 台所では女衆の手で夜食のぜんざいが大鍋で炊かれ、甘いとか甘くないとか支度で大忙しである。 頃合いを見計らって、ぜんざいが運ばれるとどんなに酒を飲んでいても必ずお相伴する決まりである。 大根を食べ、小豆を味わって、御恩報謝のソウボンコの御開山聖人の夜の伽(通夜)の一日目はこうして終わった。

世間の人は笑います。科学万能の世に西方浄土を想い南無阿弥陀仏を称えるのは馬鹿だ、阿呆だと嘲笑します。 信心が大切だと偉い人たちは今日も説法獅子吼で勇ましいことです。

田舎の因習だと若い人は嫌います。講をして何になるかと御父父(おじじ)や御母母(おばば)を罵ります。 お寺や御講へ詣っても、少しも人間が丸くならんし頑固で愚かで曲がった松の木の根のように根性が悪いと責めます。

でも、良かったですね。お寺へ詣る道さえしらない人たちがいる中で、さほど喜んででは無いけれども、今年も御開山のソウボンコのご縁に遇えて良かったですね。

やがて病床で五十六億七千万のホンコさん(報恩講)の御和讃を思い出すときがあるかもしれませんね。 私が仕上げたのではなく、如来がこれで大丈夫と気の遠くなるような時間をかけて仕上げて下さった、横超の金剛心の御信心が、弥勒菩薩と同じ功徳が、もうすでに「なんまんだ仏」と届けられているのでしたね。

愚かで良かったですね、如来様のいうことを素直に聞き「なんまんだぶつ」と口に出せるようになったのは御開山のおかげでしたね。 あとはもう、シャボン玉のように消えて往くばかり。

  今生夢のうちのちぎりをしるべとして、    来世さとりのまえの縁をむすばんとなり。


そうぼんこ2

すなはち弥勒におなじくて

ソウボンコ(総報恩講)の季節になると、今年八十八になる家の頑固な爺さんから聞いた話を思い出します。家族で御開山の御和讃でどれが一番好きかという話題になった時のことでした。

「あれはチュウバシ(屋号)のソウボンコの時やった。うら、ホンコさんの御和讃をあげていて、うらんたなもんが(私みたいなものが)弥勒菩薩におなじやといわれて、嬉して嬉して思わず涙が出てしもた事があった。 ほやけど同行のもんが見てるさけ、知らん顔して御和讃をあげさしてもろたが、ありゃぁ有り難かったの。なんまんだぶ、なんまんだぶ」

爾来、爺さんの葬式の夜伽の晩には「念仏往生の願により」の御和讃をあげることになっています。

年寄りは何年何月という言い方をあまりしません。何々の時という言い方で自分の身に起こった事を表現します。 御開山様が法然聖人に遇(あ)いなさった時とか、越後に流されなさった時、稲田でご苦労なさった時というような表現をします。

このような表し方は、自分の気持ちと親鸞聖人とが一つになってしまっているからでしょうか。歴史的な時間軸の中で自分を捉えるのではなく、自己の心象風景に重ね合わせた時間の中で浄土真宗のご法義を味わっているのでしょうね。

当時七十七で、小生から見ても涙とはもっとも無縁だ思っていた頑固な爺さんの頬を濡らした涙とは一体何なのでしょう。

私が御和讃を読むのではない。御和讃が私のことを読んで下さる、御和讃が私のことを包んで下さる世界があることを教えてもらった事でした。

いつでも、どこでも阿弥陀様(親さま)がごいっしょでした。

   念仏往生の願により     等正覚にいたるひと      すなはち弥勒におなじくて       大般涅槃をさとるべし


ホンコサン

越前では秋には浄土真宗の各寺院ではホンコサン(報恩講)が行われ御開山聖人の遺徳を偲びます 。 浄土真宗の一番大切な行事は報恩講です。門徒の家々では御内仏の報恩講が営(いと)なまれます。 一年は報恩講に始まって、報恩講で終わるのです。そんな報恩講での御法話で聞いた話です。

ある寺で報恩講が行われている時に、TVが取材に来たことがありました。 東京から来た新進気鋭の教養のありそうなレポーターが、寺の本堂のばぁちゃん達に質問をします。

「きょうはよくお詣りですね。ところで今日は何をお願いしたのですか」 いかにも百姓仕事で日焼けした田舎くさいばぁちゃんは、TVのライトを浴びて恥ずかしいのか乱杭歯をむき出して照れ笑いをしながら答えます。

「いやぁ、ウラは今日はオレイトゲに詣らしてもらいました」 レポーターは何の事やらさっぱり判らない顔をして

「オレイトゲって何ですか」と聞き返します。

「オレイトゲって言うのは、お礼を遂げさしてもらうって事ですんにゃ」

と、ばぁちゃんはそんなことも知らないのかという顔をして答えます。 レポーターは判ったような判らないような顔をして

「はあそうですか、良かったですね」と答えて次のシーンになりました。

閑話休題

オレイトゲというのは「お礼を遂げる」ということなのですね。 親鸞聖人をお迎えした報恩講で、御開山さま有り難うございましたと浄土真宗のおみのり(法)に遇(あ)えた喜びのお礼を遂げるのです。

全分他力のご法義です。こちら側では何にもする事がない阿弥陀様のご法義です。信ずることもお願いすることもいらない、もうすでに私を包み込んである、広大な阿弥陀様のお慈悲の浄土真宗でしたね。

浄土があるとかないとかの話ではありませんでしたね。ただただ阿弥陀様が浄土を用意して下さって、お前はそこへ往くのだよ。 そしてやがてまた娑婆へ還ってきて、煩悩の林の中で遊ぶがごとく衆生済度をする楽しみがあるんだよと御開山さまが仰せになりますから、今年もオレイトゲの報恩講に詣るのですね。

月に人間が行く時代だからこそ、その船に乗って、「この船は壊れないだろうか、無事に帰れるだろうか、もし死んだら家族はどうなるんだろうか」と疑い深い煩悩具足の、どうしようもない愚かな私達のご法義でした。

この道に入って良かった。御開山聖人が切り拓いて下さったこの道を、愚かな原初の人間にかえり、つたない足取りのまま歩かせて頂きます。

「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」と御開山さまの御師匠様の法然聖人も仰せになりましたね。

この道は解説する道ではありませんでした。誰に説く道でもない、私一人のために用意された本願の大道でありました。

この上は御恩報謝の楽しみ事として、せめて聴聞に励み、御開山さまのお遺し下さったお聖教を拝読させて頂きながら、おぼつかない足取りではありますがこの道を歩いてまいります。

お浄土まいりの用意は向こう側が仕上げて下さって、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」の呼び声を自分で称えながらの、御恩報謝の楽しみ事の報恩講ではありました。

 往相回向の大慈より   還相回向の大悲をう  如来の回向なかりせば   浄土の菩提はいかがせん


どこぞへ(彩雲院釈正遠)

 加賀の藤原正遠師がどこぞへいってしまわれた。たくさんの法語を残してどこぞへいってしまわれた。一年の大半を北海道から九州へと、旅から旅へのご法義讃歎のご生涯でありました。

九十歳を越えても請われれば、何処へでも出かけて何時でもなんまんだぶつ、なんまんだぶつと讃歎の、阿弥陀様の呼び声一つのご法話でありました。

いずれにも 行くべき道の   絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏 藤原 正遠


すぐに職業を変えて、喧嘩ばかりしている小生を心配した母親に、米と大根と野菜を持たされ加賀の浄秀寺にあなたを訪ねたのは二十余年前でした。 本堂のウラの小さな部屋で「あんた、なんまんだぶつが出ますか」が最初の出遇(あ)いでした。 変な事をいう坊主だと「はあ、なんまんだぶつは出ます」と答え、浄土真宗の家に生まれ、なんまんだぶつを言うことぐらいは知っているのに、この坊主は馬鹿かと思ったことでした。 「そりゃ良かったね」と後は母親の近況や説教の予定などの世間話でした。

なんまんだぶつと言えば願いが叶い心が安らぐ呪文だと思っていました。 以来あなたのことは忘れていました。時折母親に下さる寺報や法話集であなたが話題になっても、本で得た小賢しい議論や理屈でなんまんだぶつが何になる、頭の悪い年寄りの呪文だと母親の言うことをねじ伏せていました。 行くべき道の絶えた負け犬の遠吠えだと思っていました。

縁とは不思議なもので、平成四年に俵山の和上さんの御法話に遇(あ)いました。びっくりしました。口割る前の南無阿弥陀仏でありました。 爾来あなたの寺での、五月の仏法聴聞会と十月の報恩講が楽しみ事になりました。

生きるものは生かしめ給う 死ぬるものは死なしめ給う 我に手のなし南無阿弥陀仏

(藤原 正遠)

お念仏に摂取され、お念仏に抱き取られてあなたはどこぞへいってしまわれた。 御開山親鸞聖人は洞ほがらかに讃歎なさいます。

弥陀の本願信ずべし   本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて   無上覚をばさとるなり

念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、 大般涅槃を超証す。

平成九年一月十九日、あなたはどこぞへいってしまわれた。今日はあなたの夜伽(通夜)です。


いえすおあのー

 小生が小学4年生の頃5~6人の悪ガキ仲間との会話です。

いつも鼻を垂らしていたKが、ふと「おめら、英語で饅頭ほしいか、いらんかってどう言うか知ってるけ」と仲間に質問しました。

英語などに全く縁のなかった小生達は口々に「ほんなもん、知らんわい。おめ、ほんとに知ってるんけ」「饅頭って英語でどう言うんやろか」などと喧しい。

得意そうな顔をしたKは「うら、きんの(昨日)中学へ行く兄(あんちゃん)に教えてもろたんや」と言います。 小生達は中学へ行くと英語の授業があることや、Kの兄が中学へ通っているには知っていました。

「ほんなら、言うてみいや」と言うと、Kは自慢げな顔で「あのな、饅頭ほしいか、いらんかって言うのはな。いえすおあのって言うんにゃぞ」と仲間に教えました。

小生達は「いえすおあの」と声を出しながら、英語はなんて簡単な言葉なのだろう。饅頭ほしいか、いらないかというのを、英語では「いえすおあの」と言うものと長い間思いこんでいました。 Kの兄が弟に饅頭を差し出して「yes or no?」と聞いたのでしょうね。 いまはもう記憶の彼方の40年ほど前の思い出です。

「なんまんだぶ」はその数わずか六声の声なれど「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」と小生に聞こえて下さいます。

そのままと、至りとどいた全分他力・全分肯定。これで救われてくれる、間違いないと、阿弥陀様の金剛の御信心(ごしんじん)。待っておるぞと大般涅槃のおさとりの、お浄土を用意してのお呼び声ではありました。


こらっ、なんまんだぶつせんかい

うちの婆ちゃん八十五。 少し痴呆が始まって、何でもすぐに忘れます。 なんまんだぶつも忘れがち。

息子はすぐに怒鳴ります。 「こらっ、なんまんだぶつせんかい」

婆ちゃん念仏称えます。 「ようよう言うてくれたのお。お前だけじゃこんなこと、 言うてくれるは有り難い」

惚けて念仏忘れたら、叱りつけても念仏を、させてくれとの頼みです。 今日の日にちも分かりません。 亡くした子供の命日も、五人も亡くした悲しみも、 みんな忘れてお念仏。

町から田舎に嫁に来て、牛馬の如くはたらいて、 田舎の暮らしになじめない、つきあい下手の婆ちゃんに、 おやさま一緒にお念仏。 有り難かろうが無かろうが、わけはおやさまご存じの 損と得とをいっぺんに、なんまんだぶつと、ただもらい。

それでも時々思います。 「はぁ、もっと惚けんうちに、はよ死にてえなぁ」 爺ちゃんすぐに叱ります。 「おやさまのいのちやさけ、どうにもならんこっちゃ」 愚痴をいってはお念仏。 ため息ついての称名に、なんまんだぶつのおやさまが、 今日も婆ちゃんと一緒です。

聞いて聴いて聴き抜いて、何十年も聴きました。 聴いた聴聞みな忘れ、覚えた理屈もどこへやら。 それでも朝晩お勤めは、欠かしたことがありません。

きぃみょうむぅりょおじゅにょおらい。 たとえお仏飯忘れても あーなかしこ、あなかしこ。 七高僧に御開山、蓮如さんも一緒です。

信じることも、知ることも、みんな忘れて 残るのは、なんまんだぶつのおやさまの とぎれとぎれのお念仏。

なぁ、みんな忘れていいんやざ。 惚けて死のうが狂おうが 惚けたまんまがおやさまの 狂うたまんまがおやさまの 間違わさんの念仏が、今日も婆ちゃんと一緒です。

なんまんだぶつの船に乗り、 なんまんだぶつの帆を揚げて なんまんだぶつの風うけて、 なんまんだぶつのおやさまの、

お浄土へ往く船の上。


きいみょうむうりょおじゅうにょらい

本願寺派の別院で寺務所の中で職員の方と話をしていたら、四〇位の女の人がやってきた。

名古屋から福井へ引っ越してきて別院の駐車場を借りる事になっているらしい。 担当の職員が席を外していたのでもう一人の職員が探しに行っている間の事。 小生を別院の職員と勘違いした女性は「ここは大きなお寺ですねぇ」と愛想がいい。

「ところで奥さんのお手次ぎのお寺の御宗旨はなんですか。」小生が問いかけると

「さぁ一体何なんでしょう。」と首をかしげる。無責任な小生は

「ここは、なんまんだぶつのお寺やけど、お宅の宗教は何やろのお。もし一緒なら駐車料金、まけてくれるかもしれんよ。」

「あ~ら、そういえばなんまんだぶつって言ってました。死んだお婆ちゃんがいつもお仏壇の前で、なんまんだぶつって言ってました。それから・・・・・」と言いながら首に手を当てて何かを思いだしている。

「きいみょうむうりょおって、おばあちゃん言っておらんかったかの。」と小生。

「そうそう、きいみょうむうりょおじゅうにょらいって言いながらお仏壇に手を合わせていました。思い出しました。子供の頃にもよくさせらんですよ。」と言います。

「ほんならあ、ここのお寺といっしょの浄土真宗やが。駐車料金まけてもらいなさいね。」

「でも、きいみょうむうりょおじゅうにょらいって、どういう意味なんですか。子供の頃から聞いているんですが。」

「ほれは、このお寺へ遊びに来ると解るようになるざ。たまにお寺へ遊びに来なさいね。」

と無責任に言っているところに担当の職員が来て話は中断した。

閑話休題

むかしから、おじいさんやおばあさんは、朝晩お仏壇の前で二十分も「お勤め」と称して「正信偈」をあげていました。でも世の中が忙しくなって二十分もお仏壇の前に座るのは大変なことです。 せめて週に一度ぐらいはたとえ三分でもお仏壇の扉を開けてなんまんだぶつと合掌するのも面白いかも知れません。

五百数十年前に蓮師が制定して下さった「正信念仏偈」は帰命無量寿如来で始まります。 幾多の人々の口にのぼった懐かしい、そして何か心が暖かくなる、耳の底に残っている「きいみょうむうりょおじゅうにょらい」ではありました。



南無阿弥陀仏

床屋で散髪をしながら世間話をしていて、ふと話題が通夜の話になったときのことである。最近同業の人が亡くなって、その通夜に行って来たらしい。

「だいたい、何で人が死んだときは北枕にするんやろね。どっちでもいいと思うがなあ」と若い店主が小生に聞く。

「ふ~ん、そんな簡単な事知らんかったんか。あれは仏壇と関係があるんや。仏壇の中には何が入っている?」と小生。

「そうやなぁ、仏壇の中には分けの判らん色んな物が入っているしなあ」と鋏を動かしながら考えている。

「仏壇には一番大事なものが入っているやろ」と小生が水を向けると

「そや、仏さんが入っているわ。一番正面に仏さんが入ってる。南無阿弥陀仏って書いてあるわ」

「ほうやろ。そやから、あれを読んだら、南に阿弥陀仏は無しって書いてあるがね。だから人が死んだら頭を北にして寝かせるようになったんや」

「ああそれで、北枕にして寝かせるんか。南に阿弥陀仏無しか、いい事聞いた今度お客さんに教えてやろう」と感心する。

小生あわてて訂正したが、ひょっとしたら訳の分からない迷信はこんな馬鹿話から、出来あがったのではないかと思う事しきりであった。

字に意味があるわけでも、発音に意味があるわけでもない、小生に称えられて聞こえて下さる「なんまんだぶつ」でした。



なんまんだぶつの船

ある所でおじいさんの葬式がありました。その通夜の法話の後でサングラスを掛けた、おばあさんが涙を流しています。 おばあさんは五〇代に目が見えなくなって、立ち居振る舞い、全ておじいさんの手を煩わさなければ出来ません。 たのみにしていたおじいさんが亡くなって、目が見えないおばあさんは不安で一杯だったのでしょうか。

「私は目が見えません。何でも死んだら一人で死出の山路を越え、三途の川を渡らにゃならんと聞いてきたが、目が見えん私はどうしようかと思っておりました。今のお話を聞くと阿弥陀様の船に乗って、お浄土へ往くと言われる。こんな目の見えん年寄りでも、その船に乗り遅れんようにすればいいんですね。なまんだぶ、なまんだぶ」

お坊さんが答えます。

「ばあちゃん。乗り遅れる心配もいらんの。阿弥陀様にまかせて、もうその船の上に乗っているんやぞ。なんまんだぶつの船に乗って、着いた先がお浄土やぞ」


この話を聴いてから、小生の家ではなんまんだぶつの船ゴッコをしました。なんまんだぶつの切符の検札です。 「なんまんだぶの切符を聞かせてくれ」と言って、称名しながらのなんまんだぶつのご催促です。 じいさんも「なんまんだぶつ」、ばあさんも合掌しての「なまんだぶ」を聞かせて下さる、家族そろっての御恩報謝の工夫でした。


御開山、親鸞聖人がほがらかに讃歎なさいます。

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。



きみょうむりょうの葬式

「ちょっと、あんたどう思う。私この間近所の一人暮らしのばあちゃんの葬式に行ったんやけど、坊さん『きみょうむりょう』しかせんのや。他のお経は何もあげんと『きみょうむりょう』だけ。あんな寂しい葬式は無かったわ」

「★?※?●?▲?△?○?◎?▼?□?」

浄土真宗の葬式はどんな人の葬式でも、帰命無量寿如来の正信偈が拝読されます。赤ちゃんの葬式も年寄りの葬式も皆同じです。

同行の、なんまんだぶつが唱和されます。あなたはお証(さとり)の仏様になりましたね。私はまだこの娑婆に用事があって、もうしばらく煩悩と戯れて暮らしてまいります。


辛いこと悲しいこと、腹立たしい瞋(いか)りに胸を焼かれる事があっても、この煩悩には、もう根が生えておりませんとの仰せです。このいのち、あなたと同じお浄土へ往くいのちと聞きました。


今、仏様になったあなたの名前を称えさせて下さりながらの、暫くのお別れです。今日はあなたの葬儀のご縁にあえて、本当に有り難うございました。

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・・・・・・。


死ぬ話し

友人の坊さんがある老人施設へご法話に行きました。数十人のお年寄りの前で、浄土真宗のおみのり(法)の話をした翌日のことです。


その施設の婦長さんから電話があり、七十過ぎのおじいさんが、初めて死ぬという説教を聞いたからでしょうか、夜になって熱を出してしまったらしいのです。


友人はナイーブな性格ですから、ちょっと話がきつかったかなと思い悩みました。 二人でこの話をしながら、だいたい七十を過ぎるまで自分が死ぬと言う事を、一回も考えたことが無いというのは、じいさんの方がおかしいのではないかという事になりました。


若い人はもちろんですが、年寄りまで死を自分の問題として考えなくなってしまっている事に、あらためて気づいたことでした。


長生きが一番、健康が大切、QOLと言いながら生と死を支える、何か大切なものを失っているのではないだろうか、と思わせられる出来事でした。 そして、あらためて人は必ず死ぬということを、教えて下さったおじいさんではありました。

浄土真宗の御法話は、聴いて解る話ではありません。先達はただ、聴いておきなさいよとおっしゃいます。聴けばやがていつか聞こえる時が来るのでしょう。


下手くそな坊さんの生ぬるい、阿弥陀様の法話が大好きな一変人の戯れ言でした。


別院では、なまんだぶしたらあかんのッ

今日は保育園の園児がそろって別院へおまいりです。参詣の大人たちの後ろに座って、別院の阿弥陀様の前で大きな声でなんまんだぶつを称えます。


でも、だんだん称名の声が小さくなり何か後ろのほうで言い争いをしています。 見ると年長組の男の子が年少組の子供を叱りつけています。

「別院では、なまんだぶしたらあかんのッ」と、叱っています。

きっと子供達の称名を聴いた大人達が、珍しそうに子供達を眺めたのでしょう。 その奇異な視線を年長の男の子は、いつも保育園で称えているなんまんだぶつは、ここでは場違いだからしては駄目だと思ったのでしょう。

お寺や家庭で、なんまんだぶつを聞くことは希になってしまいました。たまに称えていると奇異の目で見られるようになってしまいました。


人の生き方をやかましく詮索し、信心とやらに迷っているうちに失くしてしまったかもしれない、なんまんだぶつの話でした。

「知り合いの保育園の園長さんの話」


転悪成徳

教行証文類の総序に、なんまんだぶつを「転悪成徳」とする文言がありますが、小生は悪を転じるならば善ではないか、何故徳などということが言えるのか等と思ったものでした。 円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智云々の文言です。もっとも単なる善ならば廃悪修善に陥って世間の倫理と変わらなくなってしまいます。

親鸞聖人は信巻の後半で、長々と阿闍世の廻心を涅槃経から引文されておられます。クーデターによって父親を殺した罪の意識にさいなまれ、地獄に墜ちるという阿闍世を家臣がいろいろな方法で慰めます。 父を殺したという罪に愁苦する阿闍世に、それは罪ではないとか地獄はない等と説きます。 しかし憔悴しきった阿闍世は、父殺しの罪の意識から地獄へ堕ちると一途に苦しみます。 傍観者は無責任な言辞を発するのですが、阿闍世はまさに父殺しの当事者なのですから、どのような言葉にも納得はしません。 もし、自分が自分で納得したところで、納得したという自分が残っている限り、ひょっとしたら地獄に墜ちるのではという疑いは残ります。 そして父を殺したという事実はどのようにしても消すことが出来ません。 この事実がある限り阿闍世は地獄へ堕ちるという事から逃れることは出来ないのです。

そこへ大医の耆婆がやってきます。耆婆は父を殺し地獄に堕ちると嘆き苦しんでいる阿闍世にプラスの話をします。

「善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり」と地獄しか見えていない阿闍世に慚愧の意味を教えます。

また父親の頻婆沙羅の天からの声をして、父殺しの罪の重いことを罪と知らせて仏世尊の所へ往くことを勧めます。単に慰めるのではなく地獄必定を示し、罪を罪であると引き受けさせてすみやかに仏の所に往くことを勧めます。 父殺しの事実を事実であると告げ、その責任主体は阿闍世以外にはないとの教示です。 こうして阿闍世は恐怖に震えながらも耆婆とともに世尊の所へむかいます。途中で地獄に堕ちる恐怖の為に、阿闍世は耆婆と同じ象に乗ってなんとか地獄へ墜ちるのを免れようとします。


そんな阿闍世が、仏世尊の法を説くのを聞き無根の信、自己の煩悩心より生じたのではない信を得ます。自己が自己によって自己を知る信ではなく、世尊の説いて下さった法をあるがままに、そのままに受け容れた信です。まさに他力廻向の信心です。

ここで阿闍世は心の向きが変わってしまいます。 地獄を恐れ父殺しの罪に怯えていた阿闍世が「われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず」と衆生の為ならば地獄へ堕ちてもかまわないと言い切るのです。

地獄へ堕ちることに恐怖していた阿闍世が地獄を引き受けてしまったのです。父殺しの罪を己の罪として引き受け、あまつさえ衆生の為ならば地獄で無限の苦しみを受けてもかまわないと言い切るのです。

阿闍世はここで地獄を転じてしまったのです。地獄必定と引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。地獄行きの悪を転じて善にするのではなく、己が地獄を引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。まさに悪を転じて徳をなす転悪成徳です。

菩薩はいつも地獄行きと聞いたことがありますが、法華経の地涌の菩薩も地獄から涌きあがってきた菩薩なのでしょうか。 100の命を救うためにどうしても1つの命を殺さなければならない。 そしてそれを自己の地獄行きの罪であるとし、それを引き受けて地獄に墜ち、また還ってきて衆生済度を無限に繰り返していくのが菩薩道なのでしょう。 いや、ひょっとしたら地獄こそが菩薩の居所かもしれません。このような無限の菩薩の菩提心を四弘誓願に顕わしています。

 衆生無辺誓願度  煩悩無辺誓願断  法門無尽誓願知  無上菩堤誓願証

やっぱりこのような言葉は人間の側の領域からは出てこない文言です。


 浄土の大菩提心は   願作仏心をすすめしむ  すなはち願作仏心を   度衆生心となづけたり


罪を罪とも知らず、地獄を引き受ける力もない小生に浄土の大菩提心のなんまんだぶつを称えさせ、なんまんだぶつと聞こえる、なんまんだぶつの名号不思議のちからなりではありました。



胡瓜の初物

「今日キュウリが2本穫れた。今年の初物じゃ」と家のじいさんがキュウリを家内に手渡しています。 キュウリはキュウリであってナスでもトマトでもない青々としたキュウリです。 春先に小さな種から苗になり、小さな黄色い花を付けてキュウリになりました。 種が種でなくなった時、因が因で無くなった時小さな芽が出ました。


やがてじいさんばあさんのお世話のご縁で大きくなって花を付けキュウリの実が果として出来ました。 私はそれを口に放り込んで、うまいうまいと食べてしまいます。 小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

小生は大経を読んでもさっぱりわかりません。理解しようと思えば思うほどわかりません。きっとわからないように書いてあるのでしょう。 だいたい五劫なんて考えただけで頭がショートしそうですし、経自身が「若聞斯経信楽受持難中之難無過此難」といっています。 これを読んでわかる人は、とてつもない天才か、とんでもない馬鹿のどちらかでしょう。 天才は理解するし、馬鹿は受け容れるだけです。小生は馬鹿ですから理解できないので、説かれたことをただ受け容れるだけです。


受け容れるだけですから、生きていく上で何の得もありませんし指針にもなりませんし、小生自身も何も変わりません。 ただ、受け容れた、信じることも、疑うこともいらない仏願の生起本末が、なんまんだぶつと口先にあるだけです。小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

煩悩の真っ直中にいる時には、煩悩は判りません。自分の頭に火がついて燃えている時に、頭が燃えていると思う人はいません。 怒りにはらわたが煮えたぎっている時には怒りが判りません。


怒りが収まったときに怒りが判るのですね。貪瞋痴の中にいてその貪瞋痴を煩悩と見えたときが煩憂悩乱の始まりです。 この煩悩を煩悩と見るのもまた煩悩です。煩悩が煩悩を見て煩悩だという煩悩ですね。

これを煩悩が見てまた煩悩だと煩悩が見るのです。キリがありません。 事実はいつも私に先行します。理不尽であろうが無かろうが、私が受け切れようが受け切れまいが、事実は常に私の先に出ています。 この事を、大河の真ん中で自分に向かってくる洪水を押しとどめようとしている、と教えて下さった方がおられました。


お念仏の先達は「南無阿弥陀仏ができたから、わしが案ずることはない」とおっしゃって下さっています。 家のじいさんは、ゴチャゴチャいうのはまかさんからやよ言います。 煩悩が煩悩を見るのではなく、向こう側が煩悩を告げて下さって、そのまま、まかせろというのです。

おまえはこれまでも(曠劫よりこのかた)どうしようもない奴だし、今も(現に)煩悩に狂うている。 そして、これからも(出離の縁あることなし)何をしでかすか分からない奴だから安心して任せろと、向こう側がなんまんだぶつとなって称えさせるのですね。


「称仏六字 即嘆仏 即懺悔 即発願回向 一切善根荘厳浄土」口先で称えるなんまんだぶつにこのような意味があるなんて、これほど訳の解からない理解しがたい話はないです。 しかし、こちらに訳はなくてもきっと向こう側に訳があるのでしょう。小生にとってはまさにこれが不・思・議なのです。

昔の田舎の年寄りは、なんまんだぶつ、有り難い。なんまんだぶつ、有り難いと繰り返しました。 小生はこの年寄りの有り難いは、感謝の意味なのだと思っていましたが、已今当、どうしても煩悩に狂っていかざるを得ない私を、なんまんだぶつとたのませて、なんまんだぶつと迎えとる、なんまんだぶつと声になって、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞと聞こえる、世間に有ること難しの阿弥陀様讃嘆の有り難いでした。

なんまんだぶつとたのませて、なんまんだぶつと迎えとる、なんまんだぶつのご法義でした。



名前を告げる

お寺や家庭で、仏様に合掌する姿は見かけるけれど「なんまんだぶつ」の声が聞こえなくなって久しい。 昔は寺で法座でそして野山や田圃で「なんまんだぶつ」を称え聞かせてくれる人がいた。 名前もなく生きる意味さえ見いだせなかった、群萌のような人々に「なんまんだぶつ」は生きる意味を教えてくれた。

記号として役に立つ情報としての言葉ばかりを追いかけてきた。 ふと気がつくと氾濫する情報に振り回され、空虚な消費してきただけの、抜け殻の死んだ言葉の山だけが残っている。


言葉が言葉としての意味を持ち、はたらいていた時代はもう還らないのだろうか。 失ってしまった言葉、忘れてしまった言葉。しかしこころの奥底に確かに存在する言葉。 わずか一句に己の全存在を託し、その一句によって生も死も超えていける言葉。 無限の時を超えて己を己として発見せしめる言葉。父母未生以前の始めなき始めより、全ての「いのち」に届いている言葉。

あらゆる「いのち」が躍動し山や川までもが包まれ生かされている言葉。


限りない「いのち」によって限りある「いのち」に告げられる言葉。


声となってはたらき、全宇宙に響きわたり呼びかけられている言葉。


ああもうそんな、生きている言葉が忘れられている。



往生

門徒: 「ご院さん、山田のおばばが死んださけ明後日葬式せんならん。」

ご院さん: 「ほお、山田のおばばも参らしてもろたか。この間のホンコ(報恩講)さんの時は元気じゃったのにのぉ」

門徒: 「何でも急に倒れてそのまま死んだらしいんでの。もつけねぇ事や」

ご院さん: 「あのおばばには、小さい頃から色々と可愛がってもろたもんじゃがのぉ」

門徒: 「まあ、楽に苦しまんと死んだようやさけ良かったがのぉ」

ご院さん: 「あんた、さっきから死んだ死んだと言うが、あんたの親父の頃は参らしてもろたとか、往生さしてもろとか言うたがの」

門徒: 「ほんでもご院さん。死んだもんは何処へも、詣る事はできんがの。サンマイ(火葬場)もってって焼いてまうだけや」

ご院さん: 「ほんなら、あんたもそうやの。あんたの子供もあんたをゴミみたいに焼いて一巻の終わりやの」

昔は人が死ぬと「○○さんも参らしてもろたのお」と言いました。 最近では年寄でも「○○が死んでしもた、もつけねぇのお」等と言います。


小生のような田舎の在所でも、参らせて頂くとか、往生させてもらった等という言葉が死語になって久しい。


はたして死は可哀相なことであり憐れむような事なのだろうか。 一人の人間が、その人だけしか生きられない「いのち」を生き、誰も代わることの出来ない死を死んでいくのである。 もっと尊敬の思いと真摯な態度で、他者の死を見つめてあげる事が出来ないのだろうか。 生死出づべき道が、生も死も貫いている「いのち」が忘れられているからだろうか。


今日はあなたの誕生日

朝、出勤途上の車の中での夫婦の会話

「ところで旦那さま、お母さんの誕生日知ってる?」

「大正2年5月30日」

「31日よ、それじゃ、お父さんの誕生日は?」

「明治42年3月じゅうなん日かな」

「2月13日」

「ほやほや。3月は姉ぇちゃんの誕生日やった」

「私、おじいちゃんは8月12日だったのは知っているけど、おばあちゃんは1月の何日だっけ?」

「え~っと、1月10日かな。でも二人とも命日やぞ」

「あら、お浄土での誕生日でしょ」

 ●△■×○▲□??????????」

そうでしたね。命日とは浄土へ生まれた誕生日なのでした。 花を飾り、好きだったものを供えての、浄土への誕生日の祝い事でした。


お祝いの言葉が「なぁまんだ~ぶ、なぁまんだ~ぶ、なぁ まんだ~ぶ」と耳に聞こえてくださいます。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



往生極楽の道

親鸞聖人は二九才で法然聖人に出遇った時に聞かれた事を、奥様の恵信尼さんは「よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば」と書き残しておられます。

「後世のたすからんずる縁」を求めて、吉水の法然聖人を訪ねた宗祖は法然聖人から、「生死出づべき道」生死(しょうじ)を超える道を聞き拓かれた事でしょう。

「うけたまはりさだめて」とありますから、これを自己の歩む道(目的)として定めなさったということでしょうか。

「後世のたすからんずる縁」、手段、方法を求めに来た宗祖に法然聖人は「生死出づべき道」つまり目的をお示しになったのでしょう。


「あなたの求めているものは、手段とか方法というつまらんものではなく、目的そのもの、南無阿弥陀仏の本願一実の直道なのですよ。」とのお示しがあったのではないでしょうか。 「あなたが修業をして仏様に救われるのではなく、仏様の方が修業してあなたの仏になる功徳を全て成就したのが、大般涅槃、無上の大道なのです。あなたが仏様の目的なのです」とのお説教があったのでしょうか。 今まで細々と目的に至る路(雑行)を歩いている人に、如来回向の大道・目的の中(本願)にいることを提示されたのが、法然聖人なのであり浄土門という宗教なのでしょう。まさに「雑行を棄てて本願に帰す」でありました。

しかし小生のような者は、「生死出づべき道」といわれても何のことやらさっぱり分かりません。「道」といわれても、目的に至るための手段方法としての「路」しか思い浮かびません。 生と死はお前の虚妄分別がつくり出しているもので、無生の生であり不生だといわれても、煩悩・菩提体無二といわれても何のことやら解りません。 解ったような気になっても、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒は身について離れませんし、煩憂悩乱の毎日。 生は謳歌して楽しむものであり死は考えるのも嫌なものです。さてどうしたらよいのか。

宗祖は歎異抄の二条目で「おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり」と 仰せになっておられます。

関東から訪ねてきた同行に、あなた達は「往生極楽のみち」を問いに来たのですねと念を押されています。「往生極楽のみち」これなら小生にも少しは分かりそうです。 「生死出づべき道」を「往生極楽のみち」として、小生にはどう考えても死ぬとしか考えられない事を、宗祖は、生まれることなのだ、極楽へ往き生まれること(往生)なのだとお示しになられます。 「その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に至りて、おのづから不退転に至る」と「往生せんと欲へ」とのお示しです。

 この小生の生命は、ただ空しく死んでいく為の生命ではなく、往って浄土に生まれる「いのち」なのだ、仏様の国へ「往生せんと欲へ」との仰せです。 生まれて、ただ死んでいくだけの「生命」ではなく、気の遠くなるような昔から阿弥陀様に私の国に生まれるんだよと願われていた「いのち」と聞きました。

浄土は小生の、死の帰する所、生の依って立つ所(帰依)となって下さり、小生の「いのち」の意味、死ぬことの意味を、「往生極楽のみち」として示して下さった事でありました。 また「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」となんまんだぶつを手段ではなく目的そのものとして示して下さった事でありました。


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...


お仏壇の化け物

小生は子供の頃から仏壇で朝夕お勤めを欠かさない両親の後ろ姿を見ながら育ち、祖母に親鸞聖人のご苦労話を聞き大きくなりました。 しかし、物心がつき反抗期に入ってからは仏壇の前に座るなどということは全くなくなりました。 それどころか父親と喧嘩したときには、仏壇に火を付けて燃やしてやるなどと脅迫するのが常でした。 両親の大切にしているものを破壊する事が最もよい脅迫方法だと思っていたものでした。

ある日いつもの小生の言葉に業を煮やした父親が「そんなに燃やしたけりゃやってみい。その前に仏壇から正信偈を持ってきて足で踏んでみい」と言われたことがありました。 何せ小生は頭に血が昇っておりますから、仏間へ走って行って常用の正信偈を持ち上げ足で踏みつぶそうとしましたが、この正信偈がなかなか持ち上がりません。いや持ち上げる事が出来ません。 ふっと、ひょっとしたら罰があたるんじゃなかろうかと思ったのです。


祖母に聞かされた地獄や炎魔さんの話が脳裏をよぎったのでした。 そうです。この時小生にとっての仏壇は得体のしれない魑魅魍魎の化け物の住む場所だったのです。あの中には得体のしれない生き物が住んでいたのです。 正信偈を足で踏みつぶす事は何となく誤魔化してその場は収まりましたが、爾来、小生にとって仏壇は魑魅魍魎の分けの解らない生き物の住む場所でした。

この生き物の正体をはっきりさせようと仏書を読むうちに、魑魅魍魎の化け物は全て消え去り、仏壇に火を付けようが御聖教を足で踏もうが何の関係もない事を知りました。 十方仏国浄土なのだ。善悪浄穢はないものなのだ、ただ心が形成しているだけなのだ。この心こそが大切なのだと思っていたものです。

浄土真宗という教えが解った様な気になって西方浄土をいう年寄りをからかったり、聴聞の時なんまんだぶつを称える人を喧しいと怒鳴りつけたりしていたものでした。勿論、なんまんだぶつが口を割るなどということはありません。


何せ聖典などは全く読まずに、適当な仏教の解説本を自分の都合のよいように読み替えて読んでいたのですからいい加減なものでした。 言葉を知っていても言葉の意味を知らなかったのですから。

ところがある日、友人の御院家さんが下さった法話のテープを家内が聞き「この話は素晴らしいことを語っているから一度ライブで聞きたいね」とのこと。 また偶然にも「そのテープの和上様が今度出雲路派本山の夏安居においでになるから」と夏安居に誘われて三日間の聴聞三昧でした。

びっくりしました。小生の持っていた浄土真宗観が全く違うということをいやというほど思い知らされました。 私の感受性や心の持ち方が大切なのではない。私を大事にするよりも、私をおもって下さってある阿弥陀様が大切なのですとのお示しでした。


知識経験、論理や理屈の話ではない。煩悩に明け暮れる原初の人、素凡夫としてのお前の話なのだとのお諭しでありました。 小さな頃から口になずんでいる正信偈の、七高僧のお手柄を深々と知らされた三日間ではありました。  胸を押さえ腹に手をあて、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと称えられ、聞こえてくださる阿弥陀様ごいっしょの三日間でした。

初日、興奮さめやらぬまま帰宅し父親に「じいちゃんよ。家にお聖教ちゅうもんはあるんか」と聞き、父から渡されたのが聖典と小生の初めての出遇いでした。


爾来、サッパリ解らない聖典が小生の死の帰すべきところ、生の依って立つところ、帰依の対象になって下さいました。

そして、仏壇は再び生き物の住む場所となって、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと洞らかに御恩報謝の称名をし、楽しむ場となってくださいました。 小生の生き方を問い、心の奥底までお見通しの阿弥陀様の住む所になってくださり、慚愧感謝の称名をする場となってくださいました。

木画の尊像生けるが如しと、365日休まずにお仏飯を給仕しお華を献じてきた両親はとんでもない善知識でありました。

お仏壇の御性入れに43年もかかってしまった、愚かな小生のざれ言でした。

無慚無愧のこの身にて   まことのこころはなけれども    弥陀の回向の御名なれば     功徳は十方にみちたまふ


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



和顔愛語(わげんあいご)

大無量寿経の中に「和顔愛語にして、意を先にして承問す」の文言がある。簡単なようだが、和顔と愛語は実践しようとするとなかなか難しい事である。 今日日、和顔愛語で近づく奴は腹に一物手に荷物の詐欺師だと思われそうだ。

小生は見知らぬ人にニコニコして「今日は、今日は良い天気ですね」等と言う度に相手がびっくりして警戒された経験をいつもしている。 もっとも周りの人に言わせれば、小生の人相が悪いので警戒するのは当たり前だと言うが・・・・・。自分でもそう思う。

最近ではご法座の席の雰囲気も変わって、皆さんバラバラに参集して来て何やら難しい顔をして法話を聞き、そして回りの人と言葉を交えることもなく、暗い顔をしてバラバラに帰って行かれる。


20~30年昔は法話の合間にあちこちで車座になり、見知らぬ人との間で話が弾んでいたような記憶があるが今はあまり見かけなくなってしまった。 隣に座った人と挨拶もなく口も聞かずに帰られる方もいるが、御同朋、御同行の精神は何処へいったのかと思うことしきりではある。 昔、ご法座参りの初心者で何をどうしてよいか判らない小生に

「アンちゃん何処から来た。」 「山室」 「あぁ、あの在所か。ウラんどこの在所にも山室から嫁に来たのがいる。知ってりケ。まぁこっち来ね」


などと言っては、飴や駄菓子をくれたばあちゃん達が何処にもいた。

「おんなじ御開山のとこへ行く同行やさけのぉ」


と何の警戒もなく若造の小生を暖かく迎え入れて、それぞれの味わいを語ってくれたじいさん達がいた。

ここでは和顔愛語という言葉を知らなくても、和顔愛語がなんまんだぶつとともに生き生きと生きていた。


お寺の坊さんや布教使さんが賢くなって、信心を論じ、世間を論じ、盛んに人の生き方を説くようになってから少しずつ何かが変わっていってしまった。 なんまんだぶつを称えない坊主や布教使が増えるにつれ、猿でもわかるご法義が段々難しくなった。


今晩聞いて今晩助かるプラスのご法義が、真剣な求道を求め生き方をやかましく詮索するマイナスのご法義になってしまった。


機の話ばかりするせいか、有り難い、有り難うのプラスのご法義が、済みません、申し訳ありませんのマイナスのご法義になってしなった。


ご法座で昔のばあちゃんは「有り難うござんす」と言って人混みを空けてもらい、お礼をして便所へ行ったが、今のばあちゃんは「済みません」と言って人混みをかき分けトイレに行きく。最もそれも言わないばあちゃんもいる。

大無量寿経、法蔵菩薩所修の和顔愛語先意承問である。 宗祖は信巻の至心釈において真実とはこのような生き方だと法蔵菩薩の所修を示して下さいます。 蓮師は信心獲得章で令諸衆生功徳成就となんまんだぶつのいわれを示して下さいます。 なんまんだぶつを称えるじいさんやばあさんが、和顔愛語先意承問と小生を育てて下さった。 自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報仏恩を、なんまんだぶつと称え声に出し実践し、お前は田舎の一文不知の愚鈍なのだよと身をもって教えてくれたじいさんやばあさんだった。

諸衆生功徳成就と成就してしまって小生のする事が何もないからこそ、自分の顔でありながら。外に向いている顔を和らげて、愛語を語る努力を心がけるのも御恩報謝の真似事なのだが、攻撃的な小生にはこれが難中転更難ではある。

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転悪成徳

教行証文類の総序になんまんだぶつを「転悪成徳」とする文言があるが、小生は悪を転じるならば善ではないか、何故徳などということが言えるのか等と思ったものでした。

円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智云々の文言です。 もっとも単なる善ならば廃悪修善に陥って世間の倫理と変わらなくなってしまいますが・・・・。

宗祖は信巻の後半で、長々と阿闍世の廻心を涅槃経から引文されておられま。 クーデターによって父親を殺した罪の意識にさいなまれ地獄に墜ちるという阿闍世を家臣がいろいろな方法で慰めます。 父を殺したという罪に愁苦する阿闍世にそれは罪ではないとか地獄はない等と説きます。いわゆる六師外道です。 しかし憔悴しきった阿闍世は父殺しの罪の意識から地獄へ堕ちると一途に苦しみます。 傍観者は無責任な言辞を発するのですが、阿闍世はまさに父殺しの当事者なのですから、どのような言葉にも納得はしません。 もし自分が自分で納得したところで、納得したという自分が残っている限り、ひょっとしたら地獄に墜ちるのではという疑いは残ります。 そして父を殺したという事実はどのようにしても消すことが出来ません。 この事実がある限り、阿闍世は地獄へ堕ちるという事から逃れることは出来ないのです。 そこへ大医の耆婆がやってきます。耆婆は父を殺し地獄に堕ちると嘆き苦しんでいる阿闍世にプラスの話をします。 「善いかな善いかな、王罪をなすといへども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり」と地獄しか見えていない阿闍世に慚愧の意味を教えます。 また父親の頻婆沙羅の天からの声をして、父殺しの罪の重いことを罪と知らせて仏世尊の所へ往くことを勧めます。 単に慰めるのではなく地獄必定を示し、罪を罪であると引き受けさせてすみやかに仏の所に往くことを勧めます。 父殺しの事実を事実であると告げ、その責任主体は阿闍世以外にはないとの教示です。 阿闍世は恐怖に震えながらも耆婆とともに世尊の所へむかいます。途中でも地獄に堕ちる恐怖の為に阿闍世は耆婆と同じ象に乗ってなんとか地獄へ墜ちるのを免れようとします。 そんな阿闍世が仏世尊の法を説くのを聞き、無根の信、自己の煩悩心より生じたのではない信を得ます。自己が自己によって自己を知る信ではなく世尊の説いて下さった法をあるがままに、そのままに受け容れた信です。まさに他力廻向の信心です。 ここで阿闍世は心の向きが変わってしまいます。地獄を恐れ父殺しの罪に怯えていた阿闍世が「われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず」と衆生の為ならば地獄へ堕ちてもかまわないと言い切るのです。 地獄へ堕ちることに愁苦していた阿闍世が地獄を引き受けてしまったのです。父殺しの罪を己の罪として引き受け、あまつさえ衆生の為ならば地獄で無限の苦しみを受けてもかまわないと言い切るのです。 阿闍世はここで地獄を転じてしまったのです。地獄必定と引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。地獄行きの悪を転じて善にするのではなく、己が地獄を引き受けることによって地獄を転じてしまったのです。 まさに悪を転じて徳をなす転悪成徳ではあります。

菩薩はいつも地獄行きと聞いたことがありますが、法華経の地涌の菩薩も地獄から涌きあがってきた菩薩なのでしょうか。 100の命を救うためにどうしても1つの命を殺さなければならない。 そしてそれを自己の地獄行きの罪であるとし、それを引き受けて地獄に墜ち、また還ってきて衆生済度を無限に繰り返していくのが菩薩道なのでしょう。 いやひょっとしたら地獄こそが菩薩の居所かもしれません。 このような無限の菩薩の菩提心を四弘誓願に顕わしています。

衆生無辺誓願度

煩悩無辺誓願断

法門無尽誓願知

無上菩堤誓願証


やっぱりこのような言葉は人間の側の領域からは出てこない文言です。

浄土の大菩提心は  願作仏心をすすめしむ   すなはち願作仏心を    度衆生心となづけたり

罪を罪とも知らず、地獄を引き受ける力もない小生に、浄土の大菩提心のなんまんだぶつを称えさせ、なんまんだぶつと聞こえる、なんまんだぶつの名号不思議のちからなりではありました。


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



城の石垣

小生の住む在所の近くに丸岡城という日本で一番古い天守閣をもつ城があります。 子供の頃に遠足に行った時、友達と競いあって天守閣に登り景色を楽しんだものでした。 遠くに自分の家が見えないかと眼をこらして景色を眺めたものでした。 やがて景色を見るのに飽き天守閣から降りて、城の石垣を登ったり石垣の大きさを両手で測ったりして遊んだものです。 小生に、教学は城の石垣のようなものだと教えて下さった勧学和上様がありました。 なんまんだぶつの城の天守閣に登って阿弥陀様のお慈悲を眺め、なんまんだぶつのいわれを聞けばそれで十分ではないか。何の不足があるのかとのお示しでした。 そして今少し暇があるなら、なんまんだぶつの城の石垣の組み方を勉強するのは御恩報謝です、とのお言葉でした。

そうでした。石垣の組み方を学んでから信じる宗教ではありませんでした。大丈夫だろうかと石垣の構造をひねくり回して安心するご法義ではありません。 なんまんだぶつとたのませて(憑)なんまんだぶつと称えさせ、なんまんだぶつと迎え取るのが浄土真宗のご法義です。


後は暇にまかせてお聖教を拝読し、うまく組んであるなあと先達の釈を讃嘆し楽しむのは、こちら側の目的のない遊びです。 遊びですから自分の解釈にあまり一生懸命になってはいけないのです。一生懸命になって説いて伝えて下さった、内容・目的を聞信するだけなのでしょう。


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...


聞香

小生の叔父は十数年程前、筋無力症で西方仏国の住人になってしまいました。 長い間自宅で療養していましたが往生する一週間前に入院し、兄である家のじいさんに抱かれて自分の家に戻りました。 病院では叔父の二人の子供と奥さんが、交代で付き添って、だるいと言う足をさすったり手をさすったりしての看病でした。 小生も痩せて筋肉が落ちて骨と皮のようになった足をさすらせて頂きました。 やがて、叔父の家族と親戚の見守る中での臨終でした。家のばあちゃんが小声でなんまんだぶつと称える中で息を引き取って往きました。 当時なんまんだぶつの意味を知らなかった小生は思わずばあちゃんを睨み付けたものでした。 じいさんに抱かれて自宅に帰り、仏間に寝かされた叔父に仏壇が開かれ蝋燭が点もされ、香が焚かれます。 合掌している小生はふっとお香の香りに気づきました。いつもなじみの香りでしたが何故か新鮮な不思議な感じのする香りでした。

御開山聖人は念仏は聞きものとおっしゃいます。私が称えるなんまんだぶつは聞其名号、と聞きものとの仰せです。連れていくぞの弥陀の呼び声と言われた方がありました。 称えるこちら側には用事のない、まるで香の香りのように何の努力もない中にふと香ってくるようなものでしょうか。 そういえば聞香という言葉がありました。香りを聞くといって香を焚き、香りを楽しむものです。 香りを聞くとは不思議な表現です。きっとふくいくと漂ってくる香りを気構えなく、香って来るままをそのまま楽しむから香りを聞くというのでしょうか。

こちら側が耳をそばだて命がけで聴くのではなく、何の身構え気構えもないところへあちら側からこちら側へ届けられている事の表現が香りを聞くと言う表現になるのでしょうか。 まさに、いつでも、どこでも、誰にでも届いている仏様の法のようなものです。 香りが聞こえてきたらそこに身を委ねるように、なんまんだぶつが聞こえてきたらそれに身を委ねてみる。称える事に着目するよりも、称えさせているものに着目してみる。 信心の入れ物に着目するよりも、信心が、称えられる名号となってはたらいている、なんまんだぶつに着目してみる。

生きている南無阿弥陀仏は、お前の口先に称えられ行じられているなんまんだぶつなのだよ、と示して下さった和上様を憶念して、なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ・・・・・・・・


たった一人のビハーラ

「行って来るわね」と言って家内が月に一度のビハーラに出かけます。 電話の様子からすると仲間の時間がとれないらしく、今日も一人でビハーラに出かけます。一人で病院に電話をかけアポイントを取って出かけます。 97歳のばあちゃんと76歳のじいちゃんの居室訪問です。 76歳のじ「ちゃんは声が出なくて会話ができないので、じいちゃんの許可を得て仏書の朗読です。 97歳のばあちゃんは家内の行くのを待ちかねたように喋りだし、同じ話を何回も繰り返すそうです。家内が、そんなばあちゃんから聞いた話を小生に教えてくれました。

「上はソロリ、中はピッシャン、下は3寸。下下の下は、オッパッパ」

なんでもばあちゃんが子供の頃に戸の締め方を教えてくれた母親の言葉だそうです。 上品(ジョウボン)はソロリと戸を閉めます。 中品(チュウボン)はピッシャンと音を立てて戸を閉めます、下品(ゲボン)は3寸程開けたままで戸を閉めたつもりです。 下三品(ゲサンボン)の下下の下は戸の存在すら忘れて戸を閉める事さえしません。開けっ放しのオッパッパです。

カラリと開けっ放しのオッパッパの下品下生の小生に、まさに無量寿仏名を称すべしの、なんまんだぶつが満ち満ちて下さいます。

「家はいつもビハーラね」と89歳と85歳の年寄りと暮らす家内は言います。 ご飯を作るのもビハーラ、惚けて何をしでかすか解らないばあちゃんの後始末をするのもビハーラ。 小生が頑固じいさんとご法義讃嘆し法論をするのもビハーラでした。時には喧嘩をし、言い争ったり、叱ったり、慰めてみたり、愚痴を聞いたり、お念仏をしたりと、教えられたり教えたり、毎日毎日がおかげさまの家庭内でのビハーラ実践活動です。 そして身近だけれど、これが一番難しいビハーラです。


なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...



通り抜け禁止

いつも通る4車線の道路沿いに建設屋さんのビルがある。このビルには大きな駐車場があるが、あまり車が駐車しているのを見たことがない。 駐車場の入り口には大きな看板に「通り抜け禁止」と大書してある。 ある日のこと、前方で工事のためか片側通行になって車が渋滞した時のことである。何故か急に左側の車線の車だけがスムーズに動き出した。 渋滞しているのに不思議な事だなあ、と思いながら小生も車を走らせるとなんと「通り抜け禁止」と書いてある駐車場へ車が入って行く。 駐車場を通り抜けて、本道ではなく裏道へと車が通り抜けていくでのであった。 通り抜け禁止」と書いてあることで、実は通り抜け出来ることが分かってしまったのであった。

大無量寿経の阿弥陀様のご本願には、唯除五逆誹謗正法と五逆を犯した者、正法を誹謗した者のを除くとのことである。 しかし一切衆生を救うというご本願に、何故わざわざこのような文言を付加されてあるのだろうか。 きっとこれは五逆誹謗正法通り抜け禁止のスローガンに違いない。本意ではないが、五逆誹謗正法の小生までも、私の国に生まれなかったら正覚をとらないと誓ってある、至り届いたご本願との和上様のお示しであった。 「唯除」と本意ではないとしながらも、背いている者にまで道を用意して下さってある大慈大悲の特哀の御文ではありました。

爾来、なるべく「通り抜け禁止」の道は通らないで、五逆誹謗正法を慎んで本道を行こうと思うのは、こちら側の御恩報謝の真似事、楽しみ事でありました。


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ばあちゃんの日課

家の今年八五歳になるちょと痴呆のばあちゃんは草取りが日課です。

朝は暗い内から起きだして、日の出を待って庭や畑の草取りをする事が生き甲斐です。 おかげで徘徊もありません。 そんなばあちゃんは、暑い日には外での草取りから家にはいると、上半身裸になって暑い暑いと言います。 小生も吸いついて、今はもうしなびて垂れ下がった乳も放り出して、暑い暑いと言います。 そしてなんまんだぶつを称えます。 小生はそんなばあちゃんの称える、なんまんだぶつが大好きです。

ようこそ称えるだけの、なんまんだぶつに仕上げて下さった阿弥陀様のご法義です。 そして小生に聞こえて下さる、なんまんだぶつの呼び声です。


ようこそ、ようこそ、なんまんだぶつ・・・・・・。


なんまんだぶつのこの道は

なんまんだぶつのこの道は、馬もとおれば驢もとおる。ミミズやバッタもとおる道。人間までもがとおる道。

なんまんだぶつのこの道は、探す道かと思ったが、探すまえに向こうから、喚んで招いて用意して、ちゃんと仕上げてあったとは、いくらなんでもうますぎる。それでも向こうがたのむなら、往ってやろうこの道を。

なんまんだぶつのこの道は、山もあれば谷もある。広い狭いもあるけれど私一人の大道だ。

なんまんだぶつのこの道は、あんなが無ければ生きられぬ。こんながなければ生きられぬ。恨み恨まれするけれど、みんながとおるこの道だ。

なんまんだぶつのこの道は、貪瞋痴の地獄道。ドンシンチとお囃子のBGMまでついている。煩悩だらけの横着者が、浄土へ往くのはウソの嘘。嘘でもいいわいこの道は、凡夫の私の歩く道。

なんまんだぶつのこの道は、世間の役には立たないが、人の荷物は背負えないが、親の名前を呼びながら、あなたと一緒に歩く道。

なんまんだぶつのこの道は、じいちゃんばあちゃん往った道。道はたくさんあるけれど、私の歩くこの道は歓喜踊躍のほとばしる、浄土へつながる一本道。

なんまんだぶつのこの道は、往くも還るもとどまるも、あなたまかせで知らないが、知らない私を本として、あの手この手で仕上がった、五劫思案の往還道。

趙州の石橋をヒントに遊んでみました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...


阿弥陀経

家のじいさんは毎月、父母や先だった子供の往生した日の夜のお勤めには阿弥陀経を読誦します。 このようなじいさんの姿を見る度にじいさんにとっては、教典がお釈迦さまのお説法のように感じられているのだと思います。

誰に聞かせるわけでもなく、じいさんとばあさんが二人きりで仏壇の前で阿弥陀経を読誦讃嘆しています。

もう経の意味など、どうでもよいことなのでしょう。ばあちゃんは子供の往生した日も忘れてしまっています。 でも老いた目は経本の文字を追い、口には経文がこぼれての助音です。

小生はこのようなじいさんとばあさんの子として生まれたことが誇りです。

世間怱怱として毎日忙しそうにして心を亡くしている小生に、なんまんだぶつの道を示してくれ続けている善知識ではありました。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続 ...


私ひとりの五劫

夕飯の時じいさんと話をしていて、何で阿弥陀様は五劫もかかんなさったんにゃろ。一劫くらいで解からんかったんにゃろか、という話なった時の事。

ひょっとして法蔵菩薩は一人ひとりの人生を、隈無く一回やんなさったに違いないと言うことになりました。 人が悩み苦しんでいるときには辛く悲しいものです。そして誰か私のこの苦しい気持ちを解って欲しいと思っても、誰も当人のようには解ってくれません。

かえって他者がこの気持ちを解ってくれない事に苦悩が倍増する事もあります。あなたの気持ちは解るなどと口でいくら言ってくれても、現に経験している苦悩は、経験しているその人にしか解りません。

その経験すらもそれどれの境遇や生きてきた道のりなど、一人として同じものはないのですから、共感にはなりえても苦悩を共有することはできません。

そりゃそうです。自分自身が他者の苦悩を、自己の苦悩のように苦しみ悲しみそして解ってさしあげた事など、未だかってないのですから。

法蔵菩薩、五劫兆載永劫の時あらゆるいのちを一度経験し、あらゆる衆生の苦悩をつぶさに経験して下さって、仕上げて下さったなんまんだぶつです。 小生のいのちを、人生を、苦悩を一通り経験して下さったからこそ、これで間違いないと建てられたご本願でした。 何をしでかすか危ぶまれてならない、このいのちを目当てに、苦悩を材料としてのなんまんだぶつです。 この人生は、法蔵菩薩の経験して下さった人生を、苦悩を、悲しみをもう一度なぞっていく人生なのかも知れません。 腹がねじ切れるような煩悩に襲われた時、法蔵菩薩さんもこの想いを経験なさったのだなあ。この悲しみ、寂しさ、怒り、そして喜びも。あらゆる想いを経験して下さったから、そのままでいいんだよ、間違いないよと催促してまで聞こえて下さる喚び声なのだ。

胸をたたき、おなかをさすり、ここがあなたのお宿りの場所。よぉかったなぁ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ。あまり阿弥陀様に心配かけんようにしょうっと。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...


声の御荘厳

友人の寺の門徒会館の落慶法要で、讃仏歌を聞いたときには感動したもんです。

白いガウンの7~8人の女子高校生がスポットライトの中で、讃仏歌を唱うのを二百人ほどの門徒さんと聞き惚れたもんです。

ブッダ~ン サラナ~ン ガッチャミ~ なんてクライマックスには、もうほとんど、菩薩さまか天女の声のように聞こえたものです。一人ひとりのお嬢ちゃんが、ご本尊に礼拝して退場していったあとに門徒全員の正信偈唱和です。

こころなしか、あの時の正信偈は浄土へ届くんじゃなかろかというほど大きな大きな声での唱和でした。 たった今聞いた仏徳讃嘆の歌声に、そして隣の人に負けてたまるかと声張り上げての正信偈唱和、そして高声でのなんまんだぶつに、ご本尊の阿弥陀様も嬉しそうでした。

耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す、るちゃこの事じゃなかろうかと、称えられ、聞こえて下さるご法義を味わったことでした。 あれは浄土から、なんまんだぶつの樋をかけて、門徒のそして小生の口に届けられた名号だったのでしょうか。 酒も飲まずに酔っぱらったのは久しぶりの事でしたが、やっぱし、声の御荘厳は人を感動させる、何かがあります。

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セミは夏を知らない

朝菌は晦朔を知らず恵蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんやという文言がある。

今年の夏は蝉の当たり年で、たくさんんの蝉が庭で鳴いていました。ケヤキの木の回りは蝉が地上へ出たときの穴がたくさん開いています。

なかには地上へ出てすぐ力尽きたにでしょうか、孵化できずに死んでいる蝉の幼虫もいます。6~7年も地中で過ごしてきたのにまるで死ぬために地上へ出たようなものです。 そんな事を知ってか知らずにか、仲間の蝉の大合唱が喧しく庭にこだまします。

春にはたんぼでカエルの大合唱です。思い思いの声で鳴いていますが鳴いている意味を知ってカエルは鳴いているのでしょうか。

秋を告げる虫達ははたして鳴く意味を解って鳴いているのでしょうか。(なんかやら荘子風自然観ではあるなあ。)

浄土門は愚者の宗教です。声となって称えられる名号が、あなたの親様なんですよ、なんまんだぶつと称えて生きていけとのお示しなのでしょうか。

超日月光の阿弥陀様が西方に浄土を建立したから、太陽まで西へ往くようになった西方に、おまえの往生する処があるんだよとのお示しです。

現代人はそんなことを信じられないなどという人は、生も死もそして生きるということも一度も考えたことがないのでしょう。

御開山のお師匠さんの法然聖人は彼の仏願に順ずるが故にと仰せになりましたが、順彼仏願故の「故」は小生ひとりを「場」としたものであり、他者への説明の必要はないのが念仏です

小生にとっては、なんまんだぶつはどう称えるか、何故称えるかの詮索をするものではなく「称える」称えものです。 意味や訳は声になって称えられ、聞こえるなんまんだぶつの方にあるので、小生の知ったことではありません。

やがて小生も酒の飲み過ぎで痴呆になって、オシッコ垂れ流しになっていくのでありましょう。 そんな小生をなんまんだぶつとなって浄土に「連れて帰る」というのがなんまんだぶつのご法義です。

そしてすぐさま還ってきて真の菩薩行をさせようというのが阿弥陀様の下心でありましょう。 ですから小生のような不心得者はあまり浄土へ往くきたくありません。(笑)

しかし伊虫あに朱陽の節を知らんや、と何も解らない小生にも帰り還るところがあるからこそ、安心して今生夢の世の中で、いましばし、なんまんだぶつを称え遊んでいます。


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ほんこさん

 

御開山さま。越前ではあなたの恩に報ずるという報恩講の真っ盛りです。

あっちの寺でもこちらの寺でも、普段は葬式の時しか人の出入りのない寺でも、あなたの報恩講が営まれます。 弟子一人ももたず候ふ、とあなたが仰せになったのもかかわらず沢山の人がお寺へ参集しあなたの報恩講を勤めます。

御開山様、あなたはいつも阿弥陀様の真っ正面にただ一人阿弥陀様に向かっての讃嘆でした。 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり、と自分一人のための本願であると仰せになりました。 そんなあなたの後ろ姿を見てあなたの背後から、阿弥陀様のご法義を聴聞させて下さることです。

われ指をもつて月を指ふ、なんぢをしてこれを知らしむ、なんぢなんぞ指を看て、しかうして月を視ざるや、とあなたに叱られそうですが小生は愚かであります。 小生には真如法性とか無分別知とか空とか言われてもさっぱり解りません。分別に分別の屋を架するだけであります。 あなたの指して下さっている月を見るよりも、あなたの阿弥陀様に向かい讃嘆する後ろ姿に、あなたの中で燃えている阿弥陀様の菩提心を感じ取らせて下さることです。

あなたは信心は菩提心である、願作仏心が度衆生心であると仰せになりました。 これを浄土の大菩提心であるとの仰せです。 仏道の正因は菩提心である。しかしこの菩提心はどうしてもこちら側から起こすことは不可能であるとのお示しです。

もし小生が菩提心を起こし得るなら、菩提心は小生の内にあるものであり小生を超えることが出来ません。 小生を超え得ないような菩提心は小生を救うことは出来ません。

全く、仰せのように自力聖道の菩提心はこころもことばもおよばれずであります。 菩提心はこちら側が起こすものではなく、なんまんだぶつと届けられている阿弥陀様の本願が菩提心であり、その願い中に生きていけとのお示しでしょうか。

菩提心はこちらが起こすのではなく、阿弥陀様の発した菩提心・本願に包まれて生きていけとのお示しでしょうか。

阿弥陀様の途方もない誓願・菩提心に感動し、小生を包んで下さる菩提心の中に自己を見いだしていけとのお示しなのでありましょうね。 阿弥陀様の度衆生心が小生の浄土への願生心、願作仏心となってなんまんだぶつとはたらいて下さっているのですね。

いやはやとんでもないご法義ではありますね。まさに 師主知識の恩徳ではありました。 小生身を粉にするのは嫌ですが、せめてあなたのお造りになった恩徳讃を大声で讃嘆することくらいは出来そうです。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし


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ブッド・バイ(みほとけのおそばに)

 二才の時小児マヒになられ、青春の頃脊椎カリエスになられ、障害の中でなんまんだぶつの道を歩いていった御同行が、またひとりどこかへ往ってしまいました。

 佐々真利子さん。あなたは、六十を越した年齢にもかかわらず、無邪気な少女のような笑みをいっぱい浮かべて、夢中になってなんまんだぶつのみ法(のり)を語って下さいましたね。

あなたは、平成九年一月に四十七年間お育て下さった、恩師藤原正遠先生がお浄土へ還帰なされたことを、まことに寂しい極みでございますと語っていました。

寂しい極みという言葉の中に、悲しみや孤独を通り越した世界を垣間見せて下さることでした。両手に軍手をはめて、両手だけで身体を移動するあなたに、 なんまんだぶつのおや様を聞いたことでありました。

念仏とひとり遊びのできること これを大悲とわたくしは云う 「正遠」

このうたのごとく、なんまんだぶつと、ひとり遊びの上手なあなたでした。

何処へ行くにも人の手を借りなきゃなりません、と語ったあなたは、一切 法のご活動の世界で、いつも声になって下さった、なんまんだぶつとひとり遊んでいたのでしょうね。

一つ処(ところ)で倶(とも)にまた会える世界(倶会一処)。帰りそして還る世界であなたは 正遠師と再会なさって嬉しいでしょうね。

越中の雪山師は、「ブッド・バイ(みほとけのおそばに)」という著書の中 で以下のように語って下さいました。

「約束の枚数は尽きた。ふつうなら、グッドバイだが、グッドはゴッド、神がおそばにということだろう。ならばわれら仏教徒、別れは”ブッド・バイ” --仏おそばにまします。たとえ一人になろうとも、仏はあなたと共にある。今日一日、生きている間は生きている。逢えてよかった。ブッド・バイ!。」

(雪山隆弘著・ブッド・バイより引用)

そうでしたね。阿弥陀様がごいっしょでした。そしていろんな人が小生を育 ててくれています。佐々さん、なんまんだぶつのお育て有り難うございまし た。そして、いましばらくのお別れです。

 ブッド・バイ。

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おや様の名前はなんじゃ

うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ

家には八十五才になる老人性痴呆のばあちゃんがいます。痴呆になったら何でもみんな分からなくなるから、呆けは怖くないと言う人もいます。 確かに物忘れは激しく、人の言った事もすぐ忘れてしまいますが、人としての感情の部分はしっかりと残っているものです。

家族の会話も理屈ではなく、感情で受け取っているだけに色んな誤解が起こりやすく、ばあちゃんにとっても家族にとっても、辛い思いをする事が数多くあります。

そして、家のばあちゃんを見ていると、呆けていくのには大変なエネルギーを使うものだと感心します。 なにせ自分が何をしたかが分からないのですから、現実に起きている事との整合をとるのに四苦八苦し、そして家族との会話には作話(さくわ)で応えようとします。

自分の物を片づけ忘れて見つからない理由を説明するのに、誰かが盗ったという作話で表現をし、時にはどうせ呆けて気違いになったんじゃとふてくされたりもして、毎日を過ごしています。 自分が崩壊していく恐怖と、毎日直面していくのはとても大変な事なのです。

「反省」も忘れ、「生きる」ことも忘れ時には人を罵り、怒り嫉み貪りに心が感情が揺れ動く、狂ったかと思われるばあちゃんです。 もっと呆けがひどくなったら、座敷牢を造って閉じこめるか縄で縛っておいてくれ、と言うばあちゃんです。

小生は、そんなばあちゃんに「おや様の名前はなんじゃ」と聴くと、ばあちゃんは、「なんまんだぶつ」と答えます。 そして「こんな娑婆はしばらくじゃ。はよ、お浄土へ往きたいのぉ」と言います。五十数年前に死に別れた子供達が待っててくれると言います。

「なんまんだぶつの船に乗り、なんまんだぶつの切符をもろて、着いた先がお浄土やのぉ」と小生が言うと、なんまんだぶつを称えます。

やがて痴呆が進んで、なんまんだぶつも忘れる時がくるのでしょう。でもばあちゃん。忘れてもいいぞ、このご法義は、なんまんだぶつの船の上に、もう乗っているんにゃもん。 待ってる子供達の処へ安心して死んで往けよな。

うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ

自分を産んで育てて下さった母親の、呆けて狂うていく姿を見るのは子供としてはいくつになってもやりきれないものですが、なんまんだぶつの親さまだけが、ばあちゃんとごいっしょして下さいます。

母親(ばあちゃん)の呆けを受容しきれずに、すぐ叱ってばかりいる小生にも阿弥陀さまが、なんまんだぶつと声になってごいっしょして下さいます。 もったいないことではありました。

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一枚の答案用紙)

人は生まれた時に、一枚の答案用紙を持って生まれて来るのだ、と聴いたことがありました。

この答案用紙は、全くの白紙で何の問題も書いてなく、また提出期限もありません。 さ~て、この問題のない答案用紙に、人はどんな名前を記し、問いと答えを描いていくのでしょうか。

どうやら自分で問題を考え、自分の涙と汗で答えを出していくしかなさそうです。 生きるという自己の人生が問いであり、一人ひとりが自己のいのちを通して問い、そして、答えを出していくしかなさそうです。

その問いと答えが「お前は何者だ」というとんでもない根元的な問いであり、答案用紙の名前の覧に記述するものになるのでありましょう。 林遊とか、rinyou等という記号の羅列ではない、父母未生以前の「お前は何者だ」に答えを出すことが、たった一人の、一枚っきりの、かけがえのない答案用紙に、答えを出すことなのでしょうか。

小生の住む越前、永平寺の道元禅師は、「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり」とおっしゃって下さっています。

宗祖、親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と仰せです。阿弥陀さまの本願の中に、「お前は何者だ」という問いを聞いていくのが、お前の問いと答えなのだよ、とのお示しです。

法蔵という名の菩薩が、あらゆる生きとし生けるもののために、阿弥陀さまになり、なんまんだぶつになったという、仏願の生起本末です。

なんまんだぶつのご法義は、聴聞に極まると先達はおっしゃいます。聴けば「聞こえる」阿弥陀さまのご信心のご法義ですとの仰せです。 聴くのはこちら側で、聴けば「聞こえる」なんまんだぶつのご法義でありました。

聴く側の生業(なりわい)や、生き方や生活態度、人格や、感情には何の関係もなく、ただただ自己を忘れて、聴けば「聞こえて下さる」仏願の生起本末でありました。

こちらがはっきりするよりも、はっきりしたご本願に、信心の目的とやらに迷うよりも、金剛堅固の阿弥陀さまの「ご信心」に自己を放り込んでおけとういことでありましょう。

自分が何者であるか、仏教の理想も信心の目的も、生も死も、生きる意味も死ぬ意味も解らない小生に、ただ、のんびりゆっくり、心のゆるみをもって阿弥陀さまの御本願の中に「生かされている意味」を聴聞させて下さることです。

口先に称えられ、行じられ、受け取られ、聞こえて下さる、なんまんだぶつに自己をならうばかりなのでしょう。いやはや、いま、ここに、わたしに、阿弥陀さまが、称えられて、ごいっしょなのでありました。

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ジャガイモ

過日、小生が畑を耕して、じいさんとばあさんがジャガイモを植えました。半分に切った種のジャガイモに灰を付けて、腐らないようにして種芋を植え土をかけます。

植えられた種芋は、やがて小さな芽を出し、雨にうたれたり、日の光を浴びて育っていきます。草取りは惚けたばあちゃんの仕事です。

やがて背丈が伸び日射しが強くなる頃に、白い小さな花を付けます。不思議なことにジャガイモにはジャガイモの花が咲き、大根の花は咲きません。 やがて初夏の日射しの元で収穫の芋ほりです。土から穫れたばかりのジャガイモは、変な格好の芋ばかりですが、どれもとてもおいしいジャガイモばかりです。

スパーでジャガイモを買う人は、ジャガイモがどのようにして出来るのかは知らないのかも知れません。 出来上がったジャガイモ「だけ」を見て、これはジャガイモだと思うのでしょう。 春に土を耕し、肥料をやり虫が付かないか配し、草取りに精をだし、小さな可憐な花の美しさを知っている者だけが、本当のジャガイモをジャガイモだと知りうるのでしょう。 出来上がった結果だけを見ても、その物の本質は解らないようなものかもしれません。

法蔵という名の大乗の菩薩が、何故、阿弥陀と呼ばれる仏様に成ったのか。何故、なんまんだぶつと、称えられる名号に成らなければならなかったんでしょう。 幾千万の御同行が、世間からは馬鹿にされながらも、何故なんまんだぶつを称え、命懸けで信心正因と、ご信心を伝えて下さり、その中で生き、そして死んでいったのでしょうか。

親鸞聖人は「仏願の生起本末を聞け」とおっしゃいます。出来上がった阿弥陀さまだけを聞くのではなく、法蔵菩薩と現れて下さったところが、大切なのですよ、と示して下さるのでしょうか。

如来の作願をたづぬれば  苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて  大悲心をば成就せり 苦悩の有情(情を持って生きる者)の為に、はじめ(首)から小生への回向で仕上げた、大悲心のご本願でありました。 小生の、浄土に往生する業因は、すべてお仕上がりと聴きました。口に称えら聞こえて下さる、なんまんだぶつの生起本末とは、苦悩の有情を材料としてのご本願とのお聴かせでありました。

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6月28日

見知らぬじいさんやばあさんは、普段何を考えているのかよくわからないので、会話の糸口を見つける事に苦労することがある。 しかし、越前ではじいさんやばあさんと会話を成立させるひとつの方法がある。   「ばあちゃんヨ、昭和23年の6月28日は何処にいたんじゃぃのぉ」   「ありゃぁ、地震ん時ケ。ウラあん時は田んぼにいて二番草(田植えから二回目の除草作業)取ってたんじゃ。ほらもう娑婆がひっくり返るかと思て、たんぼ道まで這うて上がったんじゃが腰抜けてもて、なまんだぶ、なまんだぶと言うだけやった」   「地震やのぉ、ウラんとこはオババが家(ウチ)の下んなって死んだんじゃ。いかい(大きい)梁が胸んとこへ落ってのぉ。惨いもんじゃった」   「ウラんとこの近所では五人死んでのぉ。筵を並べて寝かいておいたが、サンマイ(火葬場)も潰れてもたで、割木で野焼きしたもんじゃ」   アポロ宇宙船が月に着陸した日は知らずとも、昭和23年6月28日の事は、昨日のように覚えている、じいさんやばあさんである。 今日はそれから50回目の6月28日である。小生の家でも顔も見たことのない兄二人が震災で死んでいった。 じいさんとばあさんはよく二人の思いで話をするが、西方浄土の住人となった兄弟は、いつもいい子なので親不孝の小生は少し頭が痛い。   それにしても何故年寄りは、昭和23年の6月28日という日付を覚えているのだろうか。 きっと自分の事だからハッキリ覚えているのかも知れない。人間が月に行こうがどうしようが、そんな事はどうでもよい事である。 自分自身がどうなるか、有縁の人がどうなったかが凡夫の最大の関心事である。社会を論じ他者を論じる事も、このご法義には用意がされているのかもしれないが、自分のことしか考えられない浅ましい小生である。 しかし顔さえ知らない地震で死んだ兄弟であっても、西方仏国に往生して、仏様に成ったと思い取らせて下さることは出来そうである。 やがて小生も往生していく西方仏国、なんまんだぶつの仏様の国であるお浄土である。   六月二十八日は、越前の数千人の人が浄土へ往き生まれた誕生日である。 さて、今晩は下手くそながら、お仏壇の前で大無量寿経を読誦して、お浄土の先輩達と楽しませてもらうことにしよう。

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はすを植えたよ

家のじいさんが庭の真ん中に、大きなコンクリート製の管を置いて池を作った。高さが1メートル、直径2メートル程の円筒形で、この中で 蓮を育てるという。

お浄土へ往けば、嫌でも蓮の華が見られるのに、などと小生はからかうが、一度自分の手で蓮を育ててみたかったとじいさんは言う。池に田んぼから泥を運んで、水を張り池が完成した。

早速近所からもらった蓮を植えてみたが、コンクリートの灰汁のせいか、池にはミジンコすらの生き物も発生せず、1年目は蓮の開花に失敗してしまった。

家の池に咲く蓮の華が、間違えて、お浄土に咲いてしまったのかも知れんのぉなどと、家族で言い合ったものだった。

さ~て今年はどんなもんじゃろと、池の様子を見ると、ミジンコやらボウフラや、トンボの幼虫のヤゴまで池の中に住んでいた。小さな池の中でちゃんと一つの生態系が出来上がっている。

去年と違うて、こんだけ生き物が住んでいるんにゃさけ、蓮も仲間に入れて貰えるじゃろと、じいさんは今年も蓮を植える事にした。 ミジンコにはすまん事だが、水を入れ替えて、水の浄化に役立つといわれる水草も配置して、蓮を植えた。

「高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず」といわれるが、じいさんは泥中の蓮華が好きなのだろう。九十年の貪瞋煩悩中にあっての、なんまんだぶつである。

称える側はどうしようもないが、称えられ、聞こえて下さる、声となった、なんまんだぶつである。

娑婆で蓮の華が咲かなくても、お浄土で、なんまんだぶつの蓮が花開いて、帰る処のある、用意万端整った御法義である。いやはや、どんな花が咲くのか小生にとっても楽しみなことであるなぁ。


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吉崎(よっさき)の虎

家のじいさんが吉崎で「御絵説き」を初めてから二十数年になる。蓮如上人の御一代を絵にした掛け軸の前で、一つひとつの絵に描かれた蓮如上人のエピソードを、御正忌に参詣の人の前で説明するのが、「御絵説き」である。

そんな吉崎での「御絵説き」の時である。いつものように参詣人の前で絵説きをするじいさんを、遠くから腕組みをして眺めている坊主がいた。 そして絵説きが終わると、じいさんの側へ来て、日本には大蛇はいませんと言ったそうである。

この坊主は絵解きの中で、池に住む大蛇まで、蓮如上人のご法話を聞きに通い、御教化を喜んだという逸話が迷信臭くて気に入らなかったのだろう。きっと現代教学とやらに毒されている賢い坊主なのだろう。

じいさんは、御文の一帖目八通に「年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月二十七日よりかたのごとく一宇を建立して」とあるが、この吉崎には虎がいたんじゃろかのぉ、と答えたそうである。

吉崎には虎が居たんじゃ。大蛇の一匹や二匹、何の不思議があるもんかいやと、後日じいさんと笑いながら語りあったことだった。

吉崎、よいとこ一度はおいで、寺の数ほど面がある、と言って嫁威しの面を見に来る同行を御絵解きに誘い、お寺にある肉付きの面はみんなニセモンじゃ、ホンマモンの鬼の顔はここにあると言って、同行に壁に掛けた鏡を覗かせるじいさんである。

小学校も満足に出ていないが、小生がうろ覚えの御文を言えば、何帖目の何通にあるというじいさんである。 なんまんだぶつの御法義は、こんな名もない、じいさん達によって支えられてきたのかもしれんなあと思ったりしている、理屈をこね回してばかりいる小生である。


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南無阿弥陀仏のお相伴

今年九十になる家のじいさんには九十三の姉がいる。この姉は長らく寝たきりで入院生活を続けているので、たまにじいさんと一緒に病室を訪ねる。


そして二人の病室での会話を聞いていると、娑婆の話をしているのか、お浄土での話をしているのか訳が解らなくなることがある。

姉さん、安心して死んで往けヤ、オジジもオババもみんな待ってるでの。今度死んだら仏さまになるんやさけのお。喜びすでに近づけりちゅうて阿弥陀さまにおまかせして、目ぇ落といたらそこがお浄土やさけの。

ウラァ、先に往くかも知らんけど、オメも後からくるんやな。待っててやるさけなあ。オメも来いよ。なまんぶ、なまんだぶ。

ほやほや、死にがけに、辛うてお念仏の出ん時は、心の中ででもお念仏さしてもらおのぉ。ハッキリしてまいるんでねぇ、称えてまいらしてもらうんやさけのぉ。なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・・・。

思わず小生も、貰い念仏をしてしまい、一緒に阿弥陀さまのお名前をお称えすることである。忘れていけない念仏ではなく、称えなければならない念仏ではないが、なんまんだぶつと口から出て下さる御信心のお念仏である。

九十年のいのち終わる時まで、息の通うほどは、阿弥陀さまご一緒の、なんまんだぶつである。娑婆も浄土もぶっ通しの、なんまんだぶつの御法義を味あわせて下さった事である。


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他者の慶びを

往生は一人のしのぎなりだから、それぞれの人が生きるということを通して、味わっていくしかないのが、なんまんだぶつの法義である。

しかし、他者のご法義の味わい、慶ぶ姿を通して、得る事の出来るものもあるのかもしれない。

田舎では、子供の頃は農耕用に、牛や馬を飼っている家が沢山あったものだった。 小生の家の前の家でも牛を飼っいたが、牛には名前などはなく○○んとこの牛などと呼んでいた。

友達と喧嘩して、仲間外れになり遊び相手がいない時などは、この牛とよく遊んだものだ。牛の大きな黒い目で見つめられると、小生の心の中を何でもわかってくれているようで、安らぎと平安を感じたものだった。

牛小屋の中で飼い葉桶の中の、切り藁とフスマと米糠の混じった餌を、うまそうに食べている牛を見ていると、何故か心が落ち着いたものだった。

牛の好きそうな青草を取ってきて、牛に食べさせ、うまそうに食べるのを眺めていることは、無性に楽しいものだ。 ある時などは、畑から野菜や芋を盗んできて、牛に食べさせているところを見つかって、こっぴどく叱られたりもしていた。

他力のご法義を、牛にたとえるのはおかしな話だが、他者がなんまんだぶつのご法義を、慶び、味わう姿を通して、知ることの出来るものもあるのだろう。

貧しかった時代には、わずかなおかずを、母親が自分では食べずに子供に与えたものだ。そして、子供達の喜び食べろる姿を見ることに、母親がよろこびを感じたように、他者が喜ぶ姿が、自分の慶びになるような世界があるのかもしれない。

御開山の書かれたご本典、教行証文類は、ほとんどが浄土門の祖師方の引文で成り立っている。 きっと御開山は、浄土真宗の七高僧の祖師方が、喜び、讃嘆する文言を通して、御開山自身がこのご法義を慶び味わっておられたのだろう。

味わいという感性は、ともすると個人の経験という意味に取られ易いが、他者の経験して下さった、その人しか生きることの出来ない世界を生きてきて下さった言葉を聴く事が慶びとなるる領域もあるのだろう。

なんまんだぶつのご法義に生きて来た、数多くの先哲、先輩の同行が、慶び讃嘆して来た「言葉」を聴き、それを自分の慶びとする楽しみも、このご法義には用意されているのだろう。

なんまんだぶつのご法義の「言葉」はこちら側が解釈する言葉ではなく、解釈して下さった言葉を、それぞれの持ち合わせのまま、唯々「聴く」だけのご法義かもしれません。

小生のような馬鹿は馬鹿なりに、賢い人は賢い人なりに、色んな味わいが用意されている、なんまんだぶつのご法義であります。

なんまんだぶつは、称え聞くことによって、何とも色んな味がするもんじゃ。


なんまんだぶ なんまんだぶ 称名相続 ・・・


御本山へ団体参拝

だいぶ古い話だが、家のじいさんから門徒の御本山団参の時のエピソード。

御本山の報恩講へ、団体で上山した門徒達の。帰りの汽車の中での話です。大体阿弥陀さまのご法義の門徒は行儀が悪いですし、まして気心の知れあった門徒同士ですから、車両の中のあちこちで、京土産を見せあったり、孫の自慢話をしたり、酒を飲んだり騒々しいもんです。

ところがある駅で、人相の悪そうな黒いコートを着た男が汽車に乗ってきました。 とたんに今まで声高に騒いでいた門徒達は、急に静かになってその男の挙動を窺い、ばあちゃんどもは小声でひそひそ話です。

ところがその男が座席に座って、自分の前に座っているばあちゃんを見て、ふとなんまんだぶと呟きました。

ばあちゃんはこれを聴いて、ありゃまぁ、あんたも御開山のお同行けぇと素っ頓狂な声を出しました。

このばあちゃんの一声で、車両の中は元の騒々しさに戻り、あちこちの席から、酒飲みねえ、これ食いねぇと酒やツマミが男のもとに届けられ世間話に花が咲いたそうです。

阿弥陀如来の本願力が、なんまんだぶつと声になって届けられ。聞こえて下さるご法義でありましたです。

一人ひとりの、想い、生き方、暮らしぶりには着目せず、小生に必ず称えられなければ仏にならないという、阿弥陀さまでありましたです。

貪瞋煩悩の中に、小生に称えられ聞こえて下さる阿弥陀さまの願いに順ずる故の、なんまんだぶつでありましたです。

そして、この道に生きる人の集いを御同朋・御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう)というのかも知れません。


なんまんだぶ なんまんだぶ 称名相続 ・・・


葬式仏教考

葬式仏教が仏教を衰退させたなどと言う人がいる。しかし葬式という儀式があればこそ、なんまんだぶつのご法義が、連綿と相続されてきたのではないのだろうか。

浄土真宗は、阿弥陀さまの浄土に往生するご法義であり、往って生まれる処があればこそ、今少しこの娑婆を楽しんでみようかという、とても珍しい生死を超える仏教である。

なんぼ若い兄ちゃんや姉ちゃんであろうとも、やがていずれは死んでいくわけだから、葬式というものを通して”いのち”の行く末というものを考える機会になれば、葬式というものは立派な御教化の方法になる。

娑婆では死に方の話がよくされるが、よく聴いてみると死ぬための、生き方の話がされている。しかし、なんまんだぶつのご法義は、死ぬための生き方ではなく、唯々死んでいく話をする。

そして、どうしても死ぬとしか思えない事を、往生(往って生まれる)と示して下さるご法義である。 であるから、浄土真宗の葬式は、浄土へ生まれたお祝いの儀式であり、往生人と娑婆の人間との感応同交の場なのだろう。そして命日とは浄土へ生まれた先人の誕生日を娑婆で祝う、祝い事なのかも知れない。

最近世間では天国という言葉を使い、マスコミの馬鹿どもまで天国という言葉を使うが、あの場合の天国とは何を指して言っているのか気に掛かってしかたがない。 あれほど人を馬鹿にした言葉はないのではないかと、密かに思っていたりしている。


なんまんだぶ なんまんだぶ 称名相続 ・・・


永平寺の管長さんは偉い

あるご法座で、法話が終わり、門徒同士の雑談で、どれだけ偉い人を知っているかという自慢話になった時の話です。

「いやあ、永平寺の管長さんちゃ立派な人じゃ。こないだ仕事で永平寺へ行った時、管長さんと廊下ですれ違うたんじゃが、ウラんとこは浄土真宗やって知ってるのに、ウラんたなもんに合掌して礼拝してくんなった。偉い人は違うもんじゃのぉ」


永平寺の管長さんに挨拶をして貰ったのを自慢する門徒です。偉い人を知っていることが、偉い人だと思っているのだろう。

「あんた、そりゃぁ違うんでねんけ。管長さんはあんたに頭さげたんでねぇ。あんたの中に燃えている、阿弥陀さまの菩提心に合掌礼拝したんじゃねぇんけのぉ」

人の地位や立場が喧しくいわれる世の中で、地位や、根性や、人格や、性格や、生き方や、生活態度をあてにせず仕上げて下さった、ご本願でありましたです。

あらゆる人に届けられ、必ず口先に称名となって称えられなければ正覚をとらないという、阿弥陀さまですね。日々の暮らしの中では、三毒煩悩に騙されて他者といさかいばかりしておりますが、根本のところでは他者を、お育て下さる「我以外皆菩薩」と思い取らせて頂くのも、このご法義にはありそうです。


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