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「母に会いたくて みんなの法話」の版間の差分

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(1 版)
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丁野 恵鏡(ようの えきょう)(龍本寺住職)<br/>
 
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おばあちゃんは腰を一つ二つたたいて、ふり向きました。<br/>
 
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いつだったか、途中で悪ガキににらまれたことがありました。<br/>
 
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追いかけられそうになって、お母さんに守ってもらったのでした。<br/>
 
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落日の太陽は西の空に傾いていました。<br/>
 
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鶏が二、三羽、畑で餌をついばんでいます。<br/>
 
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田圃(たんぼ)へ行ったのか、大人も子どもも、人影はありません。<br/>
 
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たけし君は反射的に、脱兎(だっと)のごとく走り出していました。<br/>
 
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「こらーっ、まて~」<br/>
 
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親指の先から血がにじんでいました。<br/>
 
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それでもたけし君は歯を食いしばって歩きました。<br/>
 
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大きな橋のたもとに出ました。<br/>
 
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家々から夕飯の支度をする白い煙がたちこめ、夕闇の迫る通りをせかせかと村人が行き交っています。<br/>
 
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とうとうお母さんの実家にたどりついたのでした。<br/>
 
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法事で集まっていた人たちが、奥からどやどやと出てきました。<br/>
 
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たけし君は「ワーッ」と泣き出しました。<br/>
 
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お母さんは「よく来た、よく来た」とたけし君を抱きしめ、あふれる涙を温かい手で拭(ふ)いてくれました。<br/>
 
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手を引く私が導かれ<br/>
 
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たけし君は、十キロメートル先の、お母さんの声を耳で聞いたわけではありません。<br/>
 
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実家に向かって歩き出したのは、行けば必ずそこにお母さんがいるからでした。<br/>
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「心配せんでいいよ、私が守っているからね。<br/>
 
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だからこそ、困難な道も、勇気を出して歩いていくことができたのでした。<br/>
 
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こころで聞いた母の声こそ、阿弥陀さまの喚び声ではなかったでしょうか。<br/>
 
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<pclass="cap2">子の母をおもふがごとくにて<br/>
 
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衆生(しゅじょう)仏を憶(おく)すれば<br/>
 
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現前当来(げんぜんとうらい)とほからず<br/>
 
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たけし君は、五十数年前の私です。<br/>
 
たけし君は、五十数年前の私です。<br/>
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このごろ、目が不自由になった母を介護していると、ふと幼き日の思い出が蘇(よみがえ)ってきます。<br/>
 
このごろ、目が不自由になった母を介護していると、ふと幼き日の思い出が蘇(よみがえ)ってきます。<br/>
 
そして、母の両手をひいて歩く私が、そのまま母に導かれて歩む私と気づかされるとき、親鸞聖人のご和讃が、一層ありがたく味わわれるのです。<br/>
 
そして、母の両手をひいて歩く私が、そのまま母に導かれて歩む私と気づかされるとき、親鸞聖人のご和讃が、一層ありがたく味わわれるのです。<br/>
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2010年11月16日 (火) 06:17時点における版


母に会いたくて
本願寺新報2001(平成13)年9月20日号掲載
丁野 恵鏡(ようの えきょう)(龍本寺住職)
返事がない...

ある秋の日の午後です。
小学一年生のたけし君は、元気よく学校から帰ってきました。

「ただいま!」

返事がありません。
大声で「ただいま」を二度三度繰り返しました。
それでも返事がありません。
裏庭に回ってみました。

おばあちゃんが草むしりをしていました。

「ただいま。
お母さんは?」

おばあちゃんは腰を一つ二つたたいて、ふり向きました。

「おかえり。
お母さんはね、法事で親元へ行かはったよ」

「ふ~ん」

たけし君は、玄関の上がり口にカバンをおろすと、ふらふらっと表に出ました。
とぼとぼと歩き出しました。
足は自ずとお母さんの実家の方へ向かっていました。
実家へは何度か行ったことがありました。
遠い道のりです。
十キロメートルはあります。
いつだったか、途中で悪ガキににらまれたことがありました。
追いかけられそうになって、お母さんに守ってもらったのでした。

落日の太陽は西の空に傾いていました。
家並みがとぎれると、金色の稲穂が波打っています。
その真ん中を一本の乾いた砂利道がどこまでも続いていました。
冷たい風がすうっと、頬をなでていきます。
たけし君はお母さんに会いたい一心で、走り出しました。

無我夢中で
やがて前方に数軒の民家が見えてきました。
たしか悪ガキの家は、その中の一軒です。
彼は走るのを止め、遠くからそっと様子をうかがいました。
鶏が二、三羽、畑で餌をついばんでいます。
田圃(たんぼ)へ行ったのか、大人も子どもも、人影はありません。

「しめた!」

たけし君はそっと通り抜けようとしました。
はずれの一軒家の前まで来たときです。
二、三人の子どもが、家から釣り竿(ざお)を持って出てきました。
あの悪ガキと子分たちです。
目が合ってしまいました。

「しまった!」

たけし君は反射的に、脱兎(だっと)のごとく走り出していました。

「こらーっ、まて~」

怒鳴る声がしました。
ドタドタッと迫ってきます。
無我夢中で走りました。
悪ガキたちは、しつこく迫ってきます。
そのうち小石がパラパラッと飛んできました。
たけし君は息を切らし、振り向きもせずに走り続けました。
やがて悪ガキ達の足音が聞こえなくなりました。
やれやれ助かった。
ふと気がつくと、草履の鼻緒が切れかけています。
親指の先から血がにじんでいました。
それでもたけし君は歯を食いしばって歩きました。

大きな橋のたもとに出ました。
ここからはそう遠くありません。
いつのまにか草履の片方がなくなっていました。
砂利が素足に食い込んで痛みます。
足を引きずりながら、川沿いの道を進みました。
太陽は西の山に沈みました。
家々から夕飯の支度をする白い煙がたちこめ、夕闇の迫る通りをせかせかと村人が行き交っています。
とうとうお母さんの実家にたどりついたのでした。

「あっ、たけしちゃんや!」

「どうしたんや?」

「一人できたんか?」

法事で集まっていた人たちが、奥からどやどやと出てきました。

その時です。
裸足のまま庭に飛び降り、たけし君のところへ走り寄る影がありました。
お母さんです。
たけし君は「ワーッ」と泣き出しました。
お母さんは「よく来た、よく来た」とたけし君を抱きしめ、あふれる涙を温かい手で拭(ふ)いてくれました。

手を引く私が導かれ
たけし君は、十キロメートル先の、お母さんの声を耳で聞いたわけではありません。

実家に向かって歩き出したのは、行けば必ずそこにお母さんがいるからでした。

「心配せんでいいよ、私が守っているからね。
まっすぐ歩いておいで!」という母の喚(よ)び声を、彼はこころで聞いたに違いありません。
だからこそ、困難な道も、勇気を出して歩いていくことができたのでした。
こころで聞いた母の声こそ、阿弥陀さまの喚び声ではなかったでしょうか。

<pclass="cap2">子の母をおもふがごとくにて

衆生(しゅじょう)仏を憶(おく)すれば
現前当来(げんぜんとうらい)とほからず
如来を拝見うたがはず
     (註釈版聖典577頁)

たけし君は、五十数年前の私です。

このごろ、目が不自由になった母を介護していると、ふと幼き日の思い出が蘇(よみがえ)ってきます。
そして、母の両手をひいて歩く私が、そのまま母に導かれて歩む私と気づかされるとき、親鸞聖人のご和讃が、一層ありがたく味わわれるのです。

 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/