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改悔批判 (平成7年)

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2007年9月6日 (木) 14:57時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版

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仏力を談ず 深川倫雄和上

仏力を談ず_(上)
仏力を談ず_(下)
仏力を談ず (講話)
改悔批判_(平成7年)
博多弁の妙好人
法話 義なきを義とす
ウィキポータル 深川倫雄

第一席(一月九日)

 お待ち申して居りました。ご開山聖人のご正忌報恩講でございます。今日からの一七日(いちひちにち)の間は、殊にお称名の声ほがらかに参詣致しましょう。

 ご門主さまには、不肖倫雄に改悔批判のお手代を仰せ出されましたこと、重大なお役目恐懼に存じます。瑕瑾(かきん)なきを期してお勤め申します。

 私共のご法義は『浄土三部経』のご法義であります。この『三部経』をご開山聖人のご化導に従って、お領解してゆくのが私共であります。この『経』は釈迦・弥陀二尊のご法義を説示するものでありますから、私共の大切な仏様はお釈迦様・阿弥陀様の二尊でございます。

 その釈尊が教えて下さるには、私共の歴史は大層古いそうであります。曠劫という大昔、時間の果てから始まりました。私共は煩悩具足、罪業深重でありましたので、死んでは生まれ死んでは生まれして、六道という迷いの世界を流転輪廻して来たということであります。その中でも地獄、餓鬼、畜生の三悪道(さんまくどう)を経巡って来たのであります。

 この流転の中で人間界に生を享ける事は大層珍しく、希有なことでありますので、この度は享け難い人界に生を享けて幸せであります。此処に於て釈尊の教えを聞くことが出来ました。その仏語によって曠劫流転の事情を聴聞しましたが、私共の智恵では分かりません。私共は両親に生まれて私が始まり、息が絶えて終わると考えていました。仏語を信受(しんじゅ)することによって、私共の過去を教えて貰ったわけであります。人間に生まれた事は希有に有り難い事、仏法に遇うことは更に幸せなことであります。

 釈尊は法蔵菩薩の事を説いて下さいました。法蔵菩薩は流転窮まりない私共を、この迷いの世界から解き放って下さろうと考えました。私共自身は迷いを迷いと知りませんので、別してこの世界から出離れて行きたいとも思いませんが、法蔵菩薩は、私共は迷いの中に満足しているべきでない、一人残らず覚りの仏になれるものと考えられました。

 法蔵菩薩は我ら衆生を、智目行足欠けたる者、何れの行も及び難き身と見抜かれました。即ち迷界を出離れる出離の小縁もない身であることを基礎とし、そのような衆生の成仏の法について、五劫という永い間、思惟を凝らされました。

 一体、覚りに進むには修行の功徳を積まねばなりません。積み集めた功徳を因徳として、それに相応する果報が得られるものであります我ら衆生には、蓄えた功徳はなく行を求めても何一つ出来ないのであります。  その故に、菩薩は五劫思惟の答えは総ては弥陀仏力をもって救うという、救いの仏になろうということでありました。

 これが即ち第十八願であります。如来は南無阿弥陀仏となって、衆生に信受され称えられて、衆生を西方浄土に往生させ、無上の覚りに至らしめようというのであります。これを私共の側から申しますと、名号を信受し称名して、浄土に往生するということであります。

 このような信受について一同異口同音に領解出言せられよ。


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 只今各々出言せられましたが、口の出言、心の味わい異なりなくば、誠に麗しいお領解であります。

 出言の領解を案ずるに、安心、報謝、師徳、法度の四項目に分けて考えられます。このお座は改悔批判のお座でありますが、悔批と領解とは同じ事であります。領解に誤りがあると教えられたら、早速に改めるべきであります。

 初めに安心の段に「諸々の雑行・雑修」ということは、称名以外の雑多な諸善をつとめながら、これを自分の善根として仏に回向しようとする事であります。自力諸行をして、その功を仏さまに回向しようとする心が自力の心であります。

 これに対して他力信心の人の行業を正行・専修と申します。「自力の心をふり捨てて」とは、自分の思うこころ考える智恵は全く煩悩の中にあるものであって、価値のないもの、雑毒のものとして全く用いてはならないということであります。凡夫の考えることは総て用いないで、只々釈迦・弥陀二尊の仏語を信受いたします。

 弥陀如来の本願の仰せは、自己を全く用いずして「ただ弥陀の名号を信受せよ、如来の必ず救うというお計らいに任せよ」というものであります。如来の仰せに従って、己の総てを如来に任せることであります。これを「後生たすけたまえとたのみ申す」と出言したのであります。如来の方から先手をかけて、「助かる術のない汝を、この弥陀はたすけるぞ」と言われているのに対して、心身を挙げてお任せするということを「たのみ申して候」というのであります。「たすけさせてくれよ」「われをたのめ」とある仰せに「それではたすけなさいませ」という意味で「たすけたまえとたのむ」と出言したのであります。以上は安心の一段でありました。

 以下の報謝、師徳、法度は全部合わせてご報謝であります。即ち全体を報謝というところを分けて報謝、師徳、法度と申します。  「この上の称名は、ご恩報謝」とは、「称名を往生の種になると思うなよ」という心持ちを含みます。  称名が報謝であるとは、称名の称が報謝であるというのであります。称えるという私の仕事について報恩というのであって、称えられる名号は報恩ではありません。

 南無阿弥陀仏とは「ありがとうございます」という意味だと言ってはなりません。南無阿弥陀仏は、何時何処で聞いても称えても、「そのまま来いよ」のお喚び声であります。

 次に「この御ことわり」からは師徳、即ちご開山聖人のご恩を出言しました。「この御ことわり」とは、前に出言した信心称名の法義のことであります。

 ご開山さまは九十年に亙って、大層にご苦労でございましたから、何処を取り出してもご恩でないことは一つもありませんが、何と言ってもご法義そのもののご化導のご恩であります。ご開山さまご苦労様でございました。和歌の浦わの片尾波のように、日毎夜毎に御影向と存じ、お伴申す心持ちで仰ぎ参らせております。

 「次第相承の善知識」とは、歴代のお門主様方を指します。八百年、二十四代に亙る伝持のご苦心は大変な事でありました。一例を出せばご安心の正邪につきお心を悩まされ、心血を注いで賜ったご裁断の御書によって、末世の我々に誤りないご安心をお伝え下さいました。他のご門主様方も、法門を一基写瓶(いっきしゃびん)、大切にご化導下さいました。

 法度というのは「この上は定め置かせらるる」以下の段であります。昔、掟のことを法度と申しました。宗門の決まりを守って、信仰生活をしますという心持ちですから、ご恩報謝の心怠りなく一生を生きますというのであります。 「定め置かせらるる御掟」とは様々に有ります。勤式の作法、お給仕の仕方、年忌法事の事、学問研鑽など、僧侶門徒の決まり心掛けを守るということであります。総て大慈大悲の如来さまにお仕えをするということでありますから、皆ご報謝であります。お称名諸共、一生涯は何を致しましても、ご恩尊とやと生きて参るのであります。

 このお座に引き続き非時及び日没の勤行がありますので、これに連なり我が宿に帰る道中から、称名相続ご開山聖人のご苦労を物語っては夜を明かし、明朝は早々にお晨朝に参詣せられよ。


第二席(一月十日)

 昨日から修行相成るご開山聖人のご正忌報恩講に、ようこそご参詣なされました。これが最後でお暇乞いかも知れません。ご開山聖人のご恩しみじみと思われます。

 私共の正依の『無量寿経』は、釈迦牟尼仏の出世本懐の経であります。頼みもしないのに、このご法義に出会いました。何という幸せでございましょうか。お称名の内に遠く宿縁を慶びましょう。

 釈尊は法蔵菩薩の五劫兆載永劫の願行をお説き下さいました。流転止むことなき私共を仏にするために、法蔵菩薩は五劫思惟してご本願をお立て下されました。「南無阿弥陀仏と称えられる仏になって、汝ら衆生を仏になさずば正覚を取らじ」とお誓い下されました。

 この菩薩の第十七願に、「我成仏した暁には、恒沙の諸仏を遣わして、汝らが如何なる境涯に苦しんで居ろうとも、わが名号を讃嘆して聞かせるぞ」とお誓いになりました。 それよりこの方私共は、曠劫流転してまだ迷いの世界におります。永の流転の間、第十七願の諸仏は私共に、名号の讃嘆を聞かせて下さった筈であります。然るに私共は、それをまともに聞くことをしませんでした。即ち諸仏は逃げる私共を追い掛け追い掛け、入れ替わり立ち替わり名号法を聞かせて下さいました。「汝がこれから行くべき路は西方である」と指差し下さいました。

 けれども、私共はじぶんの智恵を善きものと誇って参りました。自障障他して、他人様の邪魔まで致しました。折角諸仏のご縁がありながら、空しく過ぎて来たのであります。  然るに遅ればせながら億劫を経ても、生まれ難き人界に生まれました。多生を経ても、遇い難き仏法に遇いました。その仏法は釈尊出世本懐の法でありました。何とも嬉しく有り難いことでございます。

 父よ母よ、ご先祖さまよ、有り難うございました。ようこそ念仏に遇わせて下さいました。本を言えば八百年の昔、ご開山聖人ご出世のご恩でございます。ご開山様今日はご正忌でございます。お有り難うございました。ご苦労様でございました。

 さて阿弥陀如来のご本願は、衆生を招き入れて成仏せしめる浄土を建立し、そこに衆生を往生させようというのであります。五劫思惟の後、師世自在王仏に申しあげました。

 「世尊よ、私は一切衆生を救い入れる浄土を建立する、清浄の行を選択いたしました」

師仏の言わく、

 「汝、法蔵比丘よ、いまそれを述べよ、人々はそれを聞いて大いに悦ぶであろう」

 そこで、法蔵菩薩は四十八の大願を切々と申し上げました。私共はこれを菩薩の後ろでお聞きします。よく聞いて参ります中に、

 「待てよ、これは大変なことだよ。四十八願はすべて私一人のことであるぞ」

と思われて参ります。

 ついで法蔵菩薩は、兆載永劫の修行をなさいました。菩薩が成仏するための因の功徳が積まれました。その功徳に世って、阿弥陀仏となられました。

 『大経』のここの一段には「令諸衆生 功徳成就」という一文がございます。この文は「諸々の衆生の功徳を成就せしめ給う」ということであります。法蔵菩薩が自らの成仏のための修行の時に、同時に私の功徳も成就して下さった。即ち菩薩の成仏のための功徳は同時に南無阿弥陀仏と仕上がったということであります。

 全部のお徳を南無阿弥陀仏に篭めて仕上げられたのであります。即ちお六字の功徳を不可称不可説不可思議の功徳と申します。五劫思惟の時に選択されたのは、浄土建立の行でありましたが、それはそのまま衆生の功徳として回施される行になりました。即ち五劫思惟の選択は名号「南無阿弥陀仏」」でありました。

 このお六字を頂くというご法義について、参詣の諸人、異口同音領解を出言せられよ。


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 ただ今は自分の領解を出言せられましたが、心中の味わいの通りならば誠に目出度いお領解であります。

 この領解はその中を安心、報謝、師徳、法度と分けることが出来ます。一番大切なのは安心であります。信心を本とすると申します。信心とは名号が本体であって、名号が私の功徳として宿っていることであります。

 安心の安は、「安置する」「据える」という程の義、即ち安心とは、こころの据え振り心の座り様という意味であります。従って「安心が違う」とは言います。信心は如来他力のご回向でありますから、「信心が違う」とは言いません。

 安心の中で肝要は「御たすけ候へとたのむ」と言う言葉であります。ご開山聖人は「如来の信楽」ということを教えて下さいました。五劫兆載の願行は、一願誓うも衆生のため、一行励むも衆生のゆへ、この積功累徳の願行を、衆生の処に南無阿弥陀仏と成就して、摂取不捨、如来様ご自身が、救いについて疑いがない、「わが願行に落ち度はない」と、如来のお手許が金剛の信楽であるというのであります。この如来の信楽の心を言い換えますと、「われをたのめ」如来さまが「我をたのめ」と仰せ下さるお心が声になった。

 南無阿弥陀仏、南無の二文字は「たのめ」の言葉。如来様の側では南無の二文字は「たのめ。」これが衆生に渡った側でいえば「たのみ申して候」。然らば「阿弥陀仏」の四文字はいずれの語に当たるか、それは「御たすけ候へ」であります。如来の願行の側でいえば南無阿弥陀仏は「たのめ、たすくる」というお名告りであり「汝、一心に正念して直ちに来たれ、われよく汝を護らん」と言う喚び声であります。

 ご開山様は「召喚の勅命」とお示し下さいました。これを私共の側のお領解でいえば、「たすけたまへとたのむ」ということになります。「たのめたすくる」が曠劫以来の先手をかけた如来の信楽でありますので、それが私一人の信受の側では「たすけたまへとたのむ」ことになります。

 「たのむ」とは、お助けを請うもの、祈るものではありません。もしそれ如来の先手をかけた「御たすけ」に不足を思うならば、それが疑いであり、自力諸善の雑行や凡夫自力の心を用いることになります。その自力を拒否するというお領解が、「もろもろの雑行・雑修、自力の心を振り捨てる」という語であります。

 「たのむ一念の時、往生は一定」とは、平生に往生成仏の業事が成弁・決定するということ。信心正因、平生業成ということであります。

 さてこの御たすけの法を頂き、ご恩尊やと称え且つ聞いて慶ぶ所を、「このうへの称名はご恩報謝と存じ」と出言しました。ここに称名はご恩報謝というのは、称名の称、即ち称えるということが報謝であるということであります。

 称えるのは私、称えられるのが名号。称えようと思う心も、舌を動かし息を出す仕事も私のするで、これはご恩報謝。称えられる名号は、如来回向の正定業であります。お六字の意味を「有り難うございます」と領解してはなりません。本願に「乃至十念」とありまして、称名は信仰生活の第一です。何はともあれ、お称名をして暮らすことであります。

 師徳とは、ご開山聖人ご出世のご恩、歴代善知識さまのご恩と出言しました。更に出言は法度、掟に及びました。

 「このうえの称名」から最後まで、総じてご報謝であります。今日はご正忌、思いますことは、ご開山聖人がこの世においで下さいましたので、他力念仏の法にお遇い出来ました。私共にとっては、遠く八百年昔のお方ではございません。今日も生きてご影向のご開山さまであります。「一人居て喜ばば二人と思え、二人居て喜ばば三人と思え、その一人は親鸞なるぞ」と私の隣に居て下さるかけがえのないお方であります。ご恩でございます。

 ご安心を誤りなく相承下された歴代のご門主さま方は、矢玉の下、火の粉の下をくぐってのご苦労でございました。

 「定めおかせらるる御掟」とは『御文章』には三ヶ条、八ヶ条の掟などとありますが、宗門の決まりは時代と共に少し変わりますから、法度の一段は宗門の決まりと心得て、これを守って行くということであります。  或いはご法座の作法、或いは総代役員の勤め、その他の規則、僧侶・門徒の心掛けをも含んで「守ります」と出言いたしました。総てご恩尊やの思いで生きて行くご報謝の生活であります。

 引き続き非時および日没の勤行に連なり我が宿に帰っては、ご開山のご恩を語り明朝は早々と参詣せられよ。



第三席(一月十一日)

 一昨九日よりご修行相成っておりまするご開山聖人の御正忌報恩講に参詣なされ、この改悔批判のお座に連なられますこと、尊いことでございます。ご開山聖人のご恩の前にご報謝の参詣が出来ましたこと、お互いに誠に仕合わせ者であります。

 私共は「浄土三部経」のご法義を、ご開山聖人のご化導でお領解して参ります。殊に『無量寿経』には法蔵菩薩の願行、弥陀成仏の因果が説かれてありまして、これがご法義の根幹であります。

 これをご開山聖人は「仏願の生起本末」と仰せられました。而してこの「仏願の生起本末」は、お六字「南無阿弥陀仏」と仕上がっております。従って名号のお謂われを聞くということは、「仏願の生起本末」を聞くことであります。

 その法蔵菩薩は、衆生の虚妄の相を見そなわして、この衆生を一人残らず助けて仏にするために四十八願を建て、兆載永劫の修行をして功徳を成就し、阿弥陀如来と成仏し、西方浄土を成就なさいました。この修行が説かれる一段に「令諸衆生 功徳成就」という仏語でもって説かれてあることが、他力回向が説示される源泉であります。

 ご開山聖人は、如来の真実心と不可思議の功徳が、衆生に回施されたと論示される処に、この「令諸衆生 功徳成就」のある経文を引用されてあります。  蓮如上人は「信心獲得」の『御文章』において、

 これすなわち弥陀如来の凡夫に回向しますこころなり。  これを『大経』には「令諸衆生 功徳成就」と説けり。

と、仰せられてあります。

 如来の回向ということは、法蔵菩薩の願行の事の始めから回向でありまして、回向を首とし給うというのであります。ご回向の総体は「南無阿弥陀仏」と成就してございますので、法蔵菩薩の願行も、始めから私の処に積集されて「南無阿弥陀仏」と成就されたのであります。

 「衆生往生せずば、われも正覚を取らじ」と誓い給うた本願が成就したということは、「弥陀は正覚を成じたぞ、衆生往生のいわれは成就したぞ」ということであります。弥陀成仏の因徳のすべては「南無阿弥陀仏」と私の処に回向成就しておりました。即ち総てのいわれは成就しておりましたのですが、ただ一つ、わたしの信受領解が待たれたのであります。

 そのことを第十七願成就の諸仏、砂の数ほどの仏方が入れ替わり立ち代わっては、私共に告げて下さいました。「人ごとではないぞよ、汝自身の出離解脱のための南無阿弥陀仏を信受せよ、称念せよ」と、慈悲倦きことなくお勧め下さいましたが、今日ただ今、漸く私の口に「南無阿弥陀仏」と仏名を称える日が来たのであります。十劫以来お待ちかねの如来さまは、いかばかりかおよろこびでありましょうか。「よう称えた、よう称えた。仏言広大勝解者、汝は華の中の華なるぞ、是人名分陀梨華」とお讃め下さいます。

 『観無量寿経』では、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」と仰せです。親縁・近縁・増上縁、拝む姿は見ておるぞ、喜ぶ心は知っておるぞ、称える声は聞いておるぞ、「南無阿弥陀仏」を不足に思うなよ、汝に余った他力の功徳は届いておるぞと味わう次第であります。

 法蔵菩薩が成仏なさった功徳がみな、お六字と仕上がって我がものとなったのが、この度の信心であります。「ご信心をいただく」というけども、この「ご信心」という品物があるのではありません。如来さまから回向されてある品物は、お六字「南無阿弥陀仏」であります。 曠劫以来も徒らに人ごととばかりにうわのそらで聞いて来た、空しくこそは過ぎて来たが、この度はご開山聖人ご出世のご恩、人ごとではなかった、私自身の後生の一大事であると頂くことが出来ました。

 「信心」というのは、お名号が私に、私のことじゃど頂かれているところで「信心」と申します。信心の中身は南無阿弥陀仏であります。従って「信を得れば南無阿弥陀仏の主になる」と仰せられます。

 弥陀成仏の因徳は、そのまま私の功徳になっている。不可称不可説不可思議の功徳がわれら行者の身に満ちております。従って、身は煩悩具足の凡夫であるままお覚りの直前の位にあります。菩薩の最上階の位、等正覚という位にあるぞと、ご開山はお慶びであります。

 一生捕処の菩薩、もうすぐ仏になる菩薩、弥勒菩薩に同じであるぞと告げて下さいます。「等覚を成り大涅槃を証する、成等覚証大涅槃、このたび悟りをひらくなり」という尊い身の上であると申します。  ひるがえって、わが身この身を尊ばねばなりません。わが身にひそかに言うて聞かせたい。「私はこの度はでかしたぞ。私は只人ではないぞ。仏の功徳を宿しておるぞ。あだやおろそかではないぞよ」と慶びたいものであります。

 さて以上のご法義についての領解、異口同音に出言せられよ。


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 ただ今の出言、口と心と差異ある筈もなくまことに目出度いお領解であります。

 出言のお領解は、はじめから順に安心、報謝、師徳、法度でありました。最初の一段の中、「雑行・雑修」とは、もろもろの善根を自力の心で努力することであります。「自力の心をふりすてる」ということは、このご法義の眼目であって、逆から言えば全文他力、他力の御たすけにまる任せ申しますということであります。

 「自力の心をすてる」とは、自分の知恵を捨てる、自分の功をすてるということであります。私共の苦悩は、「私は賢い」「私の考えることは間違っていない」ということからはじまっています。実は私の価値判断も感覚もみな誤っている、用いるべきものではないとするのが「自力の心をふりすてて」ということであります。

 「御たすけ候へ」とは、如来の方から何も知らない私共に、先手をかけて「助けさせてくれよ」とあるお呼び声に、「どうぞお心のままになされ給へ」という意味であります。ですから「たすけたまへ」とは「たすけて下さい」というお願いではなくて、「助けたいなら助けなされませ」と身を投げ出しての応諾であります。

 このことを次には「たのみ申して候」と出言しました。これも上をすぐに受けた語ですから、申しましたとおり身を投げ出してのお任せきりの意味でありました。

 さらに「たのむ一念」とは、大善大功徳の名号を領受したところですから、信受の一念であって、その時に往生成仏の因が決定するのであります。これを「往生一定」といい、「御たすけ治定」と言い、そのようにお領解いたします。すなわち名号を体とする信心の始めの際に、往生成仏が決定するという信心正因の義を口に出したわけであります。

 「この上は」から数えて以下に「この」という語を三度出言しましたが、はじめの「この上は」とは「信心の上からは」ということで、一生相続する信心とは、口に名号が称えられる行相続であります。私共の称え心からいえば、御恩報謝の想いであります。しかしこれを一声一声の称名にご恩報謝の想いがなければならぬととってはなりません。私共の称名の意義、称名の分斉をいったものであります。即ち私共の「称える」という仕事は、ご恩報謝であると意義づけます。「称える」ことに功はない、称えることを価値あることと考えてはならないということであります。称名は報恩です。

 次に「この御ことはり」とは、信心正因にして称名報恩であるというおいわれのことをいいます。これは本日報恩講のご開山聖人の教判ご化導に従うものであり、ご恩であります。

 「次第相承の善知識」とは、ご開山以来二十四代にわたる歴代のご門主さま方のことであります。今、誤りなきご安心が聴聞できますのは、法門伝持のご苦労が重ねられてあることであります。  蓮如上人は、御真影さまのお伴をして、あそここことご苦労下され、顕如上人は信長方と斗わねばなりませんでした。天明の大火の折りにも、この度の戦争の時も、ご真影さまのご避難をなさねばなりませんでした。  悪人正機のご法義は、いつの時代も為政者から疎まれ難ぜられました。二十四代のご門主さまは、ひと方として安閑の日をお過ごし下さった方はありません。心安く「宗祖に返れ」などという前に、一基写瓶に伝持くだされた浅からぬご苦心に頭を垂れねばなりません。

 ついで「この上は」の掟につい。「掟」とは宗門の各種の決まりのことと伺うべきであります。お勤めの節まわしも稽古しましょう。お作法も習いましょう。朝夕の礼拝も怠らぬように、法座聴聞も欠かさぬように等ということであります。宗門における僧侶門徒の勤めのことと心得て然るべきであります。

 さて引き続き非時のお勤め日没の勤行にも連らなって聴聞なされ、宿に下がっては称名相続の中に、ご開山聖人のご恩、事績を語り明朝は早々にお晨朝に参詣せられよ。


第四席(一月十二日)

 本日は平成七年ご正忌報恩講の第四日でございます。幸せに健康でありまして、ご真影様の御前に参詣出来ましたこと、何とも幸せなことでございます。  私共は御開山聖人のご化導によって『浄土三部経』のご法義を領解いたします。このご法義、即ち第十八願の法、弘願の法とは南無阿弥陀仏、名号法であります。第十八願に乃至十念衆生に称えられると誓われ、その成就の文には「其の名号を聞いて信心歓喜する」と説かれてあります。第十七願に我が名とあります。これらわすべて南無阿弥陀仏であります。

 「重誓偈」には名声超十法とありますので、名号は声の相をしているということであります。ご本願の乃至十念は下至十声とも顕します。南無阿弥陀仏とは声であります。即ち、称えられている南無阿弥陀仏こそが、名号の本来本然の相であります。そういう概念で説かれているのが南無阿弥陀仏であると領解して置かねばなりません。

 第十七願の成就文では「威神功徳 不可思議」とされてありますので、南無阿弥陀仏とは声の名号であるだけでなく、その内容は不可説不可思議の功徳であります。そう教えて下さったのがご開山聖人であります。

 これらの教説から総合して伺いまして、善導大師、ご開山聖人は、南無阿弥陀仏は阿弥陀如来の呼び声であり、お名乗りであると教えて下さいました。阿弥陀仏の本国は西方浄土であります。この仏様は「我々を喚んで下さってあって、その声が南無阿弥陀仏であると頂くのだよ」と、教えて下さいました。

 お喚び声の意味から申しますと「汝一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん、衆(す)べて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と、いうことであります。それは如来招喚の勅命であるとも申します。そのお喚び声は、声であるから、我々としては「聞く」ものであります。現に私共の耳に南無阿弥陀仏と聞くことの出来る名号の声は、私共の口に称え奉る名号という声、即ち名声であります。如来様の喚び声は私に届いて、私の口をかって、喚び給うのであります。私共は我が口からの喚び声を、すぐ隣の耳で聞くということであります。自分が称える念仏の声を、自分で聞く、これはこの上もなく大切な行信であります。

 われ称えわれ聞くという自分の行為の中に、既に私は居ません。私は自分を問題にせず、喚び給う声に聞き惚れています。これを「至心信楽己れを忘れて無行不成の願海に帰す」と申します。中身から言えば大善大功徳の南無阿弥陀仏、用き(はたらき)から言えば本願名号正定業、聞こえて来たのは私の口からであります。我が声は我が声ながら尊かりける南無阿弥陀仏。曠劫流転の私に、とうの昔から届いておって、諸仏のご勧化を受けながら、頑としてこの口に掛けなかった永い過去、永い迷妄の歴史でありましたが、この度は何という不思議なことか、やすやす、ころころと、お六字様を称え奉る。勿体なくも有り難いことであります。  南無阿弥陀仏と称えることは、弥陀にたのませられて、たのんでいる相であります。如来様のお計らいは「南無阿弥陀仏とたのませ給いてむかえんと、計らわせ給う」たものであります。

 この喚び声の中身に「衆べて水火二河の難に堕せんことを畏れざれ」というお言葉は、「お前は煩悩罪業の凡夫の暮らしであろうけれども、障りにはならないぞ、弥陀は無碍光の如来なるぞ」というお名告りであります。平たく言えば「そのまま来いよ」ということであります。なぜ煩悩具足のままの凡夫が、往生出来るかといえば、信受・称名された南無阿弥陀仏。頂いた南無阿弥陀仏が不可思議の功徳を宿している、正定業であるからであります。我々は煩悩罪業の凡夫でありますが、称える名号は清浄真実の功徳であります。幸せなるかな「このたび覚りをひらくべし」。

 私共はこの人生が終わり次第、西方浄土に往生して、無上の覚りに至る。還相の菩薩として普賢の徳に従い、悠々とした衆生救済の楽しみに入る。私共には無量寿の未来が用意されてあります。

 さてこのご法義について参詣の大衆、異口同音に領解出言せられよ。


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 確かにご出言のお領解を承りました。心中と出言と相違はあるまじく、誠に麗しいお領解であります。

 只今の出言のご領解はその中を、安心、報謝、師徳、法度の四項に分けることが出来ます。はじめの安心の「雑行・雑種自力の心」とは身口意の三業をわが智恵の力で、目出度く整えて往生しようと思うことを自力と申します。雑行・雑種とは念仏以外の雑多な善根を修めて、それを仏前に回向して往生しようとするのが自力の行と心であります。

 自分のすること、思うことに価値ありとする心が、自力の心で有ります。然るに自分の考える事を、総て誤りであるとして振り捨てる為には、かわりのものがなければなりません。それが「汝の後生は引き受けた」という弥陀のお名告りであります。「汝をたすくる」という如来の呼び声に、身を任せる処を「恩たすけ候えとたのみ申す」と出言しました。仏様の側から言えばお呼び声、即ち南無阿弥陀仏、平たく言えば「たのめ、たすくる」であります。

 南無の二文字は「たのめ」阿弥陀仏の四文字が「たすくる」。「たのめ」は機の方、「たすくる」は法の方、即ち機法一体に仕上がった南無阿弥陀仏であります。たのまねばならない私の仕事は、如来のお手許に成就して、「たのめ」と、ご回向であります。それを私の信受の側で申しますと「たのみもうして候」、「たすくる」という弥陀の呼び声に、身を任せますと「たすけ候え」。少しも私の方からのお願いは雑ざっておりません。雑ざえてはなりません。唯々「たのめ、たすくる」のお呼び声に身を当てて、「たすけなされ」と「たのみもうす」というのであります。

 「今度の後生の一大事」とは、今の世が現世であって、これから後の行く先が後生です。次にどんな境涯に生まれるかは大問題であるから「一大事」であります。私の業からいえば地獄は一定でありますから、自力ではどうにもなりません。ここに名号、信受の端的、即ち自力を捨てた処、臨終を待つ事無く、来迎たのむ事無く、弥陀たのむ一念に、往生成仏決定であります。これを「たのむ一念の時、往生一定御たすけ治定」と出言したのであります。これを信心正因・平生業成と申します。既に未来は決まっております。これから先は何が起ころうとも少しも案ずることはありません。臨終すんで葬式すんで、今は浄土を待つばかりであります。

 以上は安心の一段であります。次に「このうえの称名は」からは報謝の段であります。我々のご法義は、信仰の核心を信心といい、信仰生活を報謝と申します。即ち報謝・師徳・法度の三項は総じて報謝生活のことです。

 我々のご法義は、己を空しくして唯信仏語、如来の招喚を信受する、信心をもって本と致しまして、報謝は末であります。信心の智恵に入ってこそ、仏恩報ずる身となるのであります。ご恩報謝の称名と言いましても、称えられるのは、お六字。称えるのは私の仕事、私の仕事がご恩報謝であります。称えようと思う心は私の思い。舌を動かし声を出すのは私の仕事でありまして、これがご恩報謝であります。ご報謝は努力であります。信は仏智の大悲にすがり、報謝は行者の厚念に励むべしとあります。信心は如来さまのお仕事、ご報謝は私の努力であります。

「この御ことわり」以下、まず師徳。ご開山聖人と「次第相承の善知識」と申し上げた歴代のご門主様方のご恩を出言しました。ご開山様のご恩と申しますと、九十年のご生涯のことを言いがちですが、何といっても、私が「この御理聴聞申し分け候」たることであります。ご正忌御影向の御前に御真影様を拝み奉って、何よりのご報謝は、信心報謝のお育てを、御礼申すことであります。ご開山聖人はご自分に対する非難を予測しておいでました。「どんな非難があろうとも、それは他力の分からぬ人々であるから意に介さない。私は唯仏恩を深々と慶ぶばかりである」と仰しゃいました。仰せの通り、他力本願、悪人正機のご法義は歴史を通じて誤解、弾圧に耐えた八百年でありましたが、ご真影様は黙ってお座りでございます。

 このお苦心の他力義を、誤らずお化導下さったのは、歴代のご門主様方「次第相承の善知識」でありました。二十四代に亙って、一基の瓶の水を一基の瓶に写すように、一滴もこぼさず一滴も加えずに、一基写瓶の相承でありました。ご門主様方ご苦労様でございました。以上が「この御ことわり」と言うところからの師徳の段意であります。

 「この」という語が三度出ましたが、三度目の「この上の」以下は、法度の段であります。「定め置かせらるる御掟」とは宗門の時代時代の決まり、規則のことを意味します。宗門も時代によって、決まりは変わります。昔は六ヵ条、八ヵ条等の掟が示されていました。もっと小さい事で、お仏壇はこう整える、打敷はこう敷く、年忌はこう勤める、僧侶はどうする、総代は何をする、などということも掟です。折りをみて良く学ばねば成りません。此のようなことは、総てご門主様のお指図と心得て几帳面に勤めますことも御恩報謝であります。

 師徳を報謝するのも、掟、決まりを護るのも総じて言えば御恩報謝であります。ご報謝の努力と自力とを取り違えては成りません。如来のお助けについては、すべて仏力他力であって自力無用、ご恩報謝は私の努力であります。身を粉にし骨を砕いて、報謝に勤めるのであります。

 引き続き非時及び日没のお勤めに連らなった後は、帰る道中も称名相続、明朝は早々にお晨朝に参詣せられよ。


第五席(一月十四日)

 本日はご本山のご正忌報恩講に参詣なされ尊いことでございます。そのうえ改悔批判のお座にも連なることが出来ました。来年の報恩講も期し難いことを思えば、お参り出来たことは何にも替え難い幸せであります。  私共のご法義は御開山聖人のご化導によって『浄土三部経』を頂いてゆくものであります。阿弥陀様のお救いであります。わが弥陀は名をもって、ものを摂し給う、南無阿弥陀仏でお救い、名号摂化の法と申します。如来様は衆生に届いて下さるには南無阿弥陀仏としておいで下さってあるということであります。

 ご開山聖人は名号、六字を招喚の勅命である、お呼び声であるとお示し下さいました。名号は私に称えられつつあるのが本来の相であります。如来さまは私の口をかって私を喚び給うのであります。また仏名という点から申しますと、如来さまはわたしの口をかって、お名告りを上げ給うのであります。即ち南無阿弥陀仏という称名の名号は「汝一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん、衆べて水火の難に堕せんことを畏れざれ」という意味であります。 平たく言えば、「必ず救う、任せてくれよ、そのまま来いよ」ということであります。また「我が名を称えよ、親じゃよぞ」というお名告りであります。南無阿弥陀仏は、称えられる名号でありますが、単に声の相であるだけではありません。如来さまは兆載永劫の修行の功徳を私共の上に成就して下さいました。それを『大経』には「令諸衆生 功徳成就」と説示されてあります。法蔵菩薩、兆載修行の功徳の総体が、私の処に南無阿弥陀仏と出来上がったのであります。即ち南無阿弥陀仏は、不可称不可説不可思議の功徳であります。

 信を獲るということは、この私に届いている南無阿弥陀仏を我がこととして信受する、即ち南無阿弥陀仏が私のものとなることであります。南無阿弥陀仏の功徳が私のものとなっている、それが信心ということであります。信心の本体は南無阿弥陀仏であります。

 信心正因というのは、この名号の功徳が私の功徳となった時、その功徳を因徳として、命終後の往生が決定するということであります。往生即時に無上涅槃を証する、往生即時成仏でありますから、往生決定はまた成仏決定であります。信心の初めの時、往生が決定することを『大経』には即得往生と説かれてあります。ご開山聖人が「報土の真因」と仰せられるのは、往生の正因のこと、「涅槃の真因」と仰せられるのは、成仏の正因であって、どちらも信心正因のことであります。「正信偈」に正定之因唯信心とありますのは、正決定の因は唯信心であるぞということ、本願名号正定業とあります正定業は、正決定の業作であるぞと、いうことであります。

 成仏が決定しているということは菩薩の階位で申しますと、等正覚の位、一生補処の菩薩と申します。「正信偈」には「等覚を成り大涅槃を証す」としてあります。譬えていえば、咲かんばかりになった花の蕾、仏さまの蕾であります。只今が一生補処、等正覚。成長しきった蕾が中々咲かない、何故だろうか、ここ五六日寒いからだろうかというので、温室に入れますと、その日のうちに開きます。温室は温かいからであります。仏の功徳は私に満ち満ちて、私は仏の蕾でありますが、現実には煩悩の凡夫であって、仏の花と開きません。娑婆が寒いからです。迷いの国であるからです。遠からず生と死の界の幕、向こうの見える、蚊帳ほどの幕が、病床の私の体の上を静に通り過ぎて行くでしょう。その時、はやお浄土であります。正覚の花より化生して、無上極果の仏の花と開くのであります。

 お浄土は無為涅槃界、覚りの刹であります。ついで出門の菩薩の姿となる、還相の菩薩としてお浄土の聖衆であります。仏法のお味わいの中で、衆生済度を楽しみとする、普賢の徳に遊ぶという未来が、洋々と広がっている私共であります。それらのことが全部、既に予定として備わっているのが南無阿弥陀仏であります。今や私は、総ては名号という形で得ているわけであります。他力回向、如来さまから下さるものは、何もかも頂いてしまっているのが、私共の只今であります。私の只今は何と尊く大切な存在でしょうか。しかも私だけではありません。友同行すべて、これ一生補処の功徳に満ちたる方々でありますので、大切に尊敬してゆかねばなりません。

 ご開山聖人のこのようなご化導、そのお領解を異口同音に出言せられよ


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 只今出言のお領解、心口各異ならずば誠に麗しいお領解であります。このお領解は初めから安心、報謝、師徳、法度と区別することが出来ます。

 安心の段は初めから「治定と存じ」までであります。「雑行・雑種」雑行とは、宗門のお勤めでないものを読んだり、如来、聖人など、決まったもの以外のものを拝んだり、祭ったり、願をかけたり、祈ったりすることであります。お経を読むとか、お供えをする、法事をするなどは、御恩報謝の営みでありますが、此のような事が功徳になると思っていることを雑種と申します。雑行も雑種も自力の心でしているものであります。

 「自力の心をふりすてて」とは、以上のように、雑行・雑種を真心を込めて、大真面目でする心のことを、自力の心と申します。諸善万行を真心を込めてやって、お浄土参りの足しにしようという自力の心を「ふり捨て」捨て去りました。私共の真心という、そのものが雑毒の心、煩悩の毒の雑った心であります。

 「後生の一大事」とは、後生とは死んだ後の境涯、折角生まれ難い人界に生まれながら、また流転の境涯に還るか、お覚りの浄土に往生するか、ここは一大事であります。  「御たすけ候へ」とは、如来様の「たすけさせてくれよ」とある呼び声に身を委ねて、仏智不思議のお計らいに、お任せいたしますということであります。

 「たのみ申して候」とは、この「御たすけ候へ」と言ったことがたのんでいる相であります。従って「たのませて、たのまれ給う弥陀なれば、たのむ心は我とおこらず」などと申します。「たのむ」と申しましても、我が方から願い、祈るものではありません。

 以上の出言は、南無阿弥陀仏の心を言ったものであります。南無の二文字は衆生の側の「あすけたまえとたのむ」の機の分。阿弥陀仏の四文字は「汝の後生は引き受けた、かならずたすくる」の法の分。即ち機法一体の南無阿弥陀仏のお心を顕したのであります。これを如来様の側で言えば南無は「たのめ」阿弥陀仏は「たすくる」であって、「たのめたすくる」というお心の南無阿弥陀仏、お喚び声であります。私共の方から南無とたのばねばならぬものを、如来のお手許にたのむ心を成就して、「たのんでくれ」との賜り物、機法一体の回向であります。 自力を捨ててお任せした時が、平生業成、信心正因。私の成仏の因徳は成就したのであります。これを「たのむ一念の時、往生は一定、御たすけ治定と存じ」と出言しました。

 出言の領解には「この」という語が三度あります。初めの「この」は報謝の段であります。「称名はご恩報謝」と申しましたが、称名がご報謝というのであって、名号がご恩報謝とは申しません。名号は意味からいえば「そのまま来いよ」のお喚び声、用きからいえば正定業であって、これがご報謝「有り難うございます」であります。古来、称名報恩は行者の心持ちと申します。但し、称える度ごとにご恩を思えというのではありません。称えるという私の仕事の意義、分薺が報恩であるということであります。

 ◎お喚び声を聞いて見ようと、称える事もある
 ◎わが心、醜いにつけ南無阿弥陀仏
 ◎この世の惨めなこと、悲しいことを、聞くにつけては南無阿弥陀仏
 ◎有り難いにつけ南無阿弥陀仏
 ◎嬉しいにつけ南無阿弥陀仏
 ◎ご文章を聞いては南無阿弥陀仏
 ◎亡き人を思うては南無阿弥陀仏

 それらを総じてご報謝の称名と申します。お浄土参りに役立てようと思ってはなりません。信仰生活は総てご報謝でありますが、称名は信仰生活の第一であります。  次の「この」は師徳の段であります。「この御ことわり」とは上来の信心称名の理屈という意、広くは第十八願のご法義を、これ程にお聴聞出来ました根本は、ご開山聖人がこの世にお出ましになって、お『三部経』のご法義を、

 「他力信心であるぞ、
  信心正因であるぞ、
  名号摂化であるぞ、
  平生業成であるぞ。」

などと、お聞かせ下さったご恩であります。ご開山聖人は誠に只人にましまさず、仏のお使い、仏の生まれ代わりでありました。

 「一人いて慶ば二人と思え。二人いて慶ば三人と思え。その一人は親鸞であるぞ」

 ハイ何時も左様に仰ぎ参らせております。人間親鸞などということは軽薄なことであります。今やご開山聖人のお真影の御前に、ご影向の仏様であると額ずき奉る幸せ者でございます。このお聖人さまと私の間を受け持って下さったのが、次第相承の善知識、歴代のご門主様方であります。私共は「親鸞に帰れ」という主張に与する者ではありません。ご門主様方の伝持のご努力と、それを八百年に亙ってお支えした、何千万門信徒の人々、名もなき念仏行者たちの実践に、頭を垂れる者であります。我が家の先祖が、阿弥陀様のお仏壇を伝持して呉れたご恩も、この出言の言葉の中に思うものであります。

 最後の「この」は法度の段であります。「この上は」とは信仰生活についてであります。称名、師徳がご報謝の大切なことであるが、これ以外の信仰生活もご報謝として出言したのであります。

 「定め置かせらるる御掟」とは、宗門の決まりという程のこと。宗門は時代時代の人々の形造るもの、俗世間に存在するものでありますから、他力の信心は内心に深く蓄えて微動だもしませんが、決まりは俗世間に処して変遷して参ります。

 「守護地頭を粗略にするな」とは、役所は信仰を持ち出すべき処ではないので、世俗の用が足りればすむものであります。

 「大道大路にて仏法を語る勿れ」とは、信仰の味わいは、個人個人の秘めたものであって、無関係の人々に顕露に語るべきではないということで、今でも意味は同じであります。お仏壇のお給仕、仏事の作法、僧侶、門徒の心掛けなども掟と考えて然るべきであります。

 以上、報恩、師徳、法度の三度は合わせて報謝と言うべく、領解の出言は信心と報謝に亙っているということであります。

 引き続き非時及び日没の勤行に参り、宿に下がっては、祖師聖人のご恩を語って夜を明かし、明朝は早々にお晨朝に参詣せられよ。


第六席(一月十五日)

 一月九日お逮夜から相営まれます報恩講であります。ご開山聖人様ご影向の御前に、今日は早くも大逮夜でございます。

 人多き中にご本山の大逮夜(おたいや)に参詣いたし、しかも改悔批判を聴聞できますこと、誠に仕合わせ者でございます。来年の報恩講も期し難いことなれば、一期一会の法悦の中で過ごされておいでであろうと察します。

 曠劫以来、迷いの境涯に流転をして窮まりない衆生を、覚りの涅槃界に引導しようと、如来さまは、平等の大慈悲の願行を満足なされました。即ち一切衆生、老若男女、貴賎貧富の差別なく、善人も悪人も衆生は一切平等であると名告らせ給うたが南無阿弥陀仏であります。

 一願建てるも衆生の為、一行積むも衆生の功徳、「令諸衆生 功徳成就」と私共の所に南無阿弥陀仏を成就して下さいました。それよりこの方、第十七願成就の諸仏は、逃ぐる私を追いかけて、大悲無倦のご観化でありましたが、この度というこの度は、多生を経ても生まれ難い人界に生まれて、あろうことか煩悩に汚れたこの口に、如来の名号を称え奉ることに相成りました。ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナマンダブ。

 今晩聞いて今晩助かるご法義に、若い時から今日まで、永い苦心をしたとすれば、何ゆえかというと、それは自力心が捨たらなかったからであります。

 如来様は「汝の煩悩は古来性得の罪で、どうすることも出来ないのが汝である」とご覧になって、私の罪業を責めることなく「たのむ心も念ずる心も南無の二文字に用意はしたぞ、助くる力は阿弥陀仏の四文字に成就をしたぞ、この弥陀に助けさせてくれよ、任せてくれよ、弥陀の名号を高らかに称えてくれよ、他人事ではないぞ、汝一人の後生の一大事であるぞ」と、呼びかけて下されました。

 お育て頂いた甲斐あって、「納得がいかん、分からん、はっきりせん」という私の愚かな分別は大きな誤りでありました。それこそ自力の骨頂でありました。何もかも弥陀お手許で、弥陀のお手許が納得できております。己を空しくして弥陀如来のお呼び声、釈迦如来のご教化、二尊の仏語を如是我聞と信受するばかりでございます。

 ご信心は己を用かせてはなりません。名号でお助け、南無阿弥陀仏ただ一つ。信心拝領のその上は、今度は私の努力、ご恩報謝は紛骨砕身の努力であります。ご報謝というのは努力をしても努力をしてもご報謝であって無限であります。

 「信は大悲の仏智にすがり、報謝は行者の厚念に励むべし」とは、法如上人様のお言葉であります。

 信心の本体は南無阿弥陀仏、これが我がものと頂戴されているのが信心であります。ご影向のご開山聖人が、殊に念入りにお勧め下さったのは、南無阿弥陀仏はその声わずかに六字であるけれども、これは如来さまが全徳を持って私に宿って下さってあるのだから、これからの私共の将来、今生・来世のことはすべて南無阿弥陀仏の功徳が、身の上に顕れはたらいて下さるのであるとお示し下さったのであります。

 即ち名号を如是我聞と信受いたしました時に、法蔵菩薩、五劫兆載のご苦労は目的を達した、実を結んだわけです。これからは名号一つの力用が私の上に華開いて相発して下さるのであります。

 「聞其名号 信心歓喜」の初一念に、永い迷いの緒は切れた、信受本願、前念命終、迷いの私は死んだのだということです。「即得往生 往不退転」とあるのは、新しい念仏の命が恵まれたぞ、「即得往生 後念即生」とお示し下さいました。ご信心の人はもう自力の命が死んで、他力の命が始まったのだということであります。

 もう、ひと度、如来さまのお慈悲の中に身を任せて死んだのだから、今度の往生は死ぬのではなくて、お浄土へ移住するのであります。「臨終待つことなし、来迎たのむことなし」、人様が「亡くなる」というけれども、亡くなるのではなくて、西方浄土へ移住されるのであります。

 家族の者で既に亡くなった人を想う時、それは西方浄土で、出門の菩薩となっていらっしゃると想うべきであります。私共もそこへ間もなく参ります。『阿弥陀経』には倶会一処、一生補処の菩薩として一つ処に会うぞとお示し下さいました。また合い集う西方をご用意下されたとは、何と行き届いたお慈悲でありましょうか。

 大悲の願船に乗って、如来の光明の海に浮かびぬれば、
 無上功徳の風静に吹くなり、衆禍の波転ず。
 即ち無明の闇は破られ、無量光明のお浄土に住すれば、
 極速に大涅槃を証り、普賢の徳に遊ぶなり。

 さて、ご開山聖人がご化導下されたこのご法義を信受せられたお領解を異口同音に出言せられよ。


大衆出言

 もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生(ごしょう)、御(おん)たすけ候へとたのみまうして候ふ。
たのむ一念のとき、往生一定(おうじょういちじょう)御たすけ治定(ぢじょう)と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。
この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識(ぜんぢしき)のあさからざる御勧化(ごかんげ)の御恩と、ありがたく存じ候ふ。
このうえは定めおかせらるる御掟(おんおきて)、一期(いちご)をかぎりまもりまうすべく候ふ。


 確かに、出言の領解聴き取りました。只今の出言には、次第に、安心、報謝、師徳、法度と含まれていました。

 はじめに安心。雑行・雑種とは、自力の心をもって、「我が善を行う」と思いつつ、さまざまな善を為すことであります。善を為すのが何故よくないか、善を為してはいけないとは言わないが、己の功、己の善根と執じ誇って行い、これを仏前に供えようとするのが自力、ご報謝の意味で行えば、他力報恩の営みで有ります。

 如来さまは「仏願の生起本末」といわれる「生起」の所で、衆生には仏意にかなう善は出来ない、たとい真剣になって勤めても、煩悩という毒の雑った善であるとご覧になりましたので、私共の善根は成仏への邪魔になっても足しには成りません。

 『阿弥陀経』に不可以少善根とありまして、少善根では不可であると仰せであります。少善根とは凡夫の行う善根はすべて少善根であります。どれほど真心込めて行っても、浄土に参るのには不可であるということであります。「お前の真心が役に立つと思うなよ」という仰せに従うのが、「自力の心をふり捨てる」と言う言葉であります。

 「後生おたすけ候へ」とは、「汝の後生、無量寿の未来まで、今生に届いた南無阿弥陀仏の中に用意はすんだぞ」という如来の呼び声に随順したのが「おたすけ下さると、先手をかけてのお呼びかけでありますので、助けて頂きましょう」と任せたという意味であります。

 それを更に「たのみ申して候」と重ねました。「たすくるぞ」という如来に「それではたのみ申す」という所には、既に大恩であるという含みがありますので、信心のことを広大難思の慶心とも申します。

 「たのむ一念」とは、曠劫流転の私共の永い歴史の中で、この度、名号を信受した初めの時ということで、「往生一定」とは、念仏称名して年月経ってからではない、臨終に及んでからではない。平生の折、自力を捨てて名号が頂かれた時、往生は決定するということであります。

 「おたすけ」とは、この迷界から浄土に迎え覚りを開かしめるのが如来の眼目であります。信心の初一念に決定しているから信心正因と申します。

 次に「この上の称名」とは、称名は報恩であって、往生成仏の因ではないことを明らかにしました。称名の「称」、称える私の仕事がご報謝であります。古来、信行不離と申しますことは、信心と称えられている名号を別のものと考えてはならないということであります。

 弥陀の名号を称えつつ憶念の信心が相続して生きて参りました。私共の側には仏恩報ずる思いがあります。なぜ称えるかという私共の称える思いは、

 一、ご恩でございますと思うとき。
 二、浅ましゅうございますという慚愧(ざんき)のとき。
 三、お呼び声としての名号を聞いてみたいとき。
 四、如来さまが称名を持ってござると思うとき。
   親縁・近縁・増上縁、よう称えたのう、「仏言広大勝解者」、
   仏は広大勝解の人と言えり。
   聞いて下さるから称えるのであります。
 五、ご開山聖人や蓮如上人、ご門主さまが行住座臥に称えられますから、
   師命に随順します。
 六、称えて称えて、称えるのが癖になっているから、いつも称える。
   癖になる程に、称えて来たことが有り難い。

 さて、明日は御正忌報恩講がご満座に相成る。「ご開山様、ご開山様」というて過ごした一七日(いちひちにち)でありました。これ即ち次ぎの師徳、間もなく蓮如上人の五百回ご遠忌が参ります。もうお待ち受けの最中です。これ「次第相承のご恩」であります。  ご開山さま、ご苦労でございました。  当門さま、ご化導有り難うございました。  次第相承の善知識の浅からざるご観化のご恩でございます。  最後に「定めおかせらるる御掟」というのは、時代によって変わることと、変わらないことがございます。ご当流は毎朝お仏壇にお礼をせよ。お正信偈を拝読せよ。お領解文を称えよというのも掟であります。

 法縁果てて帰郷の上は、何はともあれ家庭の仏壇の前を賑わすことでございます。お仏壇に礼拝する姿ほど尊いものはございません。これもすべてご報謝の営みであります。

 さて連々六日にわたり、改悔批判のお座に連なられたこと、尊いことでございます。宿に下がってはご開山聖人の御恩を語って夜を明かし、明朝ご満座のお晨朝には早々参詣せられよ。