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「十 くよ くよ 「浅原 才市」」の版間の差分

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(相違点なし)

2016年10月4日 (火) 17:36時点における最新版

Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

一 遠い純情 「九條 武子」
二 みおやの涙 「九條 武子」
三 小賢しき分身 「九條 武子」
四 いたき鞭 「九條 武子」
五 みずからの道 「九條 武子」
六 ほろびの玩具 「九條 武子」
七 御遠忌 「浅原 才市」
八 うそ うそ 「浅原 才市」
九 待伏の茶屋 「浅原 才市」
十 くよ くよ 「浅原 才市」
十一 歓喜の称名 「浅原 才市」
十二 夏安居 「浅原 才市」
十三 一隅を照らす 「伝教 大師」
十四 狐客 「古 謡」
十六 今を惜しむ 「兼好 法師」
十七 寝ずの番 「浅原 才市」
十八 華やぐ命 「岡本 かの子」
十九 閉された生涯 「俚 言」
二十 はすの花 「聖覚 法印」
ウィキポータル 法悦百景

きみよむりよ十(じゅ)によらい なむふかしぎこを
そりゃそりゃ またでたでた くよくよが
くよくよよ でたけりゃでゑよ
でてもつまらん われがなをそい
わたしゃ しやわせ きほういたい
なんまんだぶつにしてもらい
ごをんうれしや なむあみだぶつ
            (浅原 才市)

くよくよ

 大正三年、才市六十五才のうたである。才市は、ある日のお内仏おつとめをすまして、これを書いたと思いたい。才市は殊勝な顔をして、おつとめをする我が身を、正信偈の最中に、ふと思った。自ら言うのである。才市よ、何という心で、お前は経をよむのか。勤行の心に、おおよそ遠い、お前のこころではないかと。

 そして、又またそんなことを思う、と思う。くよくよとは、世事のくよくよばかりではない。仏前に、信者としての心を、あれこれ細工する、その心を、くよくよといっている。乱れ心を抑える、抑えようとする心を抑える。その心を、更に否定する。イタチゴッコという、あの遊びのように。一が刺した、二が刺した、三が刺した・・・八が刺してブンブンだ。あのブンブンは、手続きの限界であり、思考の限界である。

先手

 才市は遂に、でてもつまらんという。自心のくよくよは、真の信仰では用いてはならぬのである。自心の思考、判断の無常を知っている才市は、われが遅いという。早いのは何か。仏だ。機法一体。才市はすでに南無の中にある。

(昭和三十六年七月)