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八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」

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Dharma wheel

法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

信心の人も 煩悩がやまぬ
以前より ひどいこともある
これは 大寒のあとの 余寒のような ものじゃ
やがて 次第に 暖かくなる
          (七里 恒順和上)

煩悩

 博多萬行寺に住した七里和上は新潟県の生まれ。明治二十六年、六十六才で亡くなられた。十一才得度。十四才、正念寺・僧郎和上門下に一年。光西寺・宣界和上門下に五年。大分県浄光寺・月珠和上、教順寺・宣正師の下に二年。長久寺・慶忍和上門下三年。満福寺・南渓和上門下二年。三十才、萬行寺に入寺された。寺はさびれていた。

私塾を開いて門弟を育て、各種の会を起こして、法義を引き立てられた。明治八年和上が本山の重役をしておられた七月萬行寺は焼けた。和上の電文に曰く、ヒトト ホウモツブジナレバ ヤケテモヨシ シンパイニオヨバズ ワタシモスグカエル それより和上は、博多の地をはなれないように心がけつつ、九州全体にわたって信仰をすすめられた。和上はお称名たえぬ行儀堅固な方であった。信仰とは、立派な人になるのだと思っている人が多い。しかし信仰に入っても煩悩がやみはしない。

懺悔(さんげ)

 今年は残暑がきびしい。きびしいと言ってもやっぱり涼しさがくわわってくる。

 秋になった。案ずる前に、お育てにまかせるがよい。起る煩悩の下から改悔さんげの涼しさが出る。触光柔軟(そっこうにゅうなん)、やさしい心が恵まれる。

(昭和四十二年九月)