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八十九 真の仏弟子 「善導大師」

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法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

仏ノ捨テシメ玉フヲバ 即チ捨テ
仏ノ行ゼシメ 玉フヲバ 即チ行ズ
仏ノ去ラシメ玉フ処ヲバ 即チ去ル
是ヲ 仏教ニ 随順シ 仏意ニ随順ス ト名ヅク
是ヲ 仏願ニ随順ス ト名ヅク
是を 真仏弟子 ト名ヅク
            (善導大師)

道徳

 道元禅師の和語のお書きものを読むと人の思いということが何度も出てくる。それほど人多く、人の思いを気にするのである。人の道、すなわち道徳が重さが大きいのである。高度の判断をもつ、すなわち頭がよいとか、現代風であるとかいわれる。何々らしくあれという人がある。らしくというのは、人が見たときの光景である。だから、らしくあれというのも、人の思いが気になるからである。非常に大きい重さで道徳が心を占める。それは、人に誇りたく、人に要求したくなる。道徳は、人に誇り人を責める信条である。私は嫌いである。修身の教科書が、洋服を着たようなお方は、気の毒なお方である。私は気まま八さん、気の早い熊さんでありたい。直情径行の者でありたい。

信仰

 信仰は、道徳の親類ではない。八万の法蔵を知っていても、信仰を知らない人は愚者である。

 その人が、信仰者であるか、否かは、その人の行動が仏中心に行われているか、否か、ということである。世の中の道徳律で生活せず、仏律で生活する。経を読み、仏恩を憶い、礼拝し、称名し、物を供えるを、浄土の正行とす。

(昭和四十三年三月)