仏力を談ず (講話)
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- 二、真仮分別
次に真仮分別という所です。
『
西山だって随分他力といいますね。
「私共の称名はつまらん。だから
そんな説教を真宗のお坊さんもしている。どこが違う。私が私の三心[3]を否定する所に西出の誤りがあります。私が私の三心を否定するのではなくて、阿弥陀さまが私の三心を否定するというのが宗祖の他力義です。
一番よく解るのが自殺です。譬えばひもをこう首にまいて両手で引張って死んだ人は一人もいない。力いっぱい引張ったら失神まで行くかも知れないが、失神じゃ死なれません。
あなた方は、ここで小便をしてはならんと思ってはいない。思ってはいないが尿の出口が締ってる。死にますと出るんです。おチンチンだけ生きているというのはないんですからね。
だから、死ぬ時は非常に楽しいそうです。住職をやめる時と似とりゃせんでしょうかね。なんせ、解放ほどいいものはない。住職は楽しい点もあります。が、その地位の責任から解放される時は楽しいでしょうね。この五体を維持する緊張が、一切解きほぐれていくのが死ですからね。みなたいていお婆さんがにっこり笑うて死ぬるのは、不孝者の
「お婆ちゃんが
自分で自分の首を締めて自殺することは出来ません。即ち自分が自分を殺すことは出来ないはずです。おかしいでしょう。自分が自分を殺したら、殺した側の自分が生きてなければいけない。それを殺せというのが西山です。そうすると、また殺した側の私がもっと残る。それを殺せ。また残る。これは西山の矛盾です。一が刺して二が刺して、八(蜂)が刺してブンブンという遊びのようですね。酒落たことをいうと双曲線は永久に軸線と交わらない。
それが現実にお寺参りでいうと、
「長いこと聴聞を致しましたが、薄紙一枚の所が解りません」
という人です。今日聞いて今日たすかる御法義をですね、二十年も聞いてまだ薄紙一枚残っている。なぜか。薄紙ではないのです。永久に軸線が触れることが出来ない双曲線です。なぜか。一が刺して二が刺してと、ずーっと自己否定を重ねて、最後まで残るのが抜き難い自力ではありませんか。
それを、阿弥陀さまが罪深いというて下さると、見出されたのが宗祖ですね。これ本当ですね。他殺です。自殺なんてあり得ないわけです。洗面器に水を張って首を突っ込んで自殺した者はいない。取り返しのつかない方法でないと自殺は出来ないということです。船から飛び下りたら、途中でしまったと思ってももう駄目です。焼身自殺にしても、爆発的に燃える油でないと駄目です。種油では駄目ですね。自分で消しますからね。
そういうふうに、他力とは皆いうけれども、阿弥陀仏という他力の手が出ているのだから、その手を握りなさいという。どうやって握るかといえば、南無という手を出して握るのですという。
そういう中にあって宗祖が全分他力とされたのも素晴らしいけれども、その他力義をもっと鮮明になさったのがこの真仮義です。
1、浄土教の歴史中で『三部経』、四十八願中に真実と権仮[4]を分明にしたのは宗祖のみである。誠に偉大な功績である。
『三部経』に示される法義は、すんなりと一つの論理で理解し難い面がある。
往因三願。三輩段と本願成就文。三毒段五悪段と三輩段。観経定菩と散善。韋提希と定善。
これらを消釈するに浄土三家は苦心した。
往因三願がすんなりといきません。
十八願では「
三毒段、五悪段を見ると、衆生の根機のつたなさが綿々と説かれる。その同じ『大経』の三輩段では、沙門になって酒も飲むな精進をしろという。
『観経』の定善義と散善義はどうする。「息慮凝心」もいいのか、散心の善もいいのか、どうなのか。韋提希夫人という愚劣の凡夫がいるのに、なぜ「
往生の願を第十八願に限るにしては、第十九願第二十願の文の構成は、何れも三心が列挙されていてどうしても類似の構成であって、三願とも往因の願とするのが妥当である。然し三願とも往因とすると、往因が三つあることになるし、内容に本質的に差があり一律の理論では通らない。弥陀法の根本の処に、絶対他力というものを見る宗祖にして、
三願とも文の構成が似ているのに、第十八願のみ往因の願とするのは変です。絶対他力、全分他力です。だから宗祖の一番根本に、全分他力という動かしがたい理屈があって、それを基礎にして理解が進んで行くといいますか、宗祖の解釈は進んで行くわけです。
その他力というのはどこで見たかといいますのはまた後で触れます。とにかく絶対他力というのが頭の中にあるわけです。そしてその絶対他力で解釈し、またその絶対他力を成立させる解釈法を見つけて下さったのが、三願真仮、三経隠顕の義であります。もっとも、そのことを暗示するのが、善導大師にあったわけです。
2、三経をどう領解するかというと、根底に弥陀観の確立がある。弥陀が救うというので救われようという、生仏不二に限ると、本願があるから信ずるということになる。生仏不二の弥陀、廻向法としての弥陀として他力義を立てると、衆生がいるので本願が建てられたとすることになる。法蔵因位の最初からが大間題であるとする指示は、曇鸞大師に既にあり、法然上人は全く五劫思惟の処に立脚して領解された。従って宗祖は、五劫思惟に於ける四十八願の成立過程を考えられたのである。
四十八願の三願、もっといいますと、四十八願はどういうふうにまとめあげられるかといいますと、浄影寺の慧遠という人のが長く使われております。
- 一、
摂法身 ノ願 - 二、
摂浄土 ノ願 - 三、
摂衆生 ノ願
これで四十八願をまとめてしまうわけです。これは天親菩薩の『浄土論』で行けば
三、摂衆生
の中には、彼土の聖衆と此土の衆生とあります。解りやすくいうと、こういった三厳の浄土が西方にあるが、今この六道にいる我々としたら、そこへどうやって行くかが大間題。だから、むしろこの三種のまとめ方をしておいて、この中から此土の分を取り出して、それを往生の因法の願、即ち往因の願とした方が解りやすい。そこで私は、この慧遠師のいう摂衆生の衆生はお浄土ですから、むしろ摂聖衆の願といった方がよいと思っております。そして往生の願の方を摂衆生。すなわち
- (慧遠師)……………………………………(私)
- {彼土}……三 摂聖衆の願(浄土の聖衆)
- 三、摂衆生の願
- {此土}……四 摂衆生の願(往因の三願)
この摂を、我々はすぐ「
この言葉は『魏訳大経』でもそうですが、法蔵菩薩が、
- 我
当 に修行して仏国を摂取し清浄に無量の妙土を荘厳すべし
と世自在王仏に申しあげる。すると、
- 厳浄の国土皆悉く覩見し
たくさんの所を見まして、その中から四十八願を摂取された。
それでは衆生をお救いという意味になれている我々には解りにくいから、法然上人は『漢訳平等覚経』の言葉である「
だから摂衆生とは、衆生を救うという意床ではなく、衆生に関しての因と果を摂取したということです。摂法身は、法身になるという行を摂取した願。選択し採用したという意味です。我々は摂取衆生、衆生を救う、摂取不捨とパッと思いますが、法蔵菩薩の摂取というのはそうではありません。
- 荘厳仏国の清浄の行を摂取せり[5]
そこから来ているのです。だからピンと来ない。むしろ、仏身の願、浄土の願、聖衆の願とまとめて、迷界の衆生を摂取される願として、摂取衆生の願を出す。こういうまとめ方をしたいと思います。摂取衆生の願とは約仏[6]の名であり、約生[7]、我々からいえば往因の願。それは何かというと、宗祖は十八、十九、二十の願と見られたのです。
しかし、法然上人は、その心を明示なさってないけれども
そこで三願をどう領解するか。また、鎮西、西山となぜ違うか。それは根底に弥陀観の確立というものがあります。阿弥陀さまが救うというので救われようという、生と仏が別[9]になっている弥陀観を持つならば、本願があるから信ずるということになります。
しかし、生仏不二の理論、私に来なければおかないという、回向法の阿弥陀さま。そして、全分他力義を立てると、衆生がいるので御本願が立てられたということになるですね。
御開山さまが、恐らく比叡山におられた時には、「阿弥陀さまがいて本願があるから、信じて称えてその阿弥陀さまの心に
それが法然上人に出会ったら違ったわけですね。衆生がいるんで本願が立てられたということになる。
法然上人には、『漢語灯録』『和語灯録』その他『西方指南抄』とかいろんな問答がありますが、どこを拝見しても法然上人のおっしゃり方は五劫思惟をいわれます。
そのことに全く気がつかなかったのが比叡山の親鸞聖人であったろうと思われます。
出来上った四十八願、成就せる阿弥陀さま。その阿弥陀さまとは何かというと、因果不二──願の通りに出来上った阿弥陀さまだから、その出来上った阿弥陀さまは願を見れば解る。だから、本願の阿弥陀さままでは解る。阿弥陀さまの本願で解るが、本願があるからそれを信じて称えて、と考えておられたに違いない。
ところが法然上人に出会ったら、その前からお話しがありました。なぜ本願が立てられたかという所からお話しがありました。そうしたら五劫思惟。そうすると、それを聞いて驚いたのが二十九歳。それから勉強を始められて、整理された『教行信証』には何とおっしゃるかといえば、
-
生起 本末 を聞けよ
-
輪転 窮まりなからんを救わんが為に
と六道輪廻の我々がいるから本願が立てられたということです。
曇鸞大師の指示とは、天親菩薩の三厳二十九種は、もう出来上ったお浄土のお話。それを『論註』には、それぞれの荘厳について、「所為の境、能為の願、成就の相」と出てくる。『本典、信巻』の三心釈には、後の注者が述べる処の「
「所為の境」、菩薩がある国土を見そなわすに[11]、これは法蔵菩薩の覩見の所です。
見そなわす、すると浅ましく難儀である、というので「能為の願」が立てられた。出来上ったのが「成就の相」、即ち、三厳二十九種。
そうすると、仏願の所、五劫思惟以前に触れて下さったのが曇鸞大師。
そういう指示がありまして、相承致しまして、法然上人がことに面授口決の師匠として、御開山さまに五劫思惟の所からお説きになられた。「我々がいるから、我々を取り込んで御本願が建てられた」。 御本願があるから、我々が信じて称えていくという御安心ではありません。したがって宗祖は、「五劫思惟における四十八願の成立過程」を考えられたのであります。
そうすると、どういうふうに成立して行くか.
3、弥陀は第十八願を本意の救済願とされ、この本意、即ち他力を理解しない自力の徒を摂取するべく不本意ながら第十九、第二十願を立てられた。弥陀においては、この二願は
今、世自在王仏の所で、五劫思惟がすんで立ち上って、もう構想が固まりましたというて師仏に四十八願を申上げた。その時はもうおしまい。それまで、どうやって教おうか、どうにもならぬ衆生だから、そのまま救わなければならないというのが第十八願。この第十八願を
本願というのは根本の願の意味です。四十八願の根本という意味です。が、御本意の願とすると解りやすい。この御本意、全く他力で救うという、これを理解しない自力を
だから阿弥陀さまにおいては、この二願は暫用還廃[13]の願であります。暫く使うけれども、いずれは使われない。なぜか。十八願の他力のお心がわからずに、十九願が良かろうと取りかかる者がおる。二十願なら良かろうと取りかかる者がおる。ところが、いずれアゴを出してこれは出来ません。十八願でなければ駄目であると転入してくる。そうすると阿弥陀さまの御本意は遂げられる。第十八願に転入してくれば、第十九願、二十願はその人にとって無用のものです。だけどそれがないと元来、自力の功を募る徒であるから、第十八願を見て、「このようなことで往生が出来るとはおかしい」といって逃げてしまうと、阿弥陀さまのお慈悲は完全でない。だから、この二願は添えられたということです。
余程この所は肝に銘じておかなければなりません。本願があるから信ずるという御安心を持って、どういうかといえば、
「十九願ではいけませんよ、二十願ではいけませんよ。さて、往因の願が三つある、どれで行きましょうか。やっぱり十八願の本願で行きなさいよ」と勧める。それは本願があるから信ずるという行き方をするからです。なぜ立てられたかという
だから、法然上人は
そんな議論は無用、疑うなよ、御本願一つとお勧め下さったのが法然上人。親の不本意な道を歩くことはない、というのでありまして、そもそもの弥陀観が理解の根底になっているというのです。
阿弥陀さまがいて、
絵という物は的確ではありませんが、けれども、また一つの信仰構造を表わすので書きますと図6の如くです。
ところが、法然上人にお聞きしたらそうではなくて、
「範宴さんよ、あなたがいましたので御覧下さって、抱いてかかえて、向こうが案
じ給うてあなたに立てられたのが、この四十八願であります」
と、そう告げられた。
そうすると、範宴さんを抱いてかかえて出来たのが阿弥陀さまですから、どうせ絵による表現ですが、信仰構造は図6より図7の方が『大経』の弥陀観に近いわけです。
図6を利用して言いますと、光寿二無量、永久不変の阿弥陀さまがいる。そこへこの範宴が変って、不変の阿弥陀さまに合わせていくと、合致して救われる。ところが、それは、本願があるから信ずるという信仰構造。
そうではなくて、範宴さん、あなたが不変なんです。これまでも今後も不変です。あなたが不変だから、向こうが変って調子を合わせて下さった。だからこの丸で書くのが嫌なら、こういう図8の範宴さんがいたからそのまま抱いてかかえて合わせて下さる阿弥陀さまなのです。
世間でもそうです。このたび、ここへ来るにも
「きみが家におれよ。僕がきみの所へ寄って一緒に行こう」
というのは、情ある友達。
「きみが僕の所へ来てくれ一緒に行こう」
というのは、情なき友達。
「駅へ○時○分に着くから迎えに来てくれ」
というのは情なき友達。
「僕は早く行きたいけどきみが駅へ○時○分に着くならその頃行こう」
と予定を変えてくれるのは情ある友達、ですね。変わってくれる。きみはそのままでよろしいと変わってくれる。これも愛情ですよ。
いつもいうのが、父が小さな子へ、五尺六寸の身体を折り曲げて、子の背たけに合わせるのは父の愛情。そんな低い所からヤイヤイ言っても解らん、椅子を持って来て耳元でいいなさい。そんな父はおりませんが、愛なき親です。
変わってくれる、その変って下さったのが、五劫思惟、四十八願に見られるわけです。読みとれるわけです。しかも私を取り込んでの本願ですから、「私が信ずる」なら私は本願の外ですね。私がいるから私を救う御本願が立てられたのです。
図6の信仰構造を持っていると、どうかすると罪深い罪深いという。罪深いのを知らなければ、阿弥陀さまの本願のお慈悲が頂かれないと、書きもし説教もした人があります。本当のような気がします、若い時には。罪深いということを知ることが、この信仰の核心のように思います。また、善導大師の二種深信を出して来て盛んにいう。だが、阿弥陀さまが私の罪を見抜いて、そして私を救うということになったのだから、罪深いということはあまりいわない方がよいですね。いうなと書いてある。
『御文章』に
わが身の罪の深き事をばうちおきて[16]
罪深いというと喜こぶ人がいる。
それで、この間、山口聖典研究会で『大経』弥陀分が終りました。弥陀分の終りの時にありがたいお話がありました。弥陀分というのは『大経』の三分の二です。ずっと勉強してみて何に気がついたかといえば、弥陀分には
「あなたは罪が深い」
ということは一ヶ所もない。衆生は罪が深いという話は一ヶ所もない。もう一つは、
「衆生はこのように生きて行くべきである」という生き方が示してない。もう一ついうならば、
「阿弥陀さまは慈悲深い」
ということも示されてない。素晴らしいですね。
阿弥陀さまが、私共を救うという仏さまになられた。それをまた、身を変えておいで下さったお釈迦さまが紹介して下さった。
娘がいて、暴力団と一緒になって、麻薬をやるやら売春をするやら啖呵を切るやら、困った娘になった。親は困ったものだと泣きの涙。どうしたらよかろうかと思っているうちに、何ということか、近所の旧家の立派な箱入り娘を、暴力団に引き込んで麻薬中毒にした。罪に罪を重ねる。ある日、警察から呼び出しがかかった。あなたの娘をつかまえているから来い。そうすると、腕には注射の跡だらけの、あばずれの娘が警察につかまっている時に、警察へ行って母が、
「汝の罪は深い」
ということが意味があるか。告げるに忍びない罪の中にのたうち回っておる者に対して、
「汝の罪は深い、お前は何ということをしたか」
というのは親ではない。
「あんたはもう少ししっかりしなきゃ」
今さらしっかりも何もない。だったらどうする。ただお母さんはその娘を抱いて泣くより外に手はないじゃないですか。
「あんたは私の娘だから」
と泣くより外、手はない。
と抱いた親さまは、ただ罪も告げず、生き方も告げず、そんな値うちはないのだから、ただしっかりこれを抱いて、手離してはならないという親さまになられた。だから罪を告げず、生き方を告げない。
「お母ちゃんはな、愛情深いお母ちゃんだよ」
こんなこともいいません。慈悲とも告げず、ただ抱いていらっしゃる姿が、『大経』弥陀分に告げられてある阿弥陀さまの御法義ですね。それこそ真宗の信仰構造ですよ。
近頃、いろいろなものを見る中に、よく、「如来の光に照らされて、罪深いわが身を知らされて生きる」とある。余程いいことのように思うています。阿弥陀さまの光は、B29を撃ちおとそうとするサーチライトのようなものですかね。安心して生きられるでしょうかね。
そこで弥陀観というものが基礎であって、わざわざ信じてもらったら困るわけです。どうすればよいか、どうしたらよいか、とすぐいう。が、どうしたらよいかとは横着な。罪人が、背中を向けて逃げるのにどうしましょうかね。いやいや私は背中を向けて逃げてません、お聴聞に参るようになりました。などと、いろいろにいうけれども、大切なことは「弥陀如何にしてして救いたもうか」であって、「われ如何にして救われるか」ではありません。それこそ、手を変え品を変えて、あの手この手と
ついでに触れておきますが、小児往生の問題。赤ちゃんが死ぬ、または、八歳か九歳の子供でもよい。可愛いい可愛いいわが子が死んだとします。泣きの涙で一七日、二七日が過ぎます。段々気がついてみますと、うちの子はお浄土へ行ったのだろうか。聞かれたらどうされます。それは、あなたのようにお念仏を称える人の中から生まれた赤ん坊ですから、お念仏の御因縁をもって生まれていますから、それを種にしてお浄土に行っていると、ある人が述べたという。お腹から出さえすればいけるのか。聞信の方からいえば困る。では、お浄土へ行っていないのか、それも困る。
「安心は廃立にあり、行化はさもあらばあれ」
でね、その時は適当にやり過ごさんといけないけれども、もっと一般的に個別的でない所でいっておかねばならんと思う。
「お母さんよ、愛ある母のような顔をして、この間から子が死んだといって泣いているが、そして今となって、わが子が浄土へ行ったであろうか行かないのであろうかと、愛ある母のような顔をしているが。
お尋ねするが、九年前あの子が生まれた時、阿弥陀さまのおたすけをいただくためにわが子が生まれたと思うたか。あの子が生まれて、初の端午だと鯉のぼりをあげ、客に刺身を出して歌をうたった時に、この子もお浄土に行かねばならん子だと思うたか。浮かれ果てて忘れ呆けて九年間、偉そうにしてたが、赤ちゃんが生まれる前から、端午の節句のその日も、抱いてかかえて離さなかった親さまがいたんだよ。名付けでござると客を呼んで、めでたいめでたいといっておる時から、親さまは忘れてはいなさらんのだよ。今になって偉そうに、お浄土へ行っただろうか。少し違いはしませんか」。
文如上人の小児往生の御消息というのがあります。その中に、まず自分の後生の一大事が一番大切です。自分の後生の一大事を聴聞しますと、子供の行く先のことは答が出ます。子供の行く先ばかり考えていても、問題は解消しませんという御消息がありますよ。
端午の節句に、やれ歌え騒げといっておる時は忘れてるんです。親さまはそれを忘れておられないのです。だって私をとり込んでおる親さまですよ。[18]
そこで、弥陀観が根底になっているということです。
そして
『化巻』が『本典』にありますが、御開山さまは一体何のために添えて下さったのでしょうか。簡非のためです。暫用として添えられたのではありません。私も廻り道をしましたので、あなた方も廻り道をしなさいという宗祖ではありません。私は廻り道をしましたが、阿弥陀さまの御本意は真実五巻とうかがいましたので、真実五巻をお勧めいたします。『化巻』は間違いです。というのです。だから『化巻』は、暫用でなく簡非の巻です。
- ↑ 親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類』(教行証文類)の本願寺派の於ける略称。大谷派でが御書(ごしょ)と呼称する。
- ↑ 欲生我国(よくしょう-がこく)。わが国に生まれんと欲(おも)え、という本願文の語。
- ↑ 第十八願の「至心・信楽・欲生我国」の三心。『観経』の至誠心、深心、廻向発願心の三種の三心と『無量寿経』の至心・信楽・欲生我国を会合(えごう)して三心とする。このように見られた最初の方が法然聖人であった。なお、回向された信楽を中心として至心・信楽・欲生を見る時は三信ともいう。
- ↑ 権仮(ごんけ)、権も仮もかりという意。方便として仮に用いるもの。ただし真実の意味で方便を使える方は仏のみである。→方便
- ↑ 「ときにかの比丘、仏の所説を聞きて、厳浄の国土みなことごとく覩見して無上殊勝の願を超発せり。その心寂静にして志、所着なし。一切の世間によく及ぶものなけん。五劫を具足し、思惟して荘厳仏国の清浄の行を摂取す」『大経』p.15
- ↑ 約仏(やくぶつ)。仏について考察のする意。仏の教法を仏の側からあらわすこと。約本、約法と同じ。◇本願を信じさせ、念仏を称えさせて、迎えとり悟りを得させる、のように仏の側からの救済の表現。
- ↑ 約生(やくしょう)。衆生側から法について考察するの意。仏の救済を衆生の側から表現すること。約末、約機に同じ。◇本願を信じ、念仏を称え、浄土に往生して仏に成る、という能動的な表現。
- ↑ 阿弥陀仏の四十八願中、第十八願にもとづいて念仏往生の法義をうち建てた善導大師と法然聖人の教学的姿勢を指す言葉。御開山は、この第十八願にもとづいて、第十八、第十七、第十一、第十二、第十三の真実五願を開き示して下さった。これを五願開示という。この五願によって著されたのが、『無量寿経]を真実の教とし、真実の行・信・証・真仏土と、仮である方便化身土を顕されたのが『顕浄土真実教行証文類』である。
- ↑ 蓮如上人は、機と法がなり合う機法合体ではなく、機法一体という言葉で示して下さった。
- ↑ 衆生には往生する業因が本来的に全く無い(機無)ので、阿弥陀如来が衆生の往生する為の功徳をまどかに成就(円成)して、その徳を衆生に回向して施す(回施)ということ。これが、浄土真宗に於ける、「至徳の尊号」p.231である口称のなんまんだぶの意味であり、称えて聞くなんまんだぶを受容する信である。
- ↑ 『論註』の「性功徳釈」に、「仏本なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる。ある国土を見そなはすに、愛欲をもつてのゆゑにすなはち欲界あり。 攀厭禅定をもつてのゆゑにすなはち色・無色界あり。この三界はみなこれ有漏なり。邪道の所生なり。長く大夢に寝ねて出でんと悕ふを知ることなし。このゆゑに大悲心を興したまへり。「願はくはわれ成仏せんに、無上の正見道をもつて清浄の土を起して三界を出さん」と」p.60と、ある。いわゆる浄土の三厳二十九種のそれぞれに仏願の生起本末が説かれている。
- ↑ 骨張(こっ-ちょう)。意地を張ること。強く主張すること。
- ↑ 暫用還廃(ざんゆう-げんぱい)。暫く用いて還りて廃す。暫用とは真実を知らせる為に暫く用いること。還廃とは真実を知らしめられたら還りて廃すということ。
- ↑ 胎生(たいしょう)。母親のお腹の中に居る胎児は、一番母親に近いところにいるのだが、母親を知ることができないという譬喩。
- ↑ 親鸞聖人が法然門下に入る前に名乗られていた出家名。当時の比叡山では出身家の官職で呼ぶ慣わしがあったので、少納言と呼ぶ。
- ↑ 『御文章』三帖の一 p.1135
- ↑ 一切衆生 荷負群生。『大経』 p.7に「荷負群生 為之重担(群生〔一切衆〕を荷負してこれを重担とす)」とある。一切の人々の苦しみの荷を背負い引き受け、導いていくという意である。
- ↑ 田原のおその同行に以下のようなエピソードがある。おそのが本山へ参詣して茶所でご法義談義をしていた。坊さんというのはお節介なもので、そのおそのの肩をたたき、「ここはご本山じゃぞ、うかうかとお喋りしていると無常の風は後ろよりくるぞ」と大声で言った。おそのは後ろを振り向きながら、「親さまにご油断があろうかな」と返答したそうである。見事な領解である。たとえ私が忘れていても、私をとりこんで忘れない親さまがいらっしゃるのであった。なんまんだぶ
- ↑ 簡非(けんぴ)。非なるものを簡(えら)びすてるということ。
- ↑ 御開山は「教文類」で「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」とされ、『浄土文類聚鈔』では「しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。」と、回向のご法義であるとされる。回向のご法義ということは、第十九願や第二十願のような自力の願に迷うなという意である。第十八願こそが阿弥陀如来のご本意であるのだが、不本意である道をたどる三願転入派は、阿弥陀如来のご本意を疑い謗る輩であるともいえるであろう。かなしいことである。