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九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」

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法悦百景 深川倫雄和上

八十一 行動の人 「足利 源左」
八十二 案ずるな 「浅原 才市」
八十三 仏恩深重 「親鸞聖人」
八十四 触光柔軟 「萬行寺 恒順」
八十五 おぼえている 「九条 武子」
八十六 自宗の安心 「満福寺 南渓」
八十七 忘れはてて 「親鸞聖人」
八十八 おぼつかない足 「九条 武子」
八十九 真の仏弟子 「善導大師」
九十 泥華一味 「浅原 才市」
九十一 睡眠章 「蓮如上人」
九十二 よろこびすでに近づけり 「覚信房」
九十三 表現の背後 「蓮如上人」
九十四 鍛えられざる精神 「無量寿経」
九十五 愚者の宗教 「鈴木 大拙」
九十六 念仏は感謝 「親鸞聖人」
九十七 冥から冥へ 「無量寿経」
九十八 今日の生 「九条 武子」
九十九 絶対絶命 「尾崎 秀実」
百 百代の過客 「松尾 芭蕉」
ウィキポータル 法悦百景

僕は この頃 僕の受けた 異常な環境を 貴いものと 感じて来た
絶対絶命の境地に 面と向って 立たされていることは
何と大きな問題を 与えられたことだろう
               (尾崎 秀実)

 尾崎秀実は、昭和十九年十月死刑になった。ゾルゲスパイ事件に連座された。死刑一月前の妻への便りであります。絶対絶命の苦悩は辛い。たとえば、手足など不自由な子を育てる親もたくさんある。

 小児マヒで寝たきりの息子二十七才。昭和四十二年八月二日、母は買物に出ていた。父森川宗男さんは医者である。寝ている息子に麻酔をかけ首にタオルを巻きつけ、許してくれ、と叫んで絞め殺した。自分も自殺を図って失敗した。手足も不自由で知能も低いマヒの子を、二十七年看病し、持病が悪化、医院も廃業した。昭和四十三年十二月裁判は心神喪失の故をもって無罪となった。裁判長はこのような事は、すべてが罪なきものと軽々しく決めるべきでない、と言い添えて安楽死をいましめた。

 二十七年の両親の悩みはどうであったろう。母は裁判で私も子を殺して自分もと何度思ったでしょう。私には主人を責めることは出来ません。と証言した。泣きもしたろう、心中も語ったろう、世をのろったろう、病気をうらんだろう。  私共の想像を越えるこんな人の方が余程、尊い人生だ。

(昭和四十四年二月)