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「"ホンコさん"の風景 みんなの法話」の版間の差分

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2009年7月29日 (水) 11:14時点における最新版


"ホンコさん"の風景
本願寺新報2008(平成20)年1月1日号掲載
龍谷大学学長 若原 道昭(わかはら どうしょう)
50数年前の子どもの頃

金子みすゞさんの詩の一つに「報恩講」があることをご存じの方も多いと思います。

「お番(ばん)」の晩(ばん)は雪のころ/雪はなくても暗(やみ)のころ。

くらい夜みちをお寺へつけば/とても大きな蝋燭(ろうそく)と/とても大きなお火鉢(ひばち)で/明るい、明るい、あたたかい。

大人はしっとりお話で/子どもは騒(さわ)いじゃ叱(しか)られる。

だけど、明るくにぎやかで/友だちゃみんなよっていて/なにかしないじゃいられない。

更(ふ)けてお家へ帰っても/なにかうれしい、ねられない。

「お番」の晩は夜なかでも/からころ足駄(あしだ)の音がする。

(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)

みなさんの地方では報恩講をどんなふうに呼んでおられますか。
鳥取県の私の田舎では「ホンコさん」と呼んできました。
今から五十数年前の、私が子どもの頃は家庭のホンコさんは何となくお祭り気分でした。
保育園で、めったに口にしたことない手製のケーキをいただいて、話に聞いたことのある西洋のクリスマスのようだなあと、意味もよくわからずに、何やら華やいだ気分で過ごしたことを覚えています。

私の父が書き記したものを読むと、戦前は晴れ着を着たり、お客を招いたり、お寺の境内に露店が出たりと、もっとにぎわったようですが、そこまで古い時代のことは私は直接には知りません。

泊まり込みで毎朝昼晩
各家々でもホンコさんがあり、それがほぼ終わって十二月の二十日頃からお寺の報恩講が始まります。
その数日前から、世話人さんたちが集まって本堂の仏具を磨きあげる「おみがき」が始まり、「餅(もち)つき」でお供(そな)え用の各種の餅がつくられ、その餅が本堂に飾られます。

今のように交通事情がよくありませんでしたから、川向こうの村のお年寄りは、冷たい川を徒歩で渡ってやって来て、遠方の門徒さんは、報恩講の七日間、お寺に泊まり込んだり、お寺の近くの親せきの家に泊まり込んで毎日朝昼晩、お説教を聞いて過ごします。

「お客僧さん」(布教使)は高座からお説教をされます。
本堂いっぱいにつめかけたお参りの人々が一斉にドット笑う声やどよめきやお念仏が、お寺のまわりの家々にまで聞こえたそうです。
お説教のスタイルも現在はすっかり変わって、その高座は、今ではもう数十年来、余間の隅に埃(ほこり)をかぶって置かれたままになっています。

寒い中にも暖かな光景
お寺の中は、泊まり込みの人たちの食事や寝床の世話や、お参りの人たちの世話で、毎日、当番の大勢の仏教婦人会の人たちが忙しく立ち働き、受付やら何やらさまざまな係の人たちがごったがえしていて、子どもの私たちには居場所がないような思いがしました。

重い綿の入った、藍(あい)染めの絣(かすり)のごわごわの布団が何組もお寺に備えてありました。
火鉢とこたつしか暖房設備がなくて、すき間風の通る冷えきった部屋で、あんな布団で寝ていたおばあさんたちはさぞかし寒かったことだろうと思います。

そういえば、あの人々のお風呂はどうしていたのでしょうか。
毎日のお斎(とき)の支度には、庫裏(くり)の台所だけでは設備が足りず、庭に大鍋を据(す)え付けて、大量の煮物やみそ汁など定番の精進料理が作られました。

とくに報恩講のご満座(まんざ)(最終日)の前日の大逮夜(おおたいや)の晩は、皆が夜遅くまでお寺でにぎやかに過ごしました。
そして、ホンコさんが終わるとその片付けと、その後の酒宴。
夜更(ふ)けまで手をたたいて歌に興ずる大人たちの、普段は見たことのない酔態も子どもには珍しい光景でした。
「精進落ち」で、報恩講の間つづいていた精進料理からも解放されるのです。

金子みすゞさんの詩には、そんなかつての田舎のホンコさんの雰囲気がよく表れているように思えます。

世相は随分と変わりましたが、「ホンコさん」という言葉を聞くと、だんだんと年末に向かっていく季節の、すぐに時雨(しぐ)れる山陰地方の鼻水が垂れるような寒さと、それでいてどこか暖かくて懐かしいそんな雰囲気と、大勢の人々によって繰り広げられる年に一度の非日常の光景と、その頃の人々のあの顔この顔が思い浮かびます。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/