操作

このわたしこそ みんなの法話

提供: Book


このわたしこそ
本願寺新報2001(平成13)年8月20日号掲載
清水 惠美子(しみず えみこ)(布教使)
万策つきて

え.秋元裕美子
それは十年前、私が札幌市の公立中学校の教員だった時のことです。

難しい家庭環境を背負った子どもたちがたくさんいたのです。

校内暴力・盗み・いじめ・不登校......数えきれないぐらい悲しいことが、毎日のように起きていました。

校舎の壁はペンキで落書きされ、窓ガラスが割られ、まるでゴミ箱に捨てるかのように飲みかけの牛乳パックが窓から外へ捨てられ、気に喰わないことがあるからといって、掃除道具箱の扉を壊し、下に駐めてある車をめがけて投げつけ、また、学校の教材教具や備品が頻繁に紛失するといったありさまでした。

指導にあたった先生とのトラブルが絶えず、連日連夜、職員会議が持たれ対策を考えるのですが、これといった手立てが見つからず、万策つきて行き詰まる度に、家庭がしっかりしていないからだと、親や子どものせいにしていました。

パジャマが紛失
このような混乱状態のなかで、学校の最大の行事である「学校祭」が始まりました。

ところが、家庭科の作品が展示されている教室から、三年生の女子が製作したパジャマ三組が紛失していると、係の先生から教科担当の私に連絡が入りました。

あらかじめ、展示品の事故に対して万全を期すため、先生や生徒を配置していたにもかかわらず、心配していた通りになってしまったのです。

「苦労して一生懸命作ったのに......」と、製作した女の子は泣くばかりです。

そういえば、お昼頃バザー会場で長い間不登校だったM子さんを見かけたことを思い出しました。

さっそく担任と相談し、問い質(ただ)すことになりました。

家庭訪問をしてわかったことは、M子さんの家庭は、上は十七歳から下は五ヵ月の赤ちゃんまで五人姉妹のいる母子家庭だったのです。
彼女はその二番目です。

働くだけで精いっぱいのお母さんは、M子さんに家事と育児の一切をまかせているということでした。
お母さんの言う通り、M子さんは夕食の買い物に出かけていて留守でした。

事情を説明し、彼女の部屋を見せてもらいました。
小さな部屋ですが、きれいに整頓されていました。

ベッドの上には、ていねいにたたまれたパジャマが三組置いてありました。
それだけではありません。
机と椅子、壁に掛けられてある時計と鏡、机の前に貼ってある大きな時間表、どれもこれも学校のものでした。

ほんとうの姿
間もなく、背中に赤ちゃんをおんぶして、買い物袋を下げてM子さんは戻ってきました。

座る間もなく、慣れた手つきでむずかっている赤ちゃんのオムツを替え、ミルクを飲ませている彼女の姿は、目の前の赤ちゃんを丸ごと受け入れ、まるで母親が慈しんでいるかのようなやさしいまなざしでした。

突然、「学校へ行きたかった! 学校祭があるとクラスの友達が知らせてくれたので、登校してみると、きれいなパジャマが飾ってあった。
私も、みんなと一緒に作りたかったのに......」と、泣き崩れました。

悪いこととは知りながら、自分の部屋を教室と同じように整えることで、せめてみんなと一緒に勉強しているつもりになっていた十五歳の彼女のさびしかった気持ちまで思いやることができませんでした。

私たち教師は生徒を指導するとき、悪い行動のみを問題にする傾向にあります。

親鸞聖人は、人間のする行為の表面だけを皮相的に観るのではなく、いくら善に励もうとしても、悪を避け切れない人間の本性をよくよく観察されるよう、教えてくださいました。

パジャマ紛失事件から、他人の悪は裁いても、自分の悪に気づかず、認めようとしない私、また、自分の善は誇っても他人の善を認めたがらないこの私に気づかされました。
教師面をして、知らず知らずのうちに傲(ごう)慢な善人になり澄まし、自分の側には有弁な弁護士をはべらせ、子どもたちに対しては峻(しゅん)烈なる検事を差し向けていた愚者と、目が覚めました。

ご和讃の最後に

<pclass="cap2">是非(ぜひ)しらず邪正(じゃしょう)もわかぬこのみなり
小慈小悲(しょうじしょうひ)もなけれども
名利(みょうり)に人師(にんし)をこのむなり
(註釈版聖典622頁)

と、あります。

自らのなかにある高慢な心を聞こうともしないこの私こそ、恥ずかしいことであると、仏さまの前にひれふしておられます。

それは、わからせてくださった「南無阿弥陀仏」に出遇えたよろこびとともに、ほんとうに私を導き育ててくれたのは、子どもたちだったと気づかされた出来事でした。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/