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手に合わない厄介な我の心を 如来の大きな御手にお渡しする

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ともすれば 人のうへいうこの舌(した)も 仏の御名(みな)を呼ぶときもあり

よしあしのいづれを多くかたりしか 老いたるおのが舌にたづぬる            (『草かご』)  ある日のこと、甲斐和里子(かいわりこ)先生がお茶を飲んでいるとき、舌に痛みをおぼえ、鏡に向かって自分の舌をしみじみと眺めることになりました。これはそのときの心情を詠(よ)まれたものです。

 「此(こ)の小さい怪物(かいぶつ)に私は今日まで大変おせわになって来たなァ」という、自分を生かしめてきたはたらきにたいする畏敬(いけい)、「なのに老(お)いのこの歳(とし)まで人の悪(あ)しきを多く語ってきたこの舌ではなかったか」という慚愧(ざんぎ)のこころ、そして「人の上にたってものが言いたいこの舌にも、仏の御名(みな)を呼ばせていただくことがありがたい」という慶(よろこ)び。日常のさりげない出来事のなかに立ち現(あらわ)れる信心の深い味わいが披瀝(ひれき)されています。

 先生のご尊父(そんぷ)は、有名な足利義山和上(あしかがぎざんわじょう)であり、甥(おい)にあたるのが足利淨圓(あしかがじょうえん)師でありました。このような篤信(とくしん)の人びとに影響を受け、生涯を京都女子学園の創設をはじめ、仏法興隆(ぶっぽうこうりゅう)に尽くされ、数多くのうたを詠み、随筆(ずいひつ)を書かれました。

 『善悪とも予定通りにはゆかぬものです。まァ万一予定もせぬ悪条件にブッ突(か)った時は「何糞(なにくそ)ッ、善処してみせるぞッ」とみづから勇気をつけつつ、智慧(ちえ)袋をしぼりつつ、お念仏を称(とな)え称え、最善の処置を講じて行くうち、自然とおちつく所におちつくものです。念のために申しそえます。お念仏する人にして、はじめて、此の《おちつく》場所まで到達し得るのです』と80歳半(なか)ばでの心境を述べておられます。我が身に思案し、苦しみ、どうにもならない人生の行き詰まりを感じられたとき、「安心して、われにまかせなさい」と招(まね)き喚(よ)んでくださる如来の声を聞き、「悲しき愚痴(ぐち)のこころそのままを如来さまにお渡しするほかはない」というおちつきをようやく得ることになったのは、ひとえに父である義山和上(ぎざんわじょう)の「誠にこちらは安心千万(あんしんせんばん)のことにて候(そうろう)」という力づよいお導きがあったればこそでした。 御仏(みほとけ)を呼(よ)ぶわが声はみほとけの  われを喚(よ)びますみこゑなりけり  最後にしてゆきつくところ、おちつくべき場所は、み親のふところをおいてほかにないのであります。

 私のいのちを托すことのできる唯一の帰依所(きえしょ)が、「われを喚びますみこゑ」のなかに明らかとなります。


貴島 信行(きしま しんぎょう) 1951年、大阪生まれ 真行寺住職・龍谷大学講師・中央仏教学院講師・本願寺派布教使



本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載 ◎ホームページ用に体裁を変更しております。 ◎本文の著作権は作者本人に属しております。