転入の大悲
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曾て私が創価学会の本山である大石寺に参詣する車中で、同じく大石寺に参詣する一婦入と同席した。
「願い事があってお参りなさるのですか」
「いいえ、御礼参りにゆくのです」
「子供さんの病気でも快くなって、お礼参りに行かれるのですか」
「いいえ、一人娘が亡くなりまして、今日はお礼参りにゆくのです」
私はこの婦人の云われることに不審を抱いて、細かにその事情を聞かせて貰うた。
「私の家の宗教は浄土真宗で、祖父母も両親も非常にお念仏をよろこびました。所が、私の一人娘が生れつきの病弱で、頭も弱くて、私は非常に苦労いたしました。
三年程前、学会の方に勤められて、ひたすら子供の健康を祈って、私も学会に入りました。祖父母は亡くなって今はおりませんが、両親がそれを非常に反対いたしました。
然し私は、一人娘が少しでも健康にしていただければと、周囲の反対を押し切って入会いたしました。
そうして御指示の通り、朝に夕にお題目に専念いたしました。所が不思議なことに子供は段々と健康になり、一人で歩いて学校にも行ける様になりまりして、私の心の喜びは一通りではありませんでした。
私はこの喜びが溢れまして、私と同じく悩んでいる人に、この広大なるお題目の功徳を説いて、十人以上の人を入会させました。そうして共にお題目を唱えてよろごび合いました。
所がこの間、四・五日の病気で、この一人娘が亡くなったのです。私は呆然自失いたしました。 会員の方々が来て、葬式万端やってくれましたが、私の心は全く方向を失いました。
私は幼い時から祖父母や、両親に連れられて、近くの浄土真宗のお寺に法話を聞きにゆきました。そうして今、ふっと茫然自失していた私の頭の中に浮かんで来たことがありました。 それは三願転入と云うお話でした。又障り多きに徳多しと云うお言葉でした。」
「私も浄土真宗の教えを有難く頂いているものです。どうか、あなたの御信境をもっと続けて話して下さい」
「私は子供の死によって、横着なことを思って、お題目を唱えていたことに気をつかせて貰いました。身も南無阿弥陀仏、心も南無阿弥陀仏と聞かされていましたが、何のことだか全く分りませんでした。 然し今何だかはっきりさせて貰った様です。
子供の死によって、個人の罪福を祈っていた自力の念仏と云われる二十願のお心もいただけた様であります。 祖父はいつも、「自然法爾章」を拝読していました。 私に『南無阿弥陀仏と仏の方よりたのませ給いて、お浄土にお迎え下さるのだよ』と、口癖の様に私に云って聞かせてくれました。今私は、このお言葉が胸の中にパッと開けて下さった様です。
死んで行った娘も、又私もお浄土から来ていたのですね。そして娘は、ほとけ様の御用が済んでお浄土に帰ったのではないでしょうか。私は今思うのです。ごの学会のお題目が二十願の自力の念仏の役割を果して下さっていたのであると思うのです。みんな役者が私のために揃っていて下さったのですね。そういう訳で今日は大石寺様にお礼参りにゆくのですよ」
「私の口から、三年間朝に夕に唱え続けて来たので、南無妙法蓮華経とおのずから出ます。又心の底に南無阿弥陀仏と幾度も幾度も称えています。お題目も、お念仏も、仏様から下さるものですから、口からお出ましのままと、いただいています」
私は今でもこの有難いお話をいつも思い出すことである。
『続一枚の木の葉のごとく』