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ねがい みんなの法話

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ねがい
本願寺新報2000(平成12)年9月1日号掲載
龍尾 一洋(たつお いちよう)(長崎・大福寺住職)
「自分の願い」だけ

え.秋元 裕美子
坂村真民さんに『ねがい』という詩があります。


  見えない根たちの
   ねがいがこもって
   あのような
   美しい花となるのだ

庭に桔梗(ききょう)の花が咲きました。
この花が咲くためには、目に見えないたくさんの根が、一年がかりで水を運び栄養を届けてくれます。
たった一つの花を咲かせるために、たくさんの「ねがい」がはたらいているのです。

私が今ここに生きているということは、この私にたくさんの願いがかかっているということなのです。
しかし、自分の願いはわかっていても、自分にかけられた願いには、なかなか気が付きません。
ああなりたい、こうしたい、という自分の願いが叶うことが一番の幸せだと思っています。
自分の都合だけでまわりを見ていくとき、私にかけられた願いには目が向かないものなのです。
しかし、その気付きもしない私に、すでに大きな願いがかけられてあったのです。

最初に病名聞いた時...
昨年の十月から六カ月、がんの治療のために入院しました。

最初に病名を聞いたときには、どうしても自分の事だとは信じられませんでした。
他の人ががんになられた話は聞いてもいましたし、生まれたものは死んでいくことも知っています。
また僧侶としてお話の中で語ってきたこともありました。
しかしそれはみんな、元気な私がしている、他人の病気の話でした。
ともすると苦しみ迷う凡夫を救う阿弥陀さまのお救いさえも、横から眺めて見ていたのかもしれません。

入院中は、何とか治らないものだろうか、早く退院できないだろうか、という自分の願いだけで一杯でした。
抗がん剤や放射線の治療をしながら、頭の中は子どものこと、妻のこと、まだまだしなければならない仕事のことしか考えられませんでした。

蓮如上人は八十四歳の時の「御文章」に、法然上人のお言葉を引かれておられます。

法然上人は、病気はお浄土へ生まれる前ぶれであるから楽しめとおっしゃるが、私には、とても病気を喜ぶ心など起こすことはできません。
あさましい身であり、恥ずべき悲しむべき事だ、とおっしゃいます。

私の方からは、とてもお浄土に生まれたいという願いはおこすことはできません。
それどころか、ちょっとした病気でも死ぬのではなかろうかと不安でたまらなくなります。
しかし、そんな私に、阿弥陀さまの大きな願いがかかっていることを、親鸞聖人が教えて下さいます。

『歎異抄』の第九条には、「いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。
これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ」とあります。

自分の願いだけしか考えず、お浄土などには生まれようとも思わない私を、仏さまの方が先に心配して、必ずお浄土に生まれさせて仏にするという願いをかけて下さいました。

そしてその願いは、南無阿弥陀仏となって私に届いています。
その願いにうなずくとき、本当の自分のいのちに出遇うのです。
死んでいくいのちではなく、浄土へ生まれて仏になるいのちを生きている自分に出遇うのです。

安心せよ必ず救う
お朝事の時、お参りをしながら、阿弥陀さまの顔を見て話をします。
住職になる前、傾いた古い本堂を見ながら言いました。

「いつか立派な本堂にお入り下さいますようがんばりますから、待っていて下さい」というと、阿弥陀さまは、
「安心せよ、必ず救う」

とおっしゃる。

「いや、救うて下さるのはありがたいけど、そんなことより、立派になるまで待っていて下さいね」といいました。

住職を継職し本堂落成の法要の時に、

「どうですか、皆さんのおかげで立派に完成して、住み心地が良いでしょう」というと、

「安心せよ、必ず救う」

とおっしゃる。

そしてがんを宣告され、治療の合間の外泊で久しぶりに本堂にお参りしました。

「阿弥陀さま、がんになってしまいました」

情けない心細い思いのままに話しますと、

「安心せよ、必ず救う」

とおっしゃって下さいました。

ただこのこと一つを、ずっと願いつづけ、私にはたらきつづけて下さいました。
自分の願いのみに夢中になって、ずっと仏さまの願いを忘れておりました。
しかし、その私が気付こうと気付くまいと、休むことなく、あきることなく、私にはたらきつづけて下さいます。

「いつかその道がつきたとき、そこにお浄土が開けている」という言葉があります。

まさに、自分の願い、自力のおもいがつきてしまったそこに、すでに大きなお浄土が広がっているのです。
私にかけられたまことの願いに、わが身を知らされ、仏にならせていただくいのちを賜るのです。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/