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心に響いたお念仏 みんなの法話

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心に響いたお念仏
本願寺新報2004(平成16)年5月10日号掲載
北海道・佛願寺住職 松平 範慶(まつだいら のりよし)
Sさんとの突然の別れ

「なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ......」

力強いその声は、私の心に響いてきました。
私の悲しみをそのまま包んでくれるような温かな響き―。

昨日まで、背中にいっぱいの汗をかきながら雪かきをしていた、七十八歳になる農家のSさんが、長年連れ添った奥さんと息子さんと二人の孫を残して、一月八日の早朝、突然亡くなったのです。

二年前に息子さんのお嫁さんを亡くしている家族にとっては、まったく思いもよらぬ出来事でした。
いつもお寺のことを親身になって考えていたSさん。
誰に頼まれるでもなく、自らすすんで境内の清掃・除雪をしていました。

法座にお参りした後は、大好きな焼酎を飲むのを楽しみにしており、呂律(ろれつ)が回らぬ口調で、「若(わか)!ういっ、しっかりお参りしているか。
お前が頼りなんだからな」と、いつも私に言っていました。
青臭かった私には、まったくSさんの真剣な思いは届きませんでしたが、実はお念仏を大切にするSさんが、私に真の念仏者になってほしいと常に思ってくれていたのでした。

一月五日がSさんの家での最後の月参りとなりました。
元気にお念仏を称(とな)えていた姿がとても印象的であり、私の耳にはまだはっきりとSさんの声が残っていました。

止めどなく流れる涙
Sさんの突然の悲報を聞いて、胸が潰(つぶ)れる思いで臨終勤行に出かけました。
家に入ると、大勢の人たちの中で、Sさんそっくりの息子さんの顔が目に飛び込んできたのです。
子どもたちの前で涙を見せまいと、懸命に悲しさをこらえている様子がひしひしと伝わってきました。
家族親戚が揃って、亡くなったSさんの側に座り、お仏壇の前でお参りしました。
皆で合掌した時、私の称えるお念仏に重なり、息子さんのお念仏の声がはっきりと聞こえてきたのです。
その声は、まさにSさんの称えていたお念仏そのものでした。

「ああ、Sさんが仏さまとなり私を喚(よ)んで下さっている」―その瞬間、涙が溢(あふ)れてきました。
常に私のことを心配してくれていたSさんの願いが、息子さんの称えるお念仏を通して私の中にどっと押し寄せてきたのです。
「お念仏を通して、阿弥陀さまの願いに気付いてくれよ。
一人ひとりにかけられているその願いを味わってくれよ」と。
悲しみと共に、有り難さがこみ上げてきました。

私の心の底に響きわたる声。
こみ上げる気持ちの中に、阿弥陀さまから願われているにもかかわらず、いつまで喚(よ)ばれても気付かない私の愚かな姿が浮かんできました。
次から次へと出て下さるお念仏が、私の肌を突き通し、心の奥底へと響いてきたのです。
そのお念仏を聞きながら、止めどなく流れる涙を抑えることができませんでした。

および声と感謝の念仏
私たちの称えるお念仏は、二つの大切な意味を持ちます。
一つは阿弥陀さまからの「お喚び声」です。
そのままでは自分中心の見方でしか生きられない私に、阿弥陀さまは私の苦しみや痛みを自らのこととして受けとめ、さまざまな手立てで親身になって喚んで下さっています。
その願いがお念仏に込められているのです。

もう一つは感謝のお念仏。
その阿弥陀さまの願いを受け取らせていただくとき、自己中心の思いに気付かされ、共に生かされている喜びと感謝の気持ちが沸いてきます。
お念仏にはそういった私の感謝の気持ちがあるのです。

念仏者の甲斐和里子さんの歌に「み仏のみ名を称うるわが声は わがこえながらとうとかりけり」とあります。
これは私の称える念仏であっても、それはそのまま、阿弥陀さまの願いがいっぱい詰まった、私を思って下さる声なのですよ。
だからこそ、尊いのだよ、という味わいを表現しています。

お念仏は阿弥陀さまからの喚び声であると同時に、お念仏の願いを受け止めた私たちの感謝の声なのです。

今日も、法座に熱心にお参りするSさんの息子さんの姿があります。
また、境内の清掃にも来て下さいます。
Sさんの願いが息子さんにも確実に伝わっているのだなと、手を合わせ感謝せずにはおられません。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/