「千の風」 みんなの法話
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「千の風」
本願寺新報2004(平成16)年7月20日号掲載
布教使 西脇 顕真(にしわき けんしん)
お墓の中に私はいない
「千の風」
私のお墓の前で泣かないでください
私は永遠の眠りになんてついてはいません
ほら もう千の風になって世界をかけめぐっています
雪にきらめくダイヤモンド
穀物に降り注ぐ陽(ひ)の光
優しい秋の雨の中にいます (中略)
夜には星になってそっと光っています
あなたは大きないのちに包まれているのです
私に会いたくなった時ナモアミダブツと呼んでください
私はいつでもあなたのそばにいます
だから もうお墓の前で泣かないでください
私は死んではいません
永遠の眠りについてはいません
いつでもあなたのそばにいます
◇
作者不明の英語詩「athousandwinds(ア サウザンド ウインズ)(千の風)が、芥川賞作家の新井満氏の歌になって昨年来、静かに吹きわたっています。
私が「千の風」に出会ったのは四年前、築地本願寺の本堂でした。
そこに掲示されていた瑞々(みずみず)しい訳をベースに、私が真宗的なフレーズを加えて補作したものが冒頭のものです(新井氏とは別訳)。
実は、私は歌を歌いながら法話をする法話楽団「迦陵頻伽(かりょうびんが)」の活動をしていますので、いつかこの詩に曲をつけて歌いたいと、かねてから妻に話していました。
そして昨年の十二月、妻が出先の車の中から興奮気味に電話をかけてきたのです。
「あなたがいつも話してた『千の風』が今ラジオから歌になって流れてるよ! 新井満さんという作家が歌ってる。
素敵な歌だわ。
お話も胸に染(し)みるわ」
妻に聞いた話を要約すれば、およそ次のような内容でした。
葬式でなく結婚式に
新井満氏の親しい友人である川上耕さんの妻・恵子さんが四十八歳で病死されました。
生前は微笑みをたやさぬ良き妻、良き母であり、教育・環境・平和問題など社会活動のリーダーでした。
その愛妻を失った川上さんの悲しみはあまりに深く、新井さんはかける言葉もないまま、何もできない自分にうなだれるばかりだったといいます。
確かに本当に深い悲しみの真っただ中にいる人に、かける言葉はないのでしょう。
もし、慰めや励ましの言葉をかけることができるとしたら、それは、その人以上に大きな悲しみをかかえた人だけなのかもしれません。
だから仏さまのおこころを大きな悲しみと書いて大悲というのではないでしょうか。
悶々(もんもん)として数年が過ぎたある日、新井さんは「千の風」に出会い心が打ち震えたといいます。
この詩なら友人の心の励みになるかもしれないと直感した新井さんは、この英語詩を自ら訳し曲をつけ歌を歌いCDを制作したのです。
CDが出来上がると新井さんは妻に「僕が死んだらお葬式でこの歌を流してくれ」と話しました。
そして新潟にすむ川上さんにCDを送りました。
CDが届いた翌日が、たまたま川上さんの娘の朋子さんの結婚式でした。
川上親子は、お葬式ではなく結婚式にこのCDをかけたのです。
新井さんが「結婚式のようなめでたい場所でこんな曲はまずいのでは」と言うと、川上さんは「そんなことないよ。
この歌を聴いたなら、風が吹けば恵子がここにやってきたみたいじゃないか。
雨音を聞けば恵子が歌ってるみたいじゃないか。
恵子が星になって僕を見守っているみたいじゃないか。
いつだって今ここにだって恵子が一緒にいてくれるみたいじゃないか。
こんなめでたい歌はないじゃないか」とおっしゃったそうです。
私はその話を聞きながら親鸞聖人の「しかれば、弥陀如来は如(にょ)より来生(らいしょう)して、報(ほう)・応(おう)・化(け)、種々の身(しん)を示し現じたまふなり」(註釈版聖典307頁)というお言葉を想いました。
アミダさまは生きとし生けるものを救うために千変万化しながらありとあらゆる姿をとって下さるというのです。
そしていかなる人もアミダさまと同じ広大無辺な大悲の活動をする仏さまにして下さるのだと教えて下さいました。
先だった大切なあの人は、今は大悲の風となり、智慧の光となり、そしてナモアミダブツの声となって私を、あなたを呼び続けていらっしゃいます。
「泣きたいだけ泣きなさい。
いつでもあなたのそばにいます...」と。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |