雨の音 みんなの法話
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雨の音
本願寺新報2005(平成17)年6月1日号掲載
福岡・西照寺住職 竹中 利数(たけなか としかず)
誕生の翌日 役所に届出
五月初旬、ツツジが咲き始めると、テレビは唐突に沖縄の入梅を伝えました。
これより順次前線は北上してゆき、やがて北海道を除く日本列島に、シトシトと雨が降り始めます。
沖縄入梅の報は、すっかり忘れていた雨のようすを思い出させました。
家の中に忍び入るような静かな雨音。
誘われるように窓の外をみると糸を引く小さな雨が降っています。
やがて、たくさんの傘がアジサイの花のように町を彩ります。
私は梅雨のさなかの六月九日に生まれています。
そのせいか雨が嫌いではありません。
幼子が、母親の心拍音を聞くと泣きやむといわれますが、私には雨の音を聞くと安らぐところがあります。
母のおなかにある時に雨の音を聞いていたのでしょうか。
あるいはこの世に生を受け、初めて聞いた音が雨の音であったのかもしれません。
今から二十年前、父が私の誕生をことのほか喜んでいたことを知りました。
結婚に際して戸籍謄本をとる必要があり、取り寄せて見たときのことです。
手元に届いた謄本には六月九日出生、命名利数。
それから父と母の名がありました。
届け出年月日が六月十日になっていますので、父は生まれた日の翌日にすぐ役所に届けたことがわかります。
父親知らぬ父が父親に
何の変哲もない個人の記録ですが、六月十日の日付を見て、そのとき、特別の感情が私に起こりました。
母は当時、体が弱く、二度流産しています。
ようやく、無事に生まれた子が私だったのです。
父の喜びはひとしおであったでしょう。
無事に生まれてくれと願い続け、無事誕生と知ると、喜び勇んで役所に向かう父の姿が目に浮かびます。
子を持った親の喜びを私は受けていたのでした。
しかし、そのことに長らく気付かずにいました。
正直に申しますと、私には、どこかで父をいとうところがありました。
父の性格は弱く、時として子の目には頼りなく映りました。
反抗期、思春期を過ごすうちに、いつしか父に対するわだかまりを感じるようになっていました。
その感情は父に対しての負い目ともなり、誠に不快なものでした。
父の性格を理解しようとする姿勢が私には欠けていたのです。
その父の性格は、早くに父親を失ったことから来ているのではなかったかと今は理解しています。
祖父は父が九歳の時に事故死してしまいます。
ですから、父自身は父親の育(はぐく)みに、十分接してはいないのです。
自分自身が父親というものを十分知らないまま、私の父親になったのですから、子にどう接してよいものか、戸惑いがあったはずです。
父親を知らない父が父親になり、それでも懸命に手探りで私を育ててくれたのです。
果てしない過去からの
私は大事なことをその時知らず、後になり、ようやく気が付く愚か者です。
気が付くのを待って下さるということは、有り難いことです。
あるいは、私が浄土真宗のご縁に恵まれていなかったなら、いまだに気付かずにいたかもしれません。
阿弥陀さまは、果てしない過去から、私のための準備をすでに終え、気付くのをお待ち下さいました。
気付けよ、気付いてくれよと雨のように絶え間なく与えられるお慈悲。
雨の音に呼び覚まされ父を思い、母を慕うように、私は自ら称える念仏に阿弥陀さまのお慈悲を感じます。
愛情を知ったものだけが名をよぶ喜びを得るといいますが、阿弥陀さまのみ名の響きに「きらわず、えらばす、あきらめない」お救いのはたらきが現われてきます。
あれから二十年、父も母も老いを深め、次第に私を頼ることが多くなりました。
にもかかわらず、それにまだ、私は十分応えることが出来ずにいます。
「称名(しょうみょう)は報恩なり」というお育ての中に未熟な私がいます。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |