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焼けた本堂の前で みんなの法話

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焼けた本堂の前で
本願寺新報2005(平成17)年6月10日号掲載
本山・布教研究専従職員 松岡 満優(まつおか まんゆう)
ナマンダブありがたい
私は現在、群馬県にあります蓮照寺というお寺で住職をさせていただいております。

しかし、このお寺の生まれではありません。
「入寺」と申しまして、お寺を継がれる方がいないお寺に迎えられて、住職として法務をさせていただいております。

今から十年ほど前、私が入寺をする前の話です。

「そのお寺を一度見に行ってみたら?」

ある方に勧められるまま、私はお寺に足を運びました。

小さな本堂と庫裏(くり)があり、その時は誰も住んでいませんでしたので、私は外からぐるっと見回しただけで、すぐにお寺を後にしようとしました。

「さあ、もう帰ろう」と思ったその時、境内の隅に一人のおばあちゃんがいるのが目に入りました。

草むしりをされていたそのおばあちゃん、何か言いながらしゃがんでいます。

近づいていって聞いてみますと、「ナマンダブ、ナマンダブ、ありがたい、ありがたい」とおっしゃっているのです。

後で知ったのですが、この方は沢田さんといって、境内にある貸家にお一人で住んでいる、当時七十七歳のおばあちゃんでした。

思い切って聞いてみた
沢田さんは生まれつきハンディキャップがあり、その上、肺気腫(しゅ)という病気も患っておられました。
草むしりをされる時は、酸素ボンベを引いて酸素吸入をしながら作業をしていました。

ですがその時は「なんだろう、このおばあちゃんは」ぐらいにしか思いませんでした。

当時、私は京都で仏教の勉強をしておりましたので、お彼岸やお盆になりますと、そのお寺に一週間ぐらい泊まり込んで、お寺の法務をさせていただくようになりました。
泊まり込みで生活をしますので、だんだん沢田さんとも仲良くなっていきました。

そんなある日、また沢田さんが「ナンマンダブ、ナンマンダブ、ありがたい、ありがたい」と言いながら掃除をされていますので、私は思い切って聞いてみました。

「沢田さん、何がそんなにありがたいんだい」

すると、沢田さんは「阿弥陀さまのおひざもとで、こうして草むしりをさせていただいて、命をいただいて、こんあにありがたいことはないよ」と、恥ずかしそうに答えました。

そんな沢田さんの言葉にも、私は首をかしげつつ、再び京都での生活に戻っていきました。
そして、のんきに過ごしていたある日、私のもとに一本の電話が入りました。

「お寺の本堂、庫裏ともに全焼してしまいました」

身をもって教えられる
取り急ぎ群馬に向かいました。
焼け跡を前に立ち尽くしていますと、沢田さんが話しかけてくれました。

「本堂も焼けてしまった今、もうあなたにこのお寺に入ってくれとは言えないよ。
私は一人には慣れているから、どこかよそのお寺を探したらいいよ。
私は結婚もしなかったし、子どももいない。
でもね、短い間だったけど、あなたが来てくれて、まるで空から息子が降ってきてくれたようで・・・。
あなたにあえて私はしあわせだったよ」

この言葉を聞いた瞬間、私の心は決まりました。
と同時に、それまで、どこか立派なお寺に入寺できたら・・・、そう思っていた自分が恥ずかしくなりました。

沢田さんの手を取り「沢田さん、私はこのお寺を出ていかないよ。
このお寺を継がせていただきます」―そう言いながら二人で涙を流しました。

沢田さんとの出遇(あ)いが、私にとって仏法との出遇いとなりました。

お念仏の素晴らしさ、ありがたさ、そのことを沢田さんが身をもって教えて下さいました。

平成十一年、沢田さんは私と坊守が見守る中、ご往生されました。

平成十五年四月十三日、本堂・庫裏落慶法要を厳修。
阿弥陀さまはもちろんのこと、心の中で沢田さんにも、「ありがとうございました」と報告させていただきました。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/