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煩悩具足の凡夫 みんなの法話

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煩悩具足の凡夫
本願寺新報2007(平成19)年1月20日号掲載
布教使 桑原 浄昭(くわはら じょうしょう)
他力の悲願かくの如し

最近、『歎異抄』の第九条をお話する機会があり、あらためて読み直していた時のことです。
第九条は親鸞聖人と唯円房との対話形式で綴られたユニークな条文です。
内容は念仏を申しても踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)の心やいそぎ浄土に参りたい心が起こらない点を取り上げ、「親鸞もこの不審ありつるに」といいつつ、それは煩悩の所為(しょい)であるとご教示されています。

そのため、これまでは専ら煩悩に関するお話を中心にしておりました。
ところが今回は文中の「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫(ぼんふ)と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」(註釈版聖典836ページ)という文言に、なぜか心惹(ひ)かれる新鮮さを感じ、ありがたいなぁと味わいました。


しょせんは煩悩のせい
「ありがたい」といえば、一般的には両親をはじめ多くの方々からの人的な恩義や自然の恩恵などに感じるものでしょう。
私の場合、若い頃から仏教を学び、僧侶、布教使として生きてきましたので、私をお浄土に救うために大変なお支度(したく)と見事な仕上がりでもって掛かり果ててくださる南無阿弥陀仏のおはたらきに、常々「ありがたいことだ」と思ってきました。

しかし、私にも踊躍歓喜の心やいそぎ浄土に参りたい心はありません。
第九条を引き合いに出しては、親鸞聖人や唯円房でもそうだったんだ、しょせん「煩悩の所為」なんだと、深く考えることもなく片付けてきたように思います。

ところが、六十歳を過ぎてからというもの、人の顔と名前がすぐに出てこなくなり、体力、集中力、持続力もままならず、仕事の処理もはかどらなくなってくる中、いやでも「老苦」に悩まされるようになりました。
それでも、親鸞聖人が『教行信証』信巻に述懐された「愛欲の広海(こうかい)に沈没(ちんもつ)し、名利(みょうり)の太山(たいせん)に迷惑(めいわく)して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証(しんしょう)の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざる」(同266ページ)状態の私がいます。
この浅ましさに愕然とし、まことに「恥ずべし傷(いた)むべし」です。

私のために起こされた
先日、知人と定年後の年金制度の話をしていた時、「どうせ凡夫のすることだから」という言葉を聞いて思わずハッとしました。
私たちは普段「凡夫」という言葉をよく使いますが、この言葉の本当の意味合いを知って使っているのだろうかと気になったのです。

そこで早速、辞書で「凡夫」を引いてみると、「聖者に対する語、凡庸(ぼんよう)な人、普通の人、つねなみの人」などと記されています。
通常多くの場合は、この義を受けて軽い気持ちで「どうせ凡夫だから」と使っているのでしょう。
しかし、どこか卑屈的で言い訳的なニュアンスが含まれているように感じるのはなぜでしょうか。

さて、親鸞聖人が語られる「凡夫」という言葉ですが、一般的に使われている語義とは違ったすさまじい響きを感じます。
『一念多念証文』には「『凡夫』というふは、無明(むみょう)煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(同693ページ)とあります。
まさに聖人の深い宗教的洞察眼から導かれた語義と申せましょう。

そして、いま第九条には「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたる」とあれば、「煩悩具足の凡夫」という指摘は、如来が無明煩悩が満ち満ちている私の本性を最初からご覧になって知り抜いておられたからこそであり、如来の方から私を指名される際の言葉ではないでしょうか。

「煩悩具足の凡夫」と阿弥陀仏から知らされたいま、煩悩がどれほど盛んで、罪業がどれほど深くてももはや心配する必要はなく、かえって他力の悲願はまさしく私のために起こされたことが素直にうなずかれ、いよいよ頼もしく思われます。
そして『歎異抄』後序(ごじょ)の「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。
さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(同853ページ)とのご述懐が尊く味わえることです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/