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み仏の恵みの中で みんなの法話

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み仏の恵みの中で
本願寺新報2007(平成19)年10月1日号掲載
福岡・正善寺住職 白川 義孝(しらかわ ぎこう)
孫の念仏に心の温もり

孫が生まれて、「じいじい、ばあばあ」や「おはよう、おやすみ」など、日常会話が言えるようになった頃のことです。

何やら、両手を合わせてつぶやいているのです。
何を言っているのかとよく聞いていましたら、「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ・・・」と、お念仏を称えているのです。
生後二十カ月足らず。
それでも、体をゆすりながら。
「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と、ただ一声一声称えている孫の姿に、心の温もりを覚えました。

かつて、お孫さんと同居の友人が、「うちの孫がお念仏を申すようになってくれたよ」と、いかにもうれしそうに話してくれた日のことと二重写しになりながらのお念仏の日暮しでした。

その孫が幼稚園に通うようになったある朝、み仏さまへのお参りが終わるや、「おじいちゃん、恵みってどんなこと」と聞くのです。
「食事のことば」にも「恵み」とあり、孫の幼稚園の名が「めぐみ幼稚園」ということもあってのことです。

突然のことで、一瞬のとまどいもあり、言葉がみつかりません。
思いつくままに、

「ごはんは誰がつくってくれるの?」

「お母さん」

「お洗濯は誰がしてくれるの?」

「お母さん」

「お洋服の着替えは」

「お母さん」

「ごはんもお洗濯も着替えも、みんなお母さん。
お母さんがいてくれて良かったね」と言いましたら、「ふうん」と言って、お母さんのいる台所へ走って行きました。

しばらくして、はたして「恵み」の説明になったであろうかと自問自答しながら、その孫の問いが千金の重みをもって胸に迫ってきました。
「恵み」は、単にお母さんの恵みだけではありません。
衣食住の恵みもあれば、天地の恵みもあり、さまざまな恵みの中で私たちは生かされているからです。

一茶の句に弥陀の大悲
<pclass="cap2">ととさんや
あの ののさんが
かかさんか

私がこの一茶の句に魅(み)せられて半世紀。
一茶の生まれた長野県柏原の地は、ほとんどが浄土真宗のご門徒だったそうです、一茶は三歳で母を亡くし、八歳からは継母とのつらい暮らし、奉公にも出され、遺産相続でも争い・・・。
五十を過ぎて結婚するも、生まれた子どもは次々に亡くなり、妻にも先立たれ、中風を患い、家は大火で類焼するなど、苦難に満ちた六十五年の生涯でした。

しかし、逆境に耐え、苦しみ悩み、絶望のふちに沈みながらも、その日暮らしのすべてが弥陀の大悲のただ中であったことが、二万句という膨大な作品群の中から数々うかがえます。
ことに、この「ととさんや あの ののさんが かかさんか」の句などは、三歳から八歳まで、母亡き日暮らしの思い出を詠(うた)ったものと思われます。
弥陀の大悲につつまれて「み仏の恵み」の中で生きる親子の情が生き生きと伝わってまいります。
お育てのもったいなさ、ありがたさです。

いつもどこでも誰でも
今、私たちが「み仏の恵み」と申しますのは、私のいのちに届いてくださって、育み、支え、励ましつつ、お浄土への道をいざない、往生成仏させてくださる南無阿弥陀仏(名号)のはたらきそのものを「恵み」と申します。

ご開山・親鸞聖人は「摂取(せっしゅ)の心光(しんこう)(阿弥陀如来さまの救いのはたらきは)常に照らし護りたもう」と「正信偈」に讃えられています。

み仏の救いの光は私の眼には見えませんが、いつでも、どこでも、誰にでも届いてくださっています。
南無阿弥陀仏のお念仏となって喚びかけてくださっているのです。

<pclass="cap2">♪ほとけさまは
どこに どこに
いらっしゃる
春は花咲く
枝のもと
夏は水辺の
草のかげ
秋は空行く
雲のうえ
冬は窓うつ
雪のなか
いつもどこかで
見ていて下さる
いつも何かを
教えて下さる
ほとけさまは
あれあれあそこに
いらっしゃる
(『ほとけさまは』)

と、孫たちと歌う仏教讃歌。
今日も「み仏の恵み」の中で共に生きる喜びに心がはずみます。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/