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確かな行き先 みんなの法話

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確かな行き先
本願寺新報2007(平成19)年10月10日号掲載
本山・布教専従職員 吉川 光城(きっかわ こうき)
心に響いた曾祖父の歌

私がまだ学生だった頃のことです。
ご門徒のところへお参りに行った時、こんな言葉に出あいました。

「米寿まで きく一念に こぎつけた 今日はこの岸 明日はかの岸」

なんと、その歌の作者は、私の曾(そう)祖父でした。
お家の方から、その時のことを詳しく教えてもらいました。
その話を聞きながら、私は何だかうれしくなりました。

私が生まれる前にはすでに亡くなっていた曾祖父ですが、この言葉を通して、お念仏を大切に生涯を過ごした人だったんだなぁと感じました。
そして、「お前もお念仏を大切に生きていくんだぞ」と曾祖父から勧められているような気持になりました。

それ以来、その家にお参りするのが楽しみになりました。
そしてその都度、曾祖父の言葉の書かれた色紙に目が行くようになりました。
今では私の支えとなっている大切な言葉の一つです。
しかし、そう思えるようになったのは、つい最近のことです。


みんな帰っちゃうの?
少し前のことですが、友人の結婚式に招かれ札幌に行きました。
数年前まで札幌に住んでいた私は、事前に何人かの友人と連絡を取りました。
その時の会話の中で、「旅費がかかって大変だろうから、ウチに泊まれば?」と何人もの友人が言ってくれました。

久し振りに連絡した友人からのやさしさを喜びつつ、「当日はきっと誰かが泊めてくれるだろう」と思い、宿をとらず、友人にも事前に泊めてもらう約束をしないまま、札幌へ向かいました。

結婚式の当日、披露宴が終わると友人の何人かが、明日も仕事があるからと帰って行きました。
その中には以前「ウチにおいで」と言ってくれた友人もいました。

「あれ?」と思いながらも、「他にも泊めてくれると言っていた仲間が何人か残っているし・・・」と思いながら、声はかけませんでした。
しかし二次会以降、会の終わりが近づくたびに同じ場面に出あうこととなりました。

次第に「今夜はどこに泊まればいいんだろう・・・?」。
そんな気持ちが起こってきました。
そして夜もずいぶん遅くなった頃、「ウチに来る?」と一緒にいた友人から言ってもらった時には本当に安心しました。

今を生きる私のために
振り返ってみると、友人からの言葉を聞くまでは「今夜どうしよう・・・」という思いばかりが私の頭の中にあり、その日、主役であった友人を祝うことも、せっかく久しぶりに会うことのできた友人との時間も「心ここにあらず」で、中途半端な態度をとっていたのではないかと思います。

確かに自分に計画性がなかっただけと言ってしまえば、それだけのことですが、私はこの出来事を通して、「先のことがわからないということが、どれだけ不安なことか」ということ、そして「先のことが不安だと、今を楽しめない。
安心して過ごすことができない」ということを、身をもって知らされました。

阿弥陀さまが、あらゆるいのちあるものを救いとり、仏として生まれさせたいと願い建立(こんりゅう)されたお浄土は、単に私のいのちの行き先を用意してくださったわけではありません。

「あなたのいのちはもうすでに私が引き受けました。
だからこそ安心して今いただいているいのちを精いっぱい生き抜いてくださいね」

そんな思いを込めて仕上げてくださったのがお浄土であると、私は味わわせていただきました。
そう感じればこそ、阿弥陀さまの願いがどれほど大きく、頼もしいものなのかを知らされます。
そして、阿弥陀さまのおこころは、今生きている私たちのためにあるのだと思えるのです。

そんな阿弥陀さまのおこころを深く味わい、自身の生きる支えとして生涯を過ごした曾祖父の姿に、その言葉を通して出遇(あ)うことができて本当によかったと思います。

私も曾祖父と同じように「阿弥陀さまが私のいのちの行き先を確かにしてくださったからこそ、今を安心して精いっぱい生きていくことができます」と喜びつつ、感謝の日暮らしを送っていきたいと思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/