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理屈と感動 みんなの法話

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理屈と感動
本願寺新報2007(平成19)年12月1日号掲載
中央仏教学院 学校教育部長 白川 晴顕(しらかわ はるあき)
居ねむりは安心の証拠

「今までは人のことかと思うたに おれが死ぬとは こいつぁーたまらん」

江戸時代の歌人・太田蜀山人(しょくさんじん)が詠んだといわれる辞世です。

この世に生まれた限りは、必ず迎えなければならないのが死ということですが、自分が死ぬと頭ではわかっていても、それをなかなか実感として捉えることができないのが凡夫の姿でもあります。

がんを宣告された方が、「三日間、夜もロクロク眠ることができなかった」といわれていました。
自分が本当に死ぬとわかったときや極度の不安に襲われたときは、眠ることのできない生き物が私たちです。

それが学校の授業やお寺の聴聞の場で眠られるということは、安心しきった生活を送っている証拠であるといえましょう。
「五十年、いや百年は大丈夫」というような寝顔で、心地よい世界に浸っている光景をよく目にします。

ただ、若いうちは死を実感するということに、無理があるかもわかりません。
しかし、せめて感動だけは大切にしたいものです。
「理屈抜きでおもしろかった」といわれるように、人の心は、理論や理屈だけで変えられていくほど単純なものではありません。
感動という言葉はあっても理動という言葉がないことからもいえることです。

理論や理屈は、頭の中で考え出すものですから頭のよい人には敵(かな)いません。
感動は心で感じることですから、頭の善し悪しは関係ありません。
しかも、物事に感動する心が自分の心を育てていきます。

恨むどころか感謝の心
今、話題の『ホームレス中学生』という本を読みました。
著者はお笑いタレント・麒麟(きりん)のメンバーである田村裕(ひろし)さんです。

お母さんが病死の後、病気のために会社から退職を余儀なくされたお父さんが借金で家財道具や家も差し押さえられ、子ども三人の前で突然「解散」という宣言があって、ホームレス生活が始まったという自叙伝です。
著者が弱冠中学二年の時の出来事です。

公園での一カ月間のホームレス生活で、お金がないために雨が降るたびにお風呂代わりに体を洗ったこと、ハトの餌を分けてもらったり、公園の草やダンボールまでも食べたことなど、当時のすさまじい状況が語られています。

そして、友達の家で久しぶりに入ったお風呂のお湯の有り難みや、食べさせてもらったご飯や魚、味噌汁がこんなに美味しいものとは思わなかったと、その感動を述べておられます。

しかし、そういう状況に追い込まれながらも、著者は「お父さんはちゃんと僕達を育ててくれた。
お父さんはちゃんと父親の役目を果たしてくれた。
しかし、お父さんの父親としての役目は終わっていない。
僕達が親孝行するためには帰ってこなければならない。
今度は僕達がお父さんを守る番。
一日も早くそうしたいと願っています。
お父さん、あの頃は何も手助けできなくてごめんなさい」と述べて、お父さんに対して恨みどころか、むしろ感謝とお詫びの気持ちでいっぱいであると述懐しておられます。

もし私が同じ状況になったとしたならば、感謝の気持ちどころか、生涯親に対して恨みを抱いた生活を続けていくのではなかろうかと思うと、その述懐にただ感服するのみです。

苦しいホームレス生活を体験したが故に、お風呂のお湯やご飯、味噌汁に有り難みが憶(おぼ)えられ、当たり前のことが当たり前ではなかったという感動が得られたといえましょう。
この感動こそが親への感謝とお詫びの心につながっているのではないでしょうか。

障り多いと功徳も多い
親鸞聖人は『高僧和讚』『曇鸞讃』に「罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし」(註釈版聖典585ページ)と詠(よ)まれて、私たちの罪業や苦悩の障りと如来の功徳は本来一体であり、氷と水のような関係であると示されます。

そして、「さはりおほきに徳おほし」という結びの句には、苦悩を通して得られた感動が多ければ、親を慕う心が深いように、阿弥陀如来を慕う心もおのずと養われていくことが教示されているように思われます。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/