「言葉のいのち みんなの法話」の版間の差分
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言葉のいのち
本願寺新報2008(平成20)年7月20日号掲載
北海道・大正寺住職 髙田 芳行(たかだ よしゆき)
なかなか素直になれない
一つの言葉でけんかして
一つの言葉で仲直り
一つの言葉でおじぎして
一つの言葉でないている
一つの言葉はそれぞれに
一つのいのちをもっている
(「一つの言葉」)
歳(とし)を重ねるといろんな経験を積み、落ち着いて物事に対応できると思っていましたが、いまだに経験が生かされず、相手の言葉に腹を立て、売り言葉に買い言葉でけんかになり、後から後悔することがあります。
仲直りしなければならないと思うのですが、なかなか素直になれないこともあります。
けんかをした時は、自分を正当化します。
自分の味方になってくれそうな人を見つけては、けんか相手の非をこんこんと言い続けます。
一時的には、それで気持ちもおさまるように思いますが、根本的な解決には至りません。
そんな時、実は相手が一方的に悪かったのではなく、自分にも配慮に欠けるところがあったのではないか、と反省してみることが大事だと思います。
お互いに意地を張っていたのでは解決できません。
その窮地を開くのは、やはり優(やさ)しい心のこもった言葉ではないでしょうか。
まず自分が変わらないと
いつもお嫁さんの悪口ばかり言っていたAさんが、ある時、
<pstyle="text-indent:7.5pt;">「今までお嫁さんが一方的に悪いと思っていたけれど、そうではなかったのです。
自分にも悪いところがあったのです。
そう気付いてから、できるだけ優しい言葉で接するように心がけました。
しばらくしてお嫁さんの態度も少しずつ変わってきました。
人間はお互いに影響し合っているのですね。
自分が変わらなければ相手も変わらないことに70歳を過ぎてやっと気付かせてもらいました」とお話してくださいました。
13年間寝たきりのおばあちゃんのお世話をして、最期(ご)を看(み)取られたお嫁さんのBさんが、当時を振り返りながら、
「おばあちゃんのお世話は大変なこともあったけれど、おばあちゃんの言葉にずいぶん勇気づけられたんですよ。
私がつくった料理を『こんなにおいしいたまご焼きは、私が若い頃は貧しくて食べることができなかったんだよ。
ご馳走を食べさせてもらってうれしいよ。
ありがとうね』って...。
この言葉を聞いてから、もっとおいしいものをつくってあげたいと思いました。
おばあちゃんが亡くなる前のことでした。
『いつもお世話になりっぱなしで、こんなぐあいだから、今は何もしてあげることはできないけれど、あの世にいったら必ず恩返しさせてもらうからね。
ごめんなさいね...』
『何言ってるんですか。
おばあちゃんは、そんな心配しなくていいんですよ』
まだ若かった私はお世話することがつらい時もありましたが、おばあちゃんの優しい言葉がうれしくて、しっかりとお世話をさせてもらおうと思ったものです」
と教えてくださいました。
お念仏は仏さまのいのち
Bさんは、おばあちゃんの言葉のいのちを受け取られたのでしょう。
おばあちゃんにとっても、自分の言葉のいのちを受け取ってくれたお嫁さんの気持ちがわかり、不自由な身体ではありましたが、本当にうれしかったに違いありません。
その気持ちが「必ず恩返しさせてもらうからね」という言葉となってこぼれ出たのでしょう。
やさしい心のこもった言葉は人の心を温め、豊かにし、元気にしてくれます。
それは言葉のいのちが人に生きる力を注いでくれているように思われます。
おばあちゃんの言葉は、これから老境に向かう自分自身の生きる依りどころになっている、とBさんはおっしゃいます。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は言葉になってくださった仏さまです。
お念仏は仏さまのいのちです。
仏さまのいのちには智慧のはたらきとお慈悲のこころが満ちあふれています。
お念仏を称(とな)えさせていただくことは、この私が仏さまの物事を正しく見る力(智慧)と温かい心(慈悲)をこの身に受け取り生きていくことです。
今後もお念仏を称え、身近な人の言葉のいのちからも勇気をもらいながら、人々にみ仏の智慧とお慈悲を伝えていきたいと思っています。
心に響くいのちを受け取り共に歩みましょう。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |