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「〝平和の火〟を迎えて みんなの法話」の版間の差分

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2009年7月29日 (水) 11:07時点における最新版


〝平和の火〟を迎えて
本願寺新報 2009(平成21)年2月10日号掲載藤澤 めぐみ(ふじさわ めぐみ)(本山・布教研究専従職員)「キッズサンガで集い」昨年の12月、京都にある私のお寺で、広島におとされた原爆の残り火である「平和の火」を迎えて、キャンドルナイトをメーンとした〝キッズサンガ〟の集いをしました。
</p>ご門徒のお孫さんだけではなく、地域の子どもや、お父さん・お母さんにも呼びかけ、「みんな、ほとけさまの子ども」ということで、年齢制限なしのキッズサンガでした。
おつとめのとき、何度もお寺に来ている人も、初めてほとけさまに手を合わす人も、みんな同じようにアミダさまに手を合わせ、お念仏しました。
</p>キャンドルナイトを始める日没までの時間、まずは長崎の友人による巨大紙芝居『空色のカマキリ』の上演です。
畳1枚分ほどもある大きな紙に描かれた紙芝居でお話が進みます。
紙芝居の終わりに、友人は「私は長崎原爆の被爆者2世です」と話してくれました。
つまり、お父さんが、長崎原爆を体験されているのですね。
戦争のことは子どもたちには少し難しくても、紙芝居の中の「虫もお魚も人間も、どんないのちも、みぃんな、おんなじ、大切ないのちなんだよ」というセリフが心に響いたようです。
</p>休憩時間のキャンディーのつかみどりコーナーは長蛇の列でしたが、手の大きなお兄ちゃんが「みぃんな同じ」と、自分でつかんだキャンディーを少ししかつかめなかったお友達に分けていました。
休憩の後は、沖縄音楽コンサート、振る舞いぜんざいと続きました。
</p>原爆の火をカイロにお昼から集まった子どもたちは、初めて出会ったのに、いつのまにか、ずっと前から知っているようなお友達になっていました。
生まれたばかりの赤ちゃんは、みんなの腕に順番に抱っこされ、「生まれたね、よかったね」とそのいのちをよろこび合いました。
初めて会う人同士が、アミダさまの前で、まるで前から知っていたかのように、繋(つな)がっていました。
</p>そして、いよいよ、メーンイベントの「キャンドルナイト」です。
ロウソクの火は、マッチやライターでもつきます。
しかし、私は何か意味のある火を使いたい、いのちの尊さを伝えたい、そう思って「平和の火」を用いたキャンドルナイトを企画しました。
</p>「平和の火」は、広島原爆の残り火です。
原爆投下以来64年間、福岡県八女郡星野村で消えることなく守り続けられている火です。
昭和20年8月6日午前8時15分の原爆投下直後に、広島に住む叔父さんの安否をたずねて爆心地を訪れた山本達雄さんが、焦土と化した広島の地で「せめて遺骨代わりに」と、くすぶる炎をカイロ灰にうつし、星野村へ持って帰られました。
それが「平和の火」です。
</p>私は実際に星野村を訪れ、その火を、山本さんがされたのと同じ方法で白金カイロに採火し、京都まで持ち帰りました。
悲しみと、悔しさと、いとおしさと、山本さんのいろいろな思いが交錯したであろうその残り火は、「平和の火」と呼ばれるように、白金カイロを握ると、とても暖かでした。
</p>親子の姿に教えられ日没後、アミダさまの前のロウソクから分火し、竹筒に入れたロウソクに点火。
隣へ、また隣へと、一人一人が手に持つロウソクに平和の火が灯(とも)っていきました。
</p>小さな男の子がその炎を見つめながら、「この火、怖い火?」と母親に尋ねています。
お母さんは「大丈夫よ」と答えると、その子をしっかりと抱きしめていました。
男の子は、安心したようにじっと炎を見つめ、お母さんはその男の子を見つめていました。
</p>私は、このキッズサンガで、子どもたちに「平和」の意味を伝えようと思っていました。
だけど、実は子どもたちや、親子の姿から教えられることがすごく多かったのです。
</p>大切な火が64年間、消える事なく伝わっています。
大切なみ教えが、750年の間、途絶えることなく、この私に届いています。
</p>「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」とお示しくださった親鸞聖人のおこころは、「大丈夫よ」と、分灯された炎を見つめる親子の姿のように、あたたかく伝わっています。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/