「『大悲の詩(うた)』を歌いながら みんなの法話」の版間の差分
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『大悲の詩(うた)』を歌いながら
本願寺新報2008(平成20)年3月1日号掲載
僧侶シンガーソングライター 北條 不可思(ほうじょう ふかし)
"縁を絆(きずな)に"コンサート
昨年十二月十五日、築地本願寺で開催された「東京ボーズコレクション」という超宗派のイベントに参加しました。
"歌うお坊さん"として、宗派の枠や国境を超え自作の詩曲でメッセージ活動を行う私にとって、大変有り難いご縁でした。
そのステージに一緒に立ってくれたのが、NHK「風林火山」に出演中の金田賢一さんでした。
音楽を通した私の活動も、今年で二十七年目。
それは「生きとし生けるものすべてを救う」という阿弥陀さまのご本願のお心を自分なりのやり方で精いっぱい伝えていきたい。
そして、浄土真宗のみの教えは特定の人たちのためにあるのではないという信念から始まりました。
しかし、僧侶としては奇異な活動でもあり、迷うことも数多くありました。
あおんな私の道を切り開いてくれたのは、一級一種の重度の身体障害を持つ一人息子・慈音(じおん)でした。
わが子の重い障害を私たち夫婦が認めたのは十二年前、慈音が一歳のときでした。
一度はやめようと決意した音楽活動でしたが、この子が将来その責任を感じて傷つかないように、そして慈音と世の中を繋(つな)ぐチャンネルを切らないために再起を決意しました。
以来、「縁を真の絆(きずな)に」を願いに「縁絆(えんばん)コンサート」を展開していきます。
人知超えたはたらきが
慈音の体調や経済的なことなど気がかりなことは多く、順風満帆(まんぱん)とはいきません。
けれども、その折々に出会いに助けられて今日まで継続することができました。
そこには常に阿弥陀さまの智慧と慈悲の心がありました。
親鸞さまの後ろ姿がありました。
揺れ惑う《愚かなる私》に、歩む力を、歌う力を、語る力を与えてくださいます。
あなたの悲しみが
わたしの悲しみ
わたしの悲しみが
あなたの涙
あなたの輝きが
わたしの喜び
わたしの喜びが
あなたの微笑み
諸行無常と
吹きすさぶ
虚しい争いの渦の中
人の心に灯を
人の心に慈しみを
人の心に平安を
人の心に真実を
(『大悲の詩』より)
これは、私の言葉ではあるけれど、実はそうではありません。
その源泉は、決して枯れることのない本願他力だからです。
だからこそ、折々の出会いの中で、いつも思うことは「縁を真の絆に」。
小さな出会いの縁も、絆として深まらなければ、真の意味での関係は成立しないからです。
つく縁もあれば、離れる縁もあるのが世の常です。
家族だろうと、友人だろうと、あるはずだと思い込んでいる間に消えてしまうつながりはたくさんあります。
それゆえに、縁が絆として結ばれていく流れの中に、人知を超えたおはたらきを感じないではおれません。
おかげさまありがとう
金田さんとのご縁もまさに絆となった出会いでした。
きっかけは金田さんが司会のテレビ番組へのゲスト出演でした。
不思議なことに、初対面なのに妙に気が合いました。
ちょうど「縁絆コンサート」の十周年のプログラムを考えている時で、「ライフワークとして朗読の仕事をしている」という金田さんに、渡りに船とばかりに詩の朗読をお願いしてから早四年になります。
岡山県の長島愛生園でのコンサートの時も万難を排して同行してくれました。
愛生園は、布教使として全国を歩いた父が忘れ難いご法縁をいただいた場所です。
まだ橋の架かる前のことで、父が亡くなるまで何度も何度も私に話していたので、私にとっては、遠くから思い続けた故郷に家族や友人と共に帰るような旅になりました。
金田さんも「懐かしい歌」と言っていた「恩徳讃」をみんなで歌った歌声とともに、忘れ得ぬ思い出として私の心に刻まれています。
出会いと別れを越え「縁と絆」の旅はこれからも続きます。
ふり返れば、いつも仏智に照らされ、大悲に抱かれていました。
「おかげさまでありがとう」の旅です。
不安や絶望に迷い、孤独に沈んで身動きが取れない時でさえ、「大丈夫、決して一人にはしない」と大悲の声がよびかけてくださっています。
私はただひたすら、その声に心をあずけ、身をゆだね、『大悲の詩』を歌いながら歩き続けていくばかりです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |