「"お母さん"争奪戦 みんなの法話」の版間の差分
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末本 弘然(すえもと こうねん)(大阪・正福寺住職)<br/> | 末本 弘然(すえもと こうねん)(大阪・正福寺住職)<br/> | ||
お経に聞き入って<br/> | お経に聞き入って<br/> | ||
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子どもというのは、なかなかじっとしておれないものです。<br/> | 子どもというのは、なかなかじっとしておれないものです。<br/> | ||
− | 小学校の高学年にでもなれば多少は我慢できるのでしょうが、就学前の子ではそうはいきません-。 | + | 小学校の高学年にでもなれば多少は我慢できるのでしょうが、就学前の子ではそうはいきません-。 |
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− | おじいちゃんが亡くなり、中陰のお参りに訪れたお家での話です。 | + | おじいちゃんが亡くなり、中陰のお参りに訪れたお家での話です。 |
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玄関で出迎えてくれたのは、二、三歳の男の子二人と、それぞれのお母さんの四人でした。<br/> | 玄関で出迎えてくれたのは、二、三歳の男の子二人と、それぞれのお母さんの四人でした。<br/> | ||
お母さん同士は姉妹で、亡くなったおじいちゃんの娘さんだそうです。<br/> | お母さん同士は姉妹で、亡くなったおじいちゃんの娘さんだそうです。<br/> | ||
「そうです」とあいまいな表現になったのは、私とは葬儀で初めてお目にかかったほどの関係で、それまで法事で時々訪れたことはあるものの、接待役を務めておられたのは亡くなったおじいちゃんで、この若いお母さん方とはお話をした記憶もなく、特に印象になかったからです。<br/> | 「そうです」とあいまいな表現になったのは、私とは葬儀で初めてお目にかかったほどの関係で、それまで法事で時々訪れたことはあるものの、接待役を務めておられたのは亡くなったおじいちゃんで、この若いお母さん方とはお話をした記憶もなく、特に印象になかったからです。<br/> | ||
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それはともかく、二人の男の子はお母さんと一緒に、元気良く「こんにちは」と迎えてくれました。<br/> | それはともかく、二人の男の子はお母さんと一緒に、元気良く「こんにちは」と迎えてくれました。<br/> | ||
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皆、素直に従ってくれます。<br/> | 皆、素直に従ってくれます。<br/> | ||
特にお母さん方には「おつとめは、いのちのまことともいうべき阿弥陀さまのお心に触れる行為であり、その阿弥陀さまに包まれておじいちゃんがおられる」というようなことをあらかじめ伝えておきました。<br/> | 特にお母さん方には「おつとめは、いのちのまことともいうべき阿弥陀さまのお心に触れる行為であり、その阿弥陀さまに包まれておじいちゃんがおられる」というようなことをあらかじめ伝えておきました。<br/> | ||
− | それを新鮮な興味を持って聞いておられたお母さん方は、じっと私がおつとめするお経に聞き入っておられました。 | + | それを新鮮な興味を持って聞いておられたお母さん方は、じっと私がおつとめするお経に聞き入っておられました。 |
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ところが、こちらの「思わく」通りにいかないのが子どもたちです。<br/> | ところが、こちらの「思わく」通りにいかないのが子どもたちです。<br/> | ||
「このおっちゃん、壁に向かって(※壁に沿ってお仏壇と中陰壇が安置されている)、訳もわからんことを何やらしゃべっているし、ママも同じ方を向いてただ黙って座ってる。<br/> | 「このおっちゃん、壁に向かって(※壁に沿ってお仏壇と中陰壇が安置されている)、訳もわからんことを何やらしゃべっているし、ママも同じ方を向いてただ黙って座ってる。<br/> | ||
なにしとるんやろ。<br/> | なにしとるんやろ。<br/> | ||
退屈やなぁ」とでも思っているのでしょう。<br/> | 退屈やなぁ」とでも思っているのでしょう。<br/> | ||
− | 二、三分もしないうちに、横槍(よこやり)を入れてきました。 | + | 二、三分もしないうちに、横槍(よこやり)を入れてきました。 |
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まず手始めにお母さんの持ち物を奪う作戦です。<br/> | まず手始めにお母さんの持ち物を奪う作戦です。<br/> | ||
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しかし、お母さんは頑張りました。<br/> | しかし、お母さんは頑張りました。<br/> | ||
奪わせなかったのです。<br/> | 奪わせなかったのです。<br/> | ||
− | まだ力はお母さんの方が上回っていました。 | + | まだ力はお母さんの方が上回っていました。 |
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そこで今度は、子どもたち同士で一つのものを奪い合う作戦に出ました。<br/> | そこで今度は、子どもたち同士で一つのものを奪い合う作戦に出ました。<br/> | ||
− | お菓子かおもちゃかわかりませんが、お母さんのひざの上あたりで、声を出しながら、奪い合っているのです。 | + | お菓子かおもちゃかわかりませんが、お母さんのひざの上あたりで、声を出しながら、奪い合っているのです。 |
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そのまま座っててや<br/> | そのまま座っててや<br/> | ||
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お母さんたち、そのまま座って阿弥陀さまの方を向いていてや!」と、内心そんな気持ちだったのです。<br/> | お母さんたち、そのまま座って阿弥陀さまの方を向いていてや!」と、内心そんな気持ちだったのです。<br/> | ||
要するに、子どもたちと私との「お母さん」の取り合いです。<br/> | 要するに、子どもたちと私との「お母さん」の取り合いです。<br/> | ||
− | 子どもたちにすれば、私の言いなりになっているお母さんの心を、自分たちの方に向けさせようという、ほとんど本能的な心の動きが次々と行動を起こさせているのです。 | + | 子どもたちにすれば、私の言いなりになっているお母さんの心を、自分たちの方に向けさせようという、ほとんど本能的な心の動きが次々と行動を起こさせているのです。 |
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それに対して、私は「今、とても大事なことをしている。<br/> | それに対して、私は「今、とても大事なことをしている。<br/> | ||
− | 目には見えないけれども、そんな大切なものがあるんだということを、身をもって子どもたちに示してほしい」とお母さん方に願いながら、ついおつとめにも力が入ってきます。 | + | 目には見えないけれども、そんな大切なものがあるんだということを、身をもって子どもたちに示してほしい」とお母さん方に願いながら、ついおつとめにも力が入ってきます。 |
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果たして結果は-。<br/> | 果たして結果は-。<br/> | ||
ここでもお母さん方は耐えてくれました。<br/> | ここでもお母さん方は耐えてくれました。<br/> | ||
− | 小さな声で子どもたちを諫(いさ)めただけで、動きません。 | + | 小さな声で子どもたちを諫(いさ)めただけで、動きません。 |
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こうなると子どもたちも必死です。<br/> | こうなると子どもたちも必死です。<br/> | ||
私に「取られた」お母さんを取り戻すために、ついに最後の手段に出ました。<br/> | 私に「取られた」お母さんを取り戻すために、ついに最後の手段に出ました。<br/> | ||
お仏間を飛び出した二人は、廊下あたりでけんかを始めたのです。<br/> | お仏間を飛び出した二人は、廊下あたりでけんかを始めたのです。<br/> | ||
− | もちろん、お母さんが仲裁にやってきてくれることを予想しての行動です。 | + | もちろん、お母さんが仲裁にやってきてくれることを予想しての行動です。 |
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− | しかし、それでもおつとめが終わるまでついにお母さん方はその場を離れませんでした。 | + | しかし、それでもおつとめが終わるまでついにお母さん方はその場を離れませんでした。 |
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間違いのない救い<br/> | 間違いのない救い<br/> | ||
− | 子どもたちの完全敗北に終わったのです。 | + | 子どもたちの完全敗北に終わったのです。 |
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とはいうものの、子どもたちも純なものです。<br/> | とはいうものの、子どもたちも純なものです。<br/> | ||
− | おつとめが終わると、すぐに引き返してきて、私とお母さん方の会話に加わり、朗らかな笑顔を振りまいてくれました。 | + | おつとめが終わると、すぐに引き返してきて、私とお母さん方の会話に加わり、朗らかな笑顔を振りまいてくれました。 |
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そんなことがあった一月後、月命日にお参りした時のことです。<br/> | そんなことがあった一月後、月命日にお参りした時のことです。<br/> | ||
私はそこで、お母さんと子どもたち、そしてご主人も加わって一緒におつとめする光景に出合ったのです。<br/> | 私はそこで、お母さんと子どもたち、そしてご主人も加わって一緒におつとめする光景に出合ったのです。<br/> | ||
− | しかも今度は子どもたちもその場に居心地よさそうに座っているばかりでなく、私に合わせて、声を限りに「なんまんだぶ」と称えるのです。 | + | しかも今度は子どもたちもその場に居心地よさそうに座っているばかりでなく、私に合わせて、声を限りに「なんまんだぶ」と称えるのです。 |
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− | + | 私は、勝った負けたとこだわり力んでいた私の了見の狭さを思い知らされると同時に、お母さんの偉大さを感じずにはおれませんでした。 | |
「親の後ろ姿を見て子は育つ」と言われますが、このお母さん方は、それを見事に実行されました。<br/> | 「親の後ろ姿を見て子は育つ」と言われますが、このお母さん方は、それを見事に実行されました。<br/> | ||
ちょうど、お経に説かれている「阿弥陀さまを讃える諸仏方のお念仏の声を聞いて、私たち衆生が阿弥陀さまの間違いのない救いに遇(あ)う」のとそっくりです。<br/> | ちょうど、お経に説かれている「阿弥陀さまを讃える諸仏方のお念仏の声を聞いて、私たち衆生が阿弥陀さまの間違いのない救いに遇(あ)う」のとそっくりです。<br/> | ||
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2009年7月29日 (水) 14:07時点における最新版
"お母さん"争奪戦
本願寺新報2000(平成12)年5月1日号掲載
末本 弘然(すえもと こうねん)(大阪・正福寺住職)
お経に聞き入って
子どもというのは、なかなかじっとしておれないものです。
小学校の高学年にでもなれば多少は我慢できるのでしょうが、就学前の子ではそうはいきません-。
おじいちゃんが亡くなり、中陰のお参りに訪れたお家での話です。
玄関で出迎えてくれたのは、二、三歳の男の子二人と、それぞれのお母さんの四人でした。
お母さん同士は姉妹で、亡くなったおじいちゃんの娘さんだそうです。
「そうです」とあいまいな表現になったのは、私とは葬儀で初めてお目にかかったほどの関係で、それまで法事で時々訪れたことはあるものの、接待役を務めておられたのは亡くなったおじいちゃんで、この若いお母さん方とはお話をした記憶もなく、特に印象になかったからです。
それはともかく、二人の男の子はお母さんと一緒に、元気良く「こんにちは」と迎えてくれました。
お仏間に通された私は、子どもたちとお母さんに、二言三言しゃべった後、「では一緒に手を合わせて、お念仏しましょう」と言いながら、おつとめに入りました。
皆、素直に従ってくれます。
特にお母さん方には「おつとめは、いのちのまことともいうべき阿弥陀さまのお心に触れる行為であり、その阿弥陀さまに包まれておじいちゃんがおられる」というようなことをあらかじめ伝えておきました。
それを新鮮な興味を持って聞いておられたお母さん方は、じっと私がおつとめするお経に聞き入っておられました。
2、3分で横ヤリが
ところが、こちらの「思わく」通りにいかないのが子どもたちです。
「このおっちゃん、壁に向かって(※壁に沿ってお仏壇と中陰壇が安置されている)、訳もわからんことを何やらしゃべっているし、ママも同じ方を向いてただ黙って座ってる。
なにしとるんやろ。
退屈やなぁ」とでも思っているのでしょう。
二、三分もしないうちに、横槍(よこやり)を入れてきました。
まず手始めにお母さんの持ち物を奪う作戦です。
お念珠かハンカチか知りませんが、奪うことによって自分たちの方にお母さんの関心を向けさせる魂胆なのです。
しかし、お母さんは頑張りました。
奪わせなかったのです。
まだ力はお母さんの方が上回っていました。
そこで今度は、子どもたち同士で一つのものを奪い合う作戦に出ました。
お菓子かおもちゃかわかりませんが、お母さんのひざの上あたりで、声を出しながら、奪い合っているのです。
そのまま座っててや
不謹慎と言われればその通りなのですが、私は、おつとめしながらも、その成り行きに注目していました。
「もしここで、どちらかのお母さんが子どもたちを連れて別の部屋に行ってしまったら、私の負けやな。
お母さんたち、そのまま座って阿弥陀さまの方を向いていてや!」と、内心そんな気持ちだったのです。
要するに、子どもたちと私との「お母さん」の取り合いです。
子どもたちにすれば、私の言いなりになっているお母さんの心を、自分たちの方に向けさせようという、ほとんど本能的な心の動きが次々と行動を起こさせているのです。
それに対して、私は「今、とても大事なことをしている。
目には見えないけれども、そんな大切なものがあるんだということを、身をもって子どもたちに示してほしい」とお母さん方に願いながら、ついおつとめにも力が入ってきます。
果たして結果は-。
ここでもお母さん方は耐えてくれました。
小さな声で子どもたちを諫(いさ)めただけで、動きません。
こうなると子どもたちも必死です。
私に「取られた」お母さんを取り戻すために、ついに最後の手段に出ました。
お仏間を飛び出した二人は、廊下あたりでけんかを始めたのです。
もちろん、お母さんが仲裁にやってきてくれることを予想しての行動です。
しかし、それでもおつとめが終わるまでついにお母さん方はその場を離れませんでした。
間違いのない救い
子どもたちの完全敗北に終わったのです。
とはいうものの、子どもたちも純なものです。
おつとめが終わると、すぐに引き返してきて、私とお母さん方の会話に加わり、朗らかな笑顔を振りまいてくれました。
そんなことがあった一月後、月命日にお参りした時のことです。
私はそこで、お母さんと子どもたち、そしてご主人も加わって一緒におつとめする光景に出合ったのです。
しかも今度は子どもたちもその場に居心地よさそうに座っているばかりでなく、私に合わせて、声を限りに「なんまんだぶ」と称えるのです。
私は、勝った負けたとこだわり力んでいた私の了見の狭さを思い知らされると同時に、お母さんの偉大さを感じずにはおれませんでした。
「親の後ろ姿を見て子は育つ」と言われますが、このお母さん方は、それを見事に実行されました。
ちょうど、お経に説かれている「阿弥陀さまを讃える諸仏方のお念仏の声を聞いて、私たち衆生が阿弥陀さまの間違いのない救いに遇(あ)う」のとそっくりです。
そう思うと、お母さん方が諸仏に見えてきました。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |