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「ていねいの極み みんなの法話」の版間の差分

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2009年7月29日 (水) 10:49時点における最新版


ていねいの極み
本願寺新報 2009(平成21)年3月10日号掲載
藤井 寿昭(ふじい じゅしょう)(仏教青年連盟指導講師)
待てない症候群

先日、ある研修会で保育士さんから、子どもの成長を親がじっくり待てないという話を聞きました。
それは、3歳児に母親の絵を描かせると、首がなく顔とスカートが直結した絵を描く子が比較的多いという話でした。
しかし、幼年期の子どもの多くは、イメージや特徴のみを描くことが多いそうですから、その絵自体はそう珍しくはないとのこと。
ところが、以前なら「みんなと描いて楽しかったね」と温かく見守る親が大半だったのが、最近は様子が違うといいます。

絵を見るなり、「そうじゃないでしょ」といって、子どもをせかすそうです。
せかされながら慌(あわ)てて描き直す子どもは、委縮(いしゅく)して弱々しい線で小さな絵を描いてしまうのです。
子どもは、親がじっと待ち、そして見守っていれば、徐々に全体の絵を描くことができるようになるのですが、待てずに「早く早く」とせかすことで、感性や感情、自由な発想、丁寧(ていねい)さなどが育ちにくいといいます。

アメリカの心理学者グレイグ・ブロード氏は、このような状態を「待てない症候群」として「こころの病気」であると位置づけています。
そして、人とうまくコミュニケーションが取れず、すでに社会生活に支障が出始めている事例が数多く報告されているということです。
エレベーターや券売機など、1度押すだけでいいボタンを連続で繰り返し押している無意識の行動は、注意が必要であるとしています。

亡き祖母が教えてくれた
私の祖母は4年前に99歳で往生しました。
大変きっちりとした性格の人でした。
その祖母が、37年間ひとりで住職をしていたお寺があります。
祖母が往生して1年後、私はそのお寺の住職代務をさせていただくことになり、本堂や庫裏の掃除を約3カ月かけてしました。
掃除をする中、祖母の部屋の押し入れを開けて驚きました。

目に飛び込んで来たのは、大小合わせて100個ほどの箱が整然と積み重なった光景でした。
とりあえず、ひとつひとつ確認しながら整理をしはじめた頃は正直、「かなり時間がかかりそう」と思いました。
約半数くらいの箱には「ハガキ」「電気コード」「ボタン」「布」など、日常生活で使うものや時々必要になるものなどのラベルがはってありました。
はっていない箱は、ひとつひとつ確認が必要でしたので、どうしても作業はゆっくり時間をかけて進めることになります。

数日間、このゆっくり時間をかけての作業をしながら感じていたのは「丁寧(ていねい)」ということでした。

祖母のきっちりとした性格は「箱」という形で私の目の前にあり、それはまさに「丁寧」ということを私に伝えるための手だてであり、そして大切な時間だったのだと思いました。

言葉のこころを伝える
そんな作業をしながら、ふと私自身の今を考えてみました。

わが子に「早く早く」と言うことがあるのではないか。
券売機の前で何度もボタンを押してはいないだろうか。
さらには、丁寧に挨拶をしているだろうか。
丁寧に食事をしているだろうか。
丁寧に話をしているだろうか。
丁寧に人に接しているだろうか...。

「丁寧に」という言葉を、毎日の行動ひとつひとつにつけて考えるだけで、随分と違う見方になります。
そして、あたり前の毎日が、あたり前ではなかったということを、祖母は伝えてくれたのだと思えるようになりました。

 
仏さまの前で日々おつとめをする「正信偈・和讃」も、ややもするとあたり前のように拝読しがちですが、親鸞聖人が記された直筆のご和讃には、「左訓(さくん)」とよばれる細かな註釈が本文に数多く添えられています。

 
難解な漢文の聖典を日本のことば(和讃)にし、さらにそのおことばにきめ細やかな註釈を施されたご左訓のおこころは、すでに阿弥陀さまの願いの中にある私たちであることを、生涯かけてお伝えくださった「聖人の丁寧の極み」であると私はいただいています。

お念仏に生かされるよろこびを、今日も丁寧に味わわせていただきたいと思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/