「笑顔でピース みんなの法話」の版間の差分
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2009年7月29日 (水) 11:36時点における最新版
笑顔でピース
本願寺新報2005(平成17)年3月1日号掲載
布教使 深水 顕真(ふかみず けんしん)
自分の葬儀であいさつ
「得がたい人生を得ることができました。
有り難い人生を得ることができました。
阿弥陀如来さまに感謝、合掌」
この言葉は一昨年、私の母が五十八年の生涯を閉じる二日前に、ビデオカメラに向けて残した言葉です。
母は合掌をしながら、この言葉に続いて家族や親せき、門徒、そして医療関係者へのお礼の言葉を繰り返し述べました。
さらに驚くべきことに、亡くなる半日前には「笑顔を残しておきたい」と、カメラの前でピースサインをして「みなさん一足お先に」の言葉を残して母は往きました。
スキルス性の胃がんを二年間にわたって患い、体重は往時の約半分、三十二キロ程度になっていました。
しかし、最後の瞬間まで、母は日々を大切に楽しみながら生きるという姿を私たちに見せてくれた気がします。
自宅療養中も、おしゃれやグルメに抜かることはありませんでした。
また往生の一ヵ月前には、転移の進んだ身体を杖で支え、大好きだったハワイにも出掛けかけ、ワイキキビーチで泳ぐという離れ技まで見せてくれました。
そしてこの母の生きざまは、布教使としての私に、とても重要な機縁を与えてくれました。
生死(しょうじ)の問題が私の腑(ふ)に落ちてきた気がします。
特に、母ががんと向かい合いながら生き抜いた二年間は、僧侶として、そして人間としての私にとって「善知識(ぜんぢしき)」(仏教に導く人)であったように思われます。
この最後のメッセージを残したビデオは、葬式でも放映し、参列の皆さんに本人のお礼の挨拶として見ていただきました。
朝には紅顔 夕べには白骨
「死を目の前にして、こんな穏やかなメッセージなど私には残せません」
このビデオを見た多くの方が死の直前のその姿に驚かれ、こんな言葉を口にされたことが印象に残っています。
しかし、本人も含め家族はけっして特別のことをしたとは思っていません。
また、坊守だからできたことでもありません。
二年間病気とともに過ごした姿の延長がそこにあっただけです。
そして一日一日を大切に生きる姿が、ビデオの姿だったのでしょう。
ただ、このビデオにいたる道のりは、決して平たんなものではありませんでした。
特に二年の間に、本人は二つの山を越えたのだと思います。
そのひとつが、本人の希望もあり、病気を完全に告知したことです。
つまり、「自分が死ぬ」ということをそこで認識したということです。
そして、もうひとつは「死ぬのは自分だけではない」ことに気付いたことだと思います。
白骨の御文章には、「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨」(註釈版聖典千203頁)とあります。
つまり、いま元気でもいつ死ぬかわからないということです。
がんであっても、元気なものであっても、余命の長短は誰にもわかりません。
母は「死にそうだ」という自分の問題が、実はすべての人の問題でもあることに気付いたのではないでしょうか。
誰もが「死にそう」であるなら、不確かな余命の長短に病気だ、健康だと、一喜一憂するのは意味がありません。
いまを大切に生きる
逆に、死を眼前にするなら、病人も健康な者もみな平等に「いま生きていること」だけは確かです。
母の生きざまは、まさに「いま生きている」ことを見つめた生き方だったような気がします。
次の瞬間に死ぬかもしれないからこそ、いま生きている命を本当に有り難いものとして受け容れることができたのです。
だからこそ、病気に伴う身体的な苦痛があっても、「死にそうだ」と死におびえることはなく、あくまでいまを大切に日々を楽しみながら生きたのでしょう。
そしていまできることとして、死を見据えたビデオのメッセージも残すことができたのだと思います。
「朝には紅顔」に続く白骨の文章には「後生(ごしょう)の一大事を心にかけて念仏申すべきものなり」と述べられます。
私にとって、死を眼前に、「いまを大切に生きる」という母の姿こそが、この「念仏申す」生きざまであろうと白骨の御文章をいただくたびに思い出されます。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |