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「笑顔が輝くとき みんなの法話」の版間の差分

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2009年7月29日 (水) 11:14時点における最新版


笑顔が輝くとき
本願寺新報2008(平成20)年1月10日号掲載
徳島・安楽寺住職 千葉 昭彦(ちば あきひこ)
お念仏薫るふるさとで

私のまちは、徳島県美馬(みま)市美馬町です。
吉野川中流の、過疎と老齢化が進行している町です。
自然開発もなく、山並みは穏やかで、季節の色の移ろいが目を楽しませてくれ、吉野川は、両岸に竹林が繁茂し、空の青、川の碧(みどり)、竹の緑が夕映えに染まる時の美しさは言葉に尽くせない風情があります。
そんな所に、浄土真宗のお寺が四カ寺固まって、お念仏を大切に日暮らしをしている地域です。

ここには、「おつべたて」と言われる行事があります。
なんだとおもわれますか? 実は報恩講さんのことです。
昔は、報恩講さんに参られた方が御文章を拝聴なさるのに、頭を畳にすりつけ、お尻(おつべ)が立って見えたことから、「おつべたて」と言われるようになったとか・・・。
そんな土地柄です。

風に乗って悲しい声が
地方の時代、ふるさと振興が叫ばれ、私は町づくりを考える委員会の代表としてお手伝いをさせていただきました。
町の標語は「豊かな自然、笑顔輝く、文化の町、美馬町」でした。
開発が無かったおかげで自然は豊かです。
奈良・平安・鎌倉と、文化財に恵まれた町です。
問題は"笑顔輝く"町づくりです。

町のみんなが笑顔で生活をする。
素晴らしいことですが、さて笑顔は、どうすれば生まれるのでしょうか?

かなり難問となりました。

吉野川の堤防を歩きながら、思案に暮れていたとき。
風に乗って、悲しい声が聞こえてきたのです。

<pclass="cap2">私は ここにいます
私のことを忘れないで下さい。

私にもありがとうの言葉を
言わせてください
聞かせてください

<pclass="center">◇

吉野川は「四国三郎」と言われるほどの暴れ川でした。
洪水のたびに、流域の住民は大被害を受けました。
ただ一つ、洪水までに収穫できた作物が「藍(あい)」でした。
洪水が肥沃(ひよく)な土を運んでくれることも幸いして、徳島名産・阿波藍の産地となりました。
流域の住民は、堤防代わりに、両岸に竹を植えて、洪水から命と財産を護ろうとしました。
生活用材に適した「真竹」が選定され、竹林堤防が完成しました。

物干し竿(ざお)、竹篭(たけかご)、農作業にかかせない用材として重宝されました。
家を建てるときに、壁の中に竹小舞を掻(か)いて補強に利用しました。
また良質の竹を活用して、和傘(番傘)の産地として大いに潤いました。
毎日のように藪に人が来て、手入れを怠りませんでした。

しかし、環境が一変したのです。
どんどん堤防工事が進みます。
傘は、こうもり傘に取って代わられ、藍は化学染料に完敗です。
生活の中から竹は姿を消してしまいました。
ほったらかしになった竹林は、生え繁って、うっそうとして気味が悪い所になり、今は、誰も行きません。
そんな竹林が、悲しい声を届けてきたのです。

一人いれば二人と思え
笑顔が生まれることを考える前に、笑顔を隠す物を取り除いてやることが、大切なことと気付きました。

自然と共生が流行(はや)り言葉になりました。
共生は「ともいき」と読むのだと教わりました。
ここにいるのに誰も知らんぷり、「しかと」されるつらさは、何よりつらいことだと聞いています。
誰かのお役に立ちたい、ありがとうの声が聞ける、これが生きる力の元。

「ありがとう」と言いながら生きることはうれしいが、言ってもらえたらもっとうれしいと思いませんか。

報恩講さんで教えて頂いた言葉―

「一人いてしも 喜びなば 二人と思え 二人にして 喜ぶおりは 三人(みたり)なるぞ その一人こそ 親鸞なれ」
(報恩講の歌)

いつも、親鸞さまがいてくださる。
ひと時も忘れたことがないぞの阿弥陀さまがいてくださる。

共に生かされて、生きている喜びを教えていただきました。
同じ時と所とで、共に生きている。
もし近くから、悲しい声が聞こえたら、ありがとうの声を掛けて、さあ今日一日を精いっぱい、あなたと私とで出来ることをご一緒に、が共に笑顔で生きる第一歩になるのです。

いつも親鸞さまと一緒、阿弥陀さまと一緒。
そして、あなたと一緒。
そこには笑顔が輝いていますよ、きっと。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/