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秋風の中にこいのぼり みんなの法話

提供: Book


秋風の中にこいのぼり
本願寺新報2008(平成20)年5月1日号掲載
布教使 加藤 信行(かとう しんぎょう)
君も一緒に探してくれ

私たちの先輩方は「南無阿弥陀仏」の如来さまを「親さま」とまるで身近な家族のように、親しみを込めて呼んでこられました。

なぜかというと「一子地(いっしじ)」(全(すべ)てのいのちを我が一人子として哀れみ慈しむことができる仏さまの位)に就かれた阿弥陀さまは、私たちを我が一人子だと見てくださるからです。

さて、五月のこの季節を迎えると、決まって思い出す一人のお母さんがあります。
あれからもう二十五年もたつのでしょうか。

私がお盆参りから帰ってきた時のことでした。
同級生から電話がかかってきました。

「僕の姉さんがいなくなって、みんなで探しているんだけど、君も一緒に手伝ってくれないか」という電話でした。

私が二十七歳の時でしたから三十歳ぐらいのお姉さんで、知的障害をかかえておられたのでした。

何日間か消防団の方にお願いして探しましたが、お姉さんは見つかりません。
一週間ぐらいたった頃のことでした。

私に向かってそのお母さんが「こんなことを親が思ってはならないことでしょうが、もう娘はどこかで行き倒れになって死んでいるかもわかりません。
このままにしていてもけじめはつきませんので、身内だけでお葬式をしてもらおうと思うのですが、お寺さんはやってくださるでしょうか」と言われました。

私は「法律の上では違うのでしょうが、お寺さんに事情を話せば、つとめてくださると思いますよ」と答えました。

かけがえのない子ども
翌日、この家では身内だけでお葬式をつとめられました。
お葬式に行けなかった私は、その日の夜にお参りをさせてもらいました。
するとお母さんが「これでひとつ区切りがつきました。
明日からは田んぼや畑の仕事をしようと思います。
息子も仕事があるからと帰っていきました。
ほんとうにありがとうございました」と言われました。

私は「ああ、気持ちに区切りをつけられたのだなあ...」と思いながら家に帰りました。

それから月日がたって、十一月のある休みの日のこと、この同級生から「家に帰ってきたから遊びに来いよ」と電話がかかってきました。

お姉さんのことが気にかかっていた私は、早速出かけました。
そして、その家の前まで来てびっくりしました。
なんと、秋空に"こいのぼり"があがっているのです。

家に上がり込むなり私はお母さんに「なんで今頃こいのぼりをあげているんですか。
人から笑われますよ」と言いました。

するとお母さんは「笑われてもかまわないんですよ。
いなくなったあの娘は、こいのぼりが大好きでしたから...。
もし生きていたら、これを目印に帰ってきてくれるでしょう...」と、にこやかにおっしゃるのです。

お葬式は済ませたけれども、このお母さんは娘が大好きだったこいのぼりに、切ない親の願いと思いのありったけを込めて待っておられたのです。

「どんなことがあろうとも、親の私にとってあなたはかけがえのない子どもです。
いつまでも待っています。
迷っていないで早く帰っておいで。
このこいのぼりを目印に帰っておいで。
そこがお母さんのいるところだからね...」

このお母さんの姿に、私たちに対する阿弥陀さまの願いと思いとおはたらき、そのお慈悲のこころを教えてもらったような気がしました。

よび続けのアミダさま
私たちが受け取りやすく保ちやすい、お念仏の仏さまとなってわが身に届き、私たちのいのちに宿り満ち満ちていてくださるお方が「南無阿弥陀仏」という如来さまです。

「あなたのいのちを決して空(むな)しく終わらせはしない。
死んだらしまいではないよ。
わが国(お浄土)にかえっておいで」と、よび続けてくださっているのです。

秋の大空におよいだこいのぼり―

こいのぼりがあがるこの季節になると、二十五年前のことが、ついこの前のことのように思い出されます。
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 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/