齟齬あまた 有り経しわれの 128

出典: Book


齟齬あまた 有り経しわれの おきふしに 添ひてひたすら 来し妻が病む

細川徹之助氏のこんな歌を読みました。 男は生涯、仕事・人間関係の上で、齟齬(そご)・蹉跌(さてつ)を来しては、まま連れ添う妻に、憤懣を傾け時に当たりちらすなど粗野なもの。それは男のわがままというものでしょう。とはいえ、当たられる女房こそ災難ですが、そこを呑みこんで従い添うていく。

今妻が恢復望めぬ患いで、衰えて床についた。男の介護は拙くぎことないものです。痩せた妻のふくらはぎ揉むなどしながら、胸に悔恨の思いが湧きめぐる。つき従うてきた妻に報うもの一つなく、このまま先立たせることとなれば、これぞ人生最大の齟齬ぞと暗澹となる。身の内の力が萎えていくほどくやまれてならない。こんな歌の心。

お経に告げられます。この命の終るにあたり、世にある間犯してきたさまざまの罪の一つ一つがよみがえり、更に命のゆくえをあやぶむ怯えとが、胸の内にせめぎあうとか。

ここに弥陀ご一仏、この実体(ありさま)を見抜かれます。一切の凡夫、当面する事態に一途になっても、齟齬だらけ、おろおろ立廻って辛苦とめどもない。他にどう生きてみようもない奴かと抱かれます。

如来(おや)さまの慈悲誓願は、こんな命に立向われます。お慈悲の仏(おや)は、愚かさ・浅ましさを発(あば)かれません。罪を裁きも責めもされません。

ただひたすら、凡夫私の成仏の見込みを立てて、功徳を集めた仏力を、ナンマンダ仏に成し遂げられ、私の命に持ちこんで来てくださいました。

今やお宿りごいっしょで、この口にナンマンダ仏と称えられて下さいます。


藤岡 道夫