通ぜざる 手話に悲しき 瞳して 119

出典: Book

通ぜざる 手話に悲しき 瞳して
聾児我が掌に 指で字を書く

耳が聞こえぬ子には、声に出す言葉がない。訓練を受けて手話を覚えた。その子がしきりに手話でもって語りかけてくる。

しかし手話を知らぬこの身には、子供の話が伝わらない。どうにも通じぬと知って、この子、とうとう指先でわたしの掌に字を書く。一文字・一文字書いては眼を挙げて、こちらの理解をたしかめさぐります。その瞳は悲しみを帯び言い知れぬ淋しさがにじみます。

通ぜざる 手話に悲しき 瞳して
聾児我が掌に 指で字を書く

思いが届かず意を尽せずして対(むか)い合うままでは、空しく心を塞がります。今、阿弥陀さまが周到なご用意のお誓いで、私の命に立ち向かわれます。例えば極楽の功徳を果す上からは、洗濯・縫物などまでを解除するよう採り上げられます。

洗濯ごときことまでを、抜かりなく採上げられる、実は凡夫の溜め息・苦悩の現場に立ち合うて、細やかにお見抜きなされた弥陀の慈悲。

身ごなし少し不自由な老人のお話に”今はまだ下着の洗濯いたしてますが やがてそれもかなわぬようになりましょう。さて何としたものかと案ずる中 眠れぬ夜が長うございます”と、しみじみ聞くことでした。

健やかなれば取るに足らぬ些細なことが、不自由をかこつ人には、身一ぱいの悩みとなって、忽ち夜の眠りを奪います。

弥陀大悲の誓願は、思いの裡に分け入って、この溜息に狙いをつけて、的をはずさず今ここに、ナンマンダ仏とお宿りです。ご一緒していて下さいます。


藤岡 道夫