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近頃公共施設 129

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近頃公共施設のトイレやエレベーターなど、体の不自由な人が利用し易いように整えられています。交叉点を渡れるように音響で導きます。また講演会に手話通訳がつくなど配慮がされています。

でも障害者の日常は、起き臥しに不自由で、不安おびえが離れません。のみならず、心ない周囲の人の言動や眼差しにも、いらだちや怒りをすら覚えるのが実情でしょう。暫く前亡くなりました私の従兄は、中年になって眼の患いから、視力を失いました。

或る日、次ぎの様にもらしました。 ”気をつけて下さい。そこには段がありますよと教えてくれる親切な人がある。 しかしなあ段があるといわれても上がる段なのか下がる段なのかそれがわからん”と、こんなおもむきの話で、もっともなことと肯かされます。

身障者 夫が嗟嘆を まつぶさに 知るは吾のみ 二十年経つ  (六百田 美都子)

という、身障の夫に連れ添うご婦人の歌を読みました。他人にゃ解らない。傍観者の知るところじゃない。身辺の介護に明け暮れ二十年。それはまた、いらだち嘆きの呟きまで、ことごとく聞き続けた二十年でもありました。

この歌自体、この婦人の嘆息(ためいき)・嗟嘆(なげき)の声でもありましょう。

極楽は弥陀の大悲、満足しきって建立されます。仏力成就して、障害者の嗟嘆(なげき)が解除され、女性の嘆息(ためいき)が沈静(しず)められました。 弥陀の浄土に嗟嘆(さたん)の姿を見ることなく、愁嘆の声も絶えて有りません。

親鸞さまご和讃に”身相荘厳みなおなじ”と、謳われ”顔容端正(げんようたんじょう) たぐいなし”と、讃えられ”平等力を帰命せよ”と仰がれました。


藤岡 道夫